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695 愛ひとつ

見えてきた。
愛で勝負だ。
なにごとも。
愛ひとつで、勝負。

さまざまな価値観がある中で
すべての人に例外なくあてはまること。それは
求めてるのは「愛ひとつ」ということ。

地位も名誉も賞賛も承認も、それらはみいんな
着せ替え人形の姿をした、ただの「愛ひとつ」だ。

ガチ、ほんものの愛がほしい。
愛のリカちゃん人形がほしいんではなくて。
ただの「愛ひとつ」がほしい。

得だから、役に立つから
かわいいから、優しいから、とかじゃなく。
ワンダフォーなひとつの側面だけじゃなく
どんなあなたも大切なんだ、と言ってほしい。

たとえば、拗ねてダダこねててもいじわるしても
暗くて重くてうじうじしてても、病んでても。
名前を呼んで、わしゃわしゃと頭を撫でて
抱きしめて、ゆるして、わらってほしい。

これでもか!これでもまだ、大切!?
オラオラ!もう愛したくなくなっただろう!?
こんなにわがまま出したら嫌いになるんだろう!?
離れていけよ、最初からわかってんだよ
それ見ろ、知ってるんだぞ、やっぱり愛なんて幻じゃないかァァァ!

と、挑発しながらこちらへの試し行動をしてくる
膿出しキャンペーン実施中の「かまってちゃん」たち。
一般的に彼らは、躁うつとかメンヘラとかの
ラベルをペッと貼られてやんわりと放置される。

近年は「毒親」という言葉も流行っているけど
親になっても愛の確認作業は完了しない。
それは、本人がたまっている膿を出しきるまで
時にエスカレートしながら続く営みだ。

ほんものの愛の所在を突きつめることに対して
計り知れない疑心と、信じたい情熱を
両極端にもっている人と「共に」生きること。

それは「ふしあわせ」として扱われがちだけど
ところがどっこい、そんな体験を重ねることで
はじめて到達することができる、精神の場所がある。

根気づよく、という言葉があるけど
根っこのない気もちならばこちらも一瞬で腐る。
激しい怒りをぶつけられて耐えられるはずもない
むしろ耐える必要性なんて、見つけられない。

離れよう。立ち切ろう。わたしにはムリ。
狂気は危険。狂気は悪。それでおわり。

もちろん、自由に立ち去っていい。
だけどなにがあっても変わらない、揺るぎない
不屈の愛を知りたいのは、みんなおなじだ。
わたしだってそうだ。
わたしは、相手の中にわたしを見ている。
見つめたい。だからこそ挑む。
相手のためにではなく、自分自身のために。

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