いぼ痔との、あの日
わたしはいぼ痔だった。
それも、良くなったり悪くなったりを繰り返す筋金入りのいぼ痔マイスター。
「初めての日」は突然訪れた。
排便後、いつものそれとは明らかに様子が違った。痛みはないものの、圧倒的、違和感。どう表現すれば良いのかわからないのだが、何かこう、翻っているのである。肛門が。
この後、想いを寄せている人とのデートがあった当時20代前半のわたしは、たいへん慌てた。
けっきょく為す術もなく、それを誤魔化すかのようにめいいっぱいオシャレをして、彼のもとへ向かった。運命のいたずらか、2ケツをしたのもその日が初めてだった。
それ以降、排便の際に必ず顔を出すそいつは、特に強い痛みもなく排便後に押し込めば元の位置にとどまってくれていたので、市販薬などでごまかしながら毎日を過ごしていた。
上手なお付き合いってやつだ。
数年後のそんなある日。職場で元気に排便をし、いつもどおり頭を出すそいつをぐっと押し込む。わたしは筋金入りのいぼ痔マイスターだから、もうその瞬間にいつもと違うことに気がついた。なぜなら、わたしは筋金入りのいぼ痔マイスターだから。
痛みはそれほどない。だが、戻らないのだ。
「やぁ。」
「うふふっ(照)」
「また…来ちゃった」
なんど押し戻し、お尻に力を入れようが出てくる。焦る。普通に焦る。立ち仕事が、さらにこの状況に拍車をかけているように感じた。心から重力を呪った。
「ちょっと話し合いしてくるわ」
「行ってらっしゃい」
職場の同僚はわたしがいぼ痔マイスターだと知っていたので、仕事中なんど席を立っても快く対話(トイレで薬を塗り、奥に押し込むこと)に送り出してくれた。痔に寛容な職場である。
トイレで下着を下ろし、がに股、中腰の体勢になる。
「…また来たん?」
「うん!あともうちょっとで綿素材のパンツに触れそうだったから!」
「それ以上顔出さんといてほしいし、さらりと綿パンツ履いてることも言わんといてほしい」
「ユニ○ロのよれよれグレーボーダー綿パンツのことでしょうか?」
「ちゃんと言うやん。このくらいよれてからがパンツ本番やから。戻って、お願い…」
ぐぐぐぐっ…
「やーん!」
トイレットペーパーを指に絡ませ、できる限りそいつをぐっと奥に押し込む。
しかし、
「ぴょこ♡」
「ほんま勘弁して」
なんど対話をしても5分たたずして同じ状態になる。わたしのパンツの中だけタイムリープでも起こってんのか?
…わかっている。これはタイムリープなんかではない。痔だ。それも本格派の。
「説得(トイレで薬を塗り、強く奥に押し込むこと)、あかんかったわ」
「いま、お尻どんな状態なん?」
「いやぁ…」
同僚に聞かれたものの、言葉で表現するのはなんだか気が引けたので、口で肛門、舌で痔を表現し、わかりやすく伝えてみた。
そういうところ、ほんとに最低だなと言われた。
仕事を終えてすぐに肛門科をネットで調べた。まさか、肛門科をネットで調べる日が来るなんて思ってもみなかった。
調べてみると幸運にも、最寄り駅の病院にお目当ての科があるのを発見し、すぐに準備をして向かう。
念のため伝えておくが、ご飯を食べているときも、服を着替えているときも、化粧をしているときだって、ずっと肛門は出ている。
病院の前に着く。きれいで安心した。
しかし同時に緊張もする。
人様に自分の肛門を見せることが確定しているからだ。
「こんにちは~」
受付のおばさんが朗らかだった。
「こんにちは、ちょっと変わった肛門を見せに参りました」
とはさすがに言わず、受け取った問診票にいつもより強い筆圧で記入する。
「引き分けさん、どうぞ~」
「ふぁい…(小声)」
すぐに呼ばれた。午後の診察の一番乗りで来たからだろう。まじで蚊くらいの声量で返事をした。
60過ぎくらいの白髪おじい肛門科医に迎えられる。
「こちらにお掛けください」
「あっ、ふぉい」
動揺をまったく隠し切れていない。
「いつごろからですか?」
「あふ、数年前から何回も繰り返してたんですけどひどくなったのは最近で…」
「痛みは?」
「すこし、じんじんします」
「戻りますか?」
「いえ、もう5分と持たないです」
食い気味に言った。
「わかりました。じゃあそこのベッドに壁側を向いて横になってください」
きた…!いよいよだ……!
看護師さんがバスタオルを広げて隠してくれた。ズボンと、綿ではないテロテロとしたパンツを膝くらいまで脱いで横になる。
ギチッ、ギチッとゴム手袋を装着する音がうしろから聞こえる。
先生が近づいてくる気配がした。
ぎゅっと目をつむる。
すると、
「いや、違う違う。もっとこう、お尻を突き出して。膝を抱えて横になる感じで」
と強めに言われた。
膝を抱えて横になる…?
こんな感じかな?と言われた通りの体勢になってすべてを悟った。
膝を抱えて横になる
とは
体育座りをして横向きに寝転ぶような体勢だ。
それも、尻を出した状態で。
わたしの中のなにかが終わった。
「あふっ」
あたふたしているわたしを尻目に(痔だけに、ね)躊躇なく肛門に指を入れられた。
つむったはずの目が開き、明後日の方向を見た。
手荒にグリグリされる。
ここで体勢について強めに「いや、違う違う。」と言われたことを思い出して少しイラ立つ。違うってなんだ。肛門科での体勢の常識なんか知ってるわけないだろ。知っていてたまるか。
「はい、いいですよ」
全然よくないのだが?
アラサーなのですぐにイライラする。
お尻の違和感を引きずったままイスに座る。
「大きさはたいしたことないですけどグレードで言うと2/3くらいまではきてますね」
「えっ…」
「戻して全然戻らないとなると、そのくらいには達してると思います。手術か投薬になりますね」
し ゅ じ ゅ つ か と う や く …
「手術だと痛みはきついんでしょうか…?どのくらいで完治になるんですか?」
いぼ痔と5年ほど付き合いのあるわたしにとって、手術で手っ取り早く治してしまいたい気持ちもあった。
しかし、
「いぼ痔には、そもそも完治というのはないです。手術でとっても、またグッといきんだときにポコッと出てきてしまうことがあるんですよ(笑)」
いや、なに笑ろてんねん。
そして無知をバカにしたな?
てか、いぼ痔ってエターナルなの?
聞いてない、聞いてない。
ここまで書いてこなかったが、じつは痔の塗り薬だけではなく、飲み薬も試していた。
しかし、薬が切れるとすぐに「来ちゃった…」状態になっていたので、手術一択くらいの気持ちで臨んでいたのである。
まさか痔がエターナルだったなんて。
「どうされますか?」
「いやぁ…」
「はじめから手術する人のほうが少ないですよ。投薬してから考えますか?」
「はい、そうします」
エターナルなんだから切っても仕方がない。
そして冷静になって考えると手術めっちゃ怖い。術後のこととか考えたらそれだけでスッと真顔になった。
「お大事に~」
無事に処方箋を受け取り、併設された薬局に向かう。
終わった!とりあえず今日の最大のミッションはクリアした!薬局への足取りはとても軽やかなものだった。
駅の近くの薬局ということもあってか、よく流行っていた。薬剤師の人たちが忙しそうに動き回っている。
空いている席に座って待つ。念のため伝えておくが、さっき肛門科医に引っ込めてもらった痔は、すでに元気に顔を出して微笑んでいる。
なかなか呼ばれないなか、ふと薬剤師の方を見るとあることに気がついた。
薬剤師は全員で3人いたのだが、そのうちの1人が若くてイケメンの薬剤師だったのだ。
おねがーい!(泣) 呼ばないでーーー!(泣)(泣)
あのイケメンから痔の薬の説明を受けるなんてことは、なんとしてでも避けたい。あなたの前では、女でいたいの。
しかしできることはなかった。もう祈るしかない。
え、こういった場合、どの神様になんて言って祈ればいいの?どこから説明したらいい?
「引き分けさーん」
呼ばれた。
まだ神様に、「わたしは数年前から痔を患っておりまして、いぼ痔マイスターの称号を…」
までしか言えてないのに…。
しかし思いが通じたのか、わたしを呼んだのはイケメンの隣にいたハツラツとしたおばさん薬剤師だった。グッジョブ、いぼ神様。
「こんにちは~!お尻大丈夫?いぼ?切れ?手術したん?」
端的にわかりやすくぜんぶ言われた。
あなたにとってデリカシーとは?
「いえ、今日はじめてで…」
混乱の中、せいいっぱい声を振りしぼる。
「そうなんや!痛い?さいきん若い人多いみたいよね。わたしもなったし、娘もいまなってるわ」
めっちゃオープンだな。
すんごい勢いで来るけど、決して悪い人ではなかった。
「今日出てる薬、めっちゃ効くよ!娘も飲んでる!わたしも飲んでた!」
『わたしもこの服持ってるんですよぉ~』ばりに同調してくるな。薬局だよね?ここ?
「つぎ痔になるとしたら出産のときちゃうかな?」
「えぇ…またなるの嫌ですね…。でも効く薬もらえてよかったです」
「食前のもあるから飲み忘れないようにね!お大事に!」
横ですべてを聞いていたイケメン薬剤師にも「お大事に」と言われたが、気分よく薬局をあとにした。
帰ってさっそく痔の薬を服用し、塗り薬も塗った。その後数週間、まずい薬を1日たりとも欠かさず服用した。
本当にとてもよく効き、劇的に改善された。
それから1年以上経つが、いまのところ「対話と説得」はしていない。
病院の薬ってすごい。一包ずつヘリコプターからばらまきたいくらい、みんなに知ってほしいと思った。
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