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【ひとりごと348-366】

2022.1.19-2.16

音楽家ってどんな職業?

【ひとりごと348】
本日は、親友のシンガーソングライター松本佳奈の「音楽家ってどんな職業?」の授業サポートで、とある中学校へきています。
今日もう産まれるんじゃ?ってサイズ感のおなか抱えて50分のトーク2回戦。音楽室まで階段のぼるのもフウフウ息あがるほどの重たい体で。痛みだって強いだろうに… ほんとよーやるわ… 

無理すんな、って言ってもムリなのはもうわかってるから(止めたところで、ブッ倒れる瞬間までやる笑)万が一なんかあったときに駆け寄れる距離に、今はなるべくスタンバイしといて。母も赤子も無事に出産の日を迎えられるように。

「いろんな人が、バラッバラなしあわせの基準を持って暮らしてるのよ。だから自分が本当のところは何を感じてるのか、大事にしてあげてほしいです。」

松本佳奈の言葉は、これまでの講演のそれと内容こそ変わっていないけれど、核心に凄みが増していた。目の前に座る学生たちへの本気の願い、その厚み。
教室のうしろでわたしは座ってぼんやりしていただけなのに、なんか胸に迫るものがあってグッときた。

わたしたち音楽家の仕事は、夢を売る仕事だってよく言われてきたけど、バブル期でもあるまいし、ましてやこの「引っこめ合わせろ空気よめ」なご時世だし、だれかに夢を買ってもらうのって至難の業なんだよね。

だけど、それでも続けているのは
こういう機会のためなのかもしれないなって
学生たちの静かな後ろ姿を見つめながら思った。

「全身全霊で表現する人」として生きている。
その対価も得て「仕事デキる人」として
社会の中で、きちんと役割を果たせている。
だけどまわりのおとなたちと全然ちがう、変な人。
そういうカラフルな姿で、彼らと対面すること。

こんなんでも生きててよくて社会人の一種なんだ!笑
の再発見をしてもらうのに、授業は打ってつけ。
やっぱり「公的」に会って話せるのは、良いよね笑

自分のいのちを最大限に咲かせつつ
次の世代へのバトンパスや置きてがみ。
ひさびさの授業、おもしろかったー!

歌の仕事を全否定された話

【ひとりごと349】
歌なんか、食べられないし着れないし住めもしない。
そんな形すらない、何の役にも立たないもので
人からカネもらっててよく平気で生きていけるな。
たまたま才能があって運がよかったからって
「自分の好きなこと思いきりやろう」なんて
大抵のやつはそんなことできないんだよ。
この社会はそういうのが許されないようにできてて
だからみんな苦しんで病んで自殺してんだよ。
「お金はエネルギーの循環だ」とか
必死で第一次産業やってるわけじゃない奴らが言うの
ちゃんちゃらおかしいだろ。
精神論じゃメシは食ってけないんだよ。

うん。一理ある。なんにも否定しない。
いつも仕事すごくがんばってるからそう思うよね。
楽しそうに見えたら胸がザワザワするよね。
でもね、わたしもわたしなりに
あなたとは別の一理を大事に持っているんだ。

言い争うんでも歪みあうんでもなくて
理解してくれないと傷つくんじゃなくて
ああ、あなたは今そう感じたのね、と知って
伝えてくれてありがとね、と抱きしめて
無条件に胸を打つ歌をうたうことに、集中する。

歌で救われた、なんて言う奴は
まだ余裕がある奴で全然ドン底じゃないんだよ。

そんな言葉をいつかひっくり返す歌
届けられるようにわたしはやっぱり懲りずに
歌の力を信じて、歌をうたう。

しずかな馬鹿

【ひとりごと350】
「馬鹿げたことを馬鹿げてるって言わないで
 声をひそめて本音を隠しているのは
 わたしたちが馬鹿な国民じゃないからよ」
と口を結ぶ、しずかな馬鹿であふれている。

馬鹿だと指をさされ、無知な者たちに叩かれることを
誇らしく馬鹿笑いできる賢さを取り戻して
子どもたちの未来を守れ。

その場しのぎの迎合も相槌も、時には必要。
だけどもう、いい加減にしとかんと
じわじわと皆殺しにはされているから。

もっと腹の底に怒りを。骨盤に生きる力を。

暴力じゃなく、非難でも侮辱でもなく
それぞれの持つめいっぱいの愛で表現していく。
歌う。踊る。描く。
創る。話す。笑う。

人々の、真の戦闘モードがオンになり
生きとし生ける者すべてがアーティストとなり
発信していく。奏で讃え合いながら交わっていく。

今は影もかたちもないかもしれない
そんなことして何になるとうな垂れるかもしれない
それでも、何度目かの春がきたら
勇気を出して撒いた種は、必ず芽生えはじめる。

美しい草花の彩るサークルが生まれる。
ここにいるよ。こっちおいでよ。
そっちいくよ。つながってみようよ。

走る。もがく。叫ぶ。
食べる。さわる。眠る。

自分ひとりの行動が、立つ場所に花を咲かせ
そのちいさな庭に鳥たちが訪れ
蝶やミツバチがあそぶようになり
やがて風景を、その世界を変える瞬間がくる。

準備をしよう。有言無実行でいいよ。

言うだけ。お金かからない。いっさい損ナシ。
手帳でも、日記でも、だれかへの手紙でもいい。

「わたしは今年、これを表現してみる!」

ただそんだけの言葉からのコボレ種は
意外とヒョイヒョイ、春うららを目指して
陽のあたる場所へと自分を導いてくれるのだ。

鴨イヤリング

【ひとりごと351】
「かおりさーん!鴨が獲れたよ。」
森へ行き、猪や鹿を狩ってジビエの食肉加工をしている「いのか」スタッフのトシローくんは、わたしが鹿の血で絵を描いてみたいと話すとドン引きしながらもどうぞと試させてくれたり、止め刺し(罠にかかった獲物にとどめをさすこと)の現場に小5の息子を軽トラにのせて連れていってくれたり、いつも新しい体験にチャレンジさせてくれている。

わたしは、食べることが大好きなくせに料理することにはあんまり関心がないので(素材にそのまま塩をふって焼く、ざくざく切って煮込む、くらいしかできない)
鴨肉の解体にはそこまで興味がもてないタイプだったのだけど、今回は「もし捨てるんなら、羽がほしい」とお願いをした。

わたしは「鳥の羽」が昔からなぜかすきで、カラスの羽なんかも落ちているのを見つけるとパアア!とうれしくなってこっそり拾い、学習机の引き出しの奥のほうにコレクションしていた。
汚いからやめなさい、と怒られたりもしたけど、こんなきれいな宝物がどうして汚いんだろう、と悲しいきもちになっていた(おとなになった今は、なんか菌がついてるかも、とか、もしかしたらダニが、とかの理由はわかる、だけど惹かれてしまうことに何ら変わりはない)。

シメたての鴨は、ただ眠っているみたいだ。
首のところを黒い紐で、4羽まとめて括られていた。
オスが2羽、メスが2羽。微妙に色合いがちがう。
もう死んでいるなんて思えないくらい美しい体。

「だいたいココは落として捨てちゃうから。けっこう力要るけど、むしっていいよ。」
トシローくんは手羽の部分をちょんちょんと指さす。
ありがとう、とお礼を言って、そこはぶら下げられた鴨4羽とわたしだけの空間になった。

彼らはもう死んでいるのに、痛そう、ごめんなさい、と思って少しの間、ほんとうに羽をむしって大丈夫か、もう一度考えた。
彼らはうごかない。無音の時間が30秒ほど流れた。

捨てられちゃうんだもんな。
こんな美しい羽、全部。
白と黒、焦げ茶色と淡いグレー、青と緑。
体をまわしながら角度を変えるとその色は、ギランギランと艶やかに変化してみせた。

ひるんでたら時間の無駄。いくぞ。

湯通しもしていない、そのままの体から羽をむしるのは、トシローくんの言うとおりかなりの力が必要だった。
そりゃそうだ。簡単に剥がれちゃったら困る。
だってさっきまで、生きていたんだもの。

最初は1本1本に異様な集中力を使っていたけど、不思議なことにだんだんとコツが掴めてきた。
なるほど、こっち向きにこのスピードで引っ張るとポリっと抜けるんだな。ここを押さえると力が入りやすいのかー。

そんな試行錯誤タイムを重ねているうちに、痛そうとか、ごめんなさいとか、もう微塵も感じなくなっている自分がいた。むしろ独特のイキイキとした使命感が、下腹のあたりから湯気みたいにホアアと湧きあがってきていた。
「大事に使うね。ありがとう。忘れないよ。」

わたしの頭にはなぜか、半裸のネイティブアメリカンたちが現れ、おおきな火を囲んで強い酒をまわし呑み、太鼓に歌声をあわせ、盛大にお祭りをしているシーンがくるくる浮かびはじめていた。

「そうだ。この羽でアクセサリー作ろう。」

ビニールに入れた羽を大事に持って閉店間際の100円ショップへ駆けこみ、いろんな道具を思いつくまま買い物カゴに入れた。
鳥の羽を自分の手でむしり取ることも、こまごまとしたパーツを買ってきてアクセサリーをつくることも、どっちもはじめてだったのに、それはすごく自分の感覚にしっくりきた。
その作業は、なんかの儀式のようにも思えた。

本来、細かい作業はあんまり得意じゃないしまだ試作だけど、奇跡的にイメージしたような感じになった。
こーいうの売ってたらいいのにな、と思っていたアクセサリーを自分でつくれるのは、おもしろいし楽しい。

ビーズのつけ方がよくわかんなかったけど、試してみたら意外とシンプルに羽だけのほうが好きかもしれない(ということで何かにビーズ使いたい人がいたらプレゼントします笑)。

今回、実際に羽をむしるところから作ってみて
「食べる」も「身につける」も
わたしの一部になってくれる、という点で
同じように、ありがとうの表現だという気がした。
こころとからだに入る、刻まれる、その感覚。

子宮からの声

【ひとりごと352】
もうひとり、子ども産みたい。
頭は完全拒否しているのに体のほうがすごく騒がしい。
35歳って生物的にそういう年齢なんだろうか。

結婚はもう二度と、したくない。
タネだけいただいてシングルで育てたい。
しかし歌うだけのわたしにそんな経済力はない。
そして第一、2人目を産めるほど体が丈夫じゃない。
前回は、輸血スレスレの緊急帝王切開。
ほんものの血の池地獄、全身がきいろくなって
母子ともに命に危険が、の瀕死状態だったのだ。

あんなに過酷で壮絶だったのに、くうー!
もうひとり、子ども産みたい。

鹿狩りの見学に連れていってもらって「同盟」を結び、すっかり意気投合したらしい息子が「ママ、トシローと結婚して!トシローがおとうさんだったら、めっちゃおもしろい。現代と密着してないところがママと合ってるよ。ぼく、弟がほしいからさ!」と目を輝かせながら提案してきて、なんでよ。やだよ。と答えながらもつい笑ってしまった。

もうそんなこと言う年になったのかー。
この春で小6なんだもんな。

「今クラスですきな子とかいるの?」と質問すると
「なんかみんなの前でコクられて〜。冷やかされてめんどくさいから、その子と付き合ってることになってるけど、別にそんなに好きなわけじゃない。」
「そっかぁ。そんなに好きじゃないなら楽しくないね。」
「大丈夫!俺サッカーが好きだから!えっへん。」

会話のテンションによって、ぼくとか俺とか無意識に使いわけているの、おもしろいな。
東京へ送っていく高速バスの中、ずいぶん低くなったハスキーめな声に聞き惚れながら、彼のくすぐったい恋バナに耳を傾けていた。

離婚したあと4年間いっしょにいた元パートナーのはじちゃんとは、結婚の話も子どもをつくる話も、浮かんでは消えて現実味はまったく帯びないままだった。

お互いに今やるべきことは音楽。
音楽がわたしたちの子ども。
そうして、わたしたちはお互いの「子ども」を守るために別れた。

さよならの決定打となったのは、騒動への価値観のズレによる噴火級の大喧嘩だったし、田舎暮らしの向き不向きなんかも手伝ってはいたけど、結局のところ、それは音楽という子どもの死守だった。

これから羽ばたくお互いの音楽を守らなきゃ。
その一心だった。

彼のギターは天才的だ。
早く世に出てもらわなきゃ困る。

支え合いながら一生そばにいるだろうと思っていたはじちゃんが、家を出て別々の道を歩き始め、体をなかば無理やりに引き剥がしてようやく、わたしたちの関係に平穏が訪れた。

あっという間にながれた半年の月日。
寂しさを感じないように駆け抜けた毎日。
口に運んでは咀嚼し消化、吸収し続けていた感情を
旧暦新年を前に今、ガンガン排出している。

1日置きに寒気がきて熱がでて汗をかいて。
われながら、どこまで宇宙のサイクルに従順な肉体なんだろうと感心する。

もうひとり、子ども産みたい。
くうー!どうしたもんか、この子宮からの声。
しばらくこの内なる可笑しな対話は続いていきそうだ。

ピン!を生きる

【ひとりごと353】
あああ、この瞬間、この光景。
もう二度と、この人生に訪れない。
まぎれもなく今、コレが、最後だ。

めずらしくてちょっとふしぎで、それでいてどこか懐かしい「人生の答え合わせ」のようなできごとが、目の前に起きたとき。
なんか耳の奥のほうが、かすかにキーンと鳴っていて、会話なんかはふつうに流れているんだけど時間は止まっているような、ほんの少しでも気を抜くと泣きそうな、めくるめく春の花びらみたいな心境になることが、たまにある。

うえええ、うそでしょ!?とビックリ仰天して、くらくらと倒れこみそうになりながらも同時に、ああ、ついにこの瞬間この機会が贈られたのかぁ、準備が終わってほんとうに時が満ちたのかぁ、みたいな安心感のある納得。

輪廻転生とか魂の計画とかの類の話は、ほんとうかうそか、じゃなくてすきかきらいかで考えていいと思うんだけど(この世の騒動についても最近はそのように捉えています)

結局、ピンときたものが、その人の答えなんだよね。
だから「ピンとくるもの」が、人それぞれで
バラバラな状態にあるのは、ごく当たり前のことで。
自分に合わせてもらおうとしなくていいし
違うから変えてほしいって、努力しなくていい。

その人その人で、性格や、感じるタイミングや
歩いているペースやフェチズムは、全然ちがう。
それぞれのまま、思うまま、ピン!を生きればいい。

親しいとつい、同じを求めてしまいがちだけどね、
違うまま、いっしょに生きていくほうが
もっとずっと、自在でいられる。

昨日は、久留里にある「旅ヲスル木」へ。
「みどりのいえ」マッサージのきぬちゃんの投稿がポンと出てきて、ふっと会いにいけた。
お友達にも会えてお喋りできたし、知らない人ともなんでもない会話ができて、ほくほく。
店主のダオさんも元気いっぱいで、いつ会ってもおもしろい人なんだよなー。初めて会えたパンを焼いている奥さまも、みどりの宝石みたいな人だったな。

「自分」を生きている人なら、わたしどんなタイプの人でもすきかもしれない。そういう人たちはだいたいちょっと変で、はちゃめちゃだから、見てて楽しいしほっとします笑

メッセンジャーだよ

【ひとりごと354】
cafe「旅ヲスル木」の個展で出会った
宮下昌也さんの、ちいさな絵。
手づくりの額もすごくすきな質感だったけど
なんか異様にぐうううと惹かれてしまって
見た瞬間、気づいたらちょうど在廊していた宮下さんに
「これ買わせてください」と伝えていた。

画家の宮下さんは、コヅカアートフェスティバルという森の大きなお祭りを手掛けられたりもしていて、このへんでは知らない人はいない、という有名な方らしかった。
ただ、それはあとから知ったので、カフェのソファ席に座って絵を描いていたのを見たときは、なんか仙人みたいなスゴいおじいちゃんがいる、と思っただけだった。

何千年も生きてきた仙人なのに、
水墨画みたいじゃなくて超カラフルな人だ。
ひとり裸足で、灼熱の砂漠を歩いていそうだし
宝物を探す海賊のリーダーみたいでもあるし
丘の上の古い大木、はたまた黒い髪切虫。
とにかく、わんぱくだ。と思って
瞳を見つめていると少しドキドキした。

「ピンときたの?ありがとう。」
「はい。この絵、なんかすきで。」
「そうですか。これのタイトルはね。確か、ええと。
 ん?なんだっけ。ああ、思い出したそうだった。
 メッセンジャー。メッセンジャーだよ。」

宮下さんの個展開催中は、多くの人に触れてもらえるようカフェにそのまま絵を飾っておいてもらうことにした。
そろそろ受け取りに行かなきゃ、あれ去年の秋ごろだったよなぁ、と思い立って、一昨日ようやくお迎えにゆき、ひさしぶりにこの絵と再会した。

「旅ヲスル木」の温かな色味の壁と、この絵はすでに溶け合って一体化していたので、このまま置いていってもいいなぁともふと頭をよぎったのだけど、家ではどんな表情になるんだろう?と気になって、ひとまず連れて帰らせてもらうことに。
鞄に入れていると、サイズオーバーの御守りを持ち歩いているようで、うん、ちょっと邪魔だけどこれはこれで悪くはないな。と可笑しくなった。

旧暦の新年が、目前に迫っている。
大みそかの体感、が徐々にクリアになってきて
独特の緊張もぐんぐん高まってきている。

ビルの屋上に立ったときとか、本番前とかの
おしりの穴が、そわそわもじょもじょする
意図的な深呼吸が必要な、あの感じ。

メッセンジャー。神の使者。
役立つことや崇高なお話は伝えられなくても
いつの時も、通り道そのものでいられるように。
自然にうまれた歌声や言葉の羽、1枚1枚が
風を集め、望む場所へと
自分と相手の心を運べるように。

とはいえ気負わずいこう。
結局、小さな自分にできることといえば
力まずに羽をひろげて飛んでみること
バサバサ、ビュウビュウ、思いきりはばたく!
そして雲の流れや、地上の景色を味わう。
もうそれしかないから。

おとなになることとは

【ひとりごと355】
すきだろうが嫌いだろうが
立派だろうがクズだろうが
わたしは死ぬまでに
わたしという一人の人間にしかなれない。

ほかの何にもなれないし
ほかの誰にも手渡せない。

生まれたときから決まってる
その不自由なルールを受け入れて

「じゃあ今日なにする?」って
問いかけ、自分で考えることが
おとなになること。

旧暦新年

【ひとりごと356】
やー!今回の土用ウィークは、1〜2日おきにじわじわぐずぐずと悪寒からの微熱リピートだし、フィナーレは豪華絢爛の、バチバチな高熱&割れるような頭痛&激しい嘔吐でシメ!
途中からもう、あまりのハイパーデトックス状態に笑うしかなかったです。ご時世的に言い出しづらいんだし、さすがにこんないっきに排出するのやめてくれよw

しかしおかげさまで、無事に立春でスッキリ生まれ変わった感じがしている。ちょっとまだ、あまりの体側の空気読めなさに心がついていけてなくて、ぼんやりしてるからゆっくり動くけど…
大切な1年の節目であるこの時に、行きたかったお店とかイベントとか、何ひとつどこにも参加できなかったので残念だったのですが、見事なまでの旧寝正月!これはこれでおもしろかった🎍笑

写真は、元気だったときにマッサージのきぬちゃんが撮ってくれたニコニコマンかおりです。
2022年、ますますどうぞよろしくお願いします!

さあ、立春大吉◎
親友の陣痛祭りがスタートする前に、いろいろ準備を進めねば。いざゆかんニューワールドへ。
とうっ👶

わたしたちの子

【ひとりごと357】
今日はチーズ工房千さんの月イチ営業日!
ぽかぽか陽気のきもちいい冬晴れ。
子どもたちを連れてあそびにいってきました◎

ていうか、わたしが先日書いた「もうひとり子ども産みたい」の記事が予想よりインパクト大だったらしく「わ!子ども産みたい人だ!」とか「あれ?もう産んだのー!」とか、ドシドシ声をかけてもらいました。いつも、どうでもよいわたしの稚拙な文章を読んでいてくださり、本当にありがとうございます笑

この子たちは、わたしではなく親友が産んだ子で。たしかに彼女が彼女のおなかで育て命懸けで産みおとした子たちなんだけど、じゃあ自分が産んだ子じゃないから命懸けで守るきもちにはなれないかというと、そこの感覚に「我が子かそうでないか」の分け隔ては、正直ほとんどないように思う。

わたしたちの子、だと感じている。
社会全体の。人類全員の。
夢と希望、きらりと光る、未来そのもの。

わたしたちの子に必要なのは
きれいな水と澄んだ空気、豊かな土だ。
お金儲けのために刷り込まれる毒や圧力じゃない。

この国はもう全然、安全じゃないけど
どこもかしこも、ってわけじゃないんだ。
ちゃんと見抜き、考え行動している人もいる。
怖くない。あわてなくていい。大丈夫だよ。
いつか、本心でそう伝えられるよう
その準備をするため、この地へ引越してきた。

今年はどこまでやれるかなー。
うかうかしてると、あっという間にさようなら。
いつだって、善は急げ。
みんなで、思いっきり笑い合うために。

おうちプリプロ

【ひとりごと358】
本日のプリプロまかないごっはーん!
サラダと合わせたチーズ工房千さんの「竹炭」は大好評。無農薬の「みちるや」さん特製ドライフルーツも、チョコケーキ&レモンシフォンと相性ばつぐん◎ おいしーおいしーってモリモリ食べてくれる人がいると、ほんとうれしい。

そしてもうだんだんと慣れてきちゃったけど、本来ならスタジオ入りして進めなきゃいけない作業を、毎回わざわざ都内から足を運んでここへ集まってくれる優しいお二人に、あらためて感謝。
おかげさまで、すごくリラックスして楽しんで制作に取り組めています。まだまだぜんぜん、序章だけど笑

ニューアルバムのコンセプト談義、および引田香織アーティスト論の練りこみは、まだまだつづく。

アローカナのたまごサンド

【ひとりごと359】
根本的に「たまごサンド」って
あんまり得意じゃない派だったんですけど… 
これは、おいしい。どうしても、おいしい。
昇天しそうになって思わず、目をつむる。

食べすすめても永遠に飽きのこない絶品たまご。
ふりかけられたチーズの演出するエアリー感。
ピリッと効いてほのかに香る黒胡椒。
新鮮なフリルレタスのみずみずしいシャキシャキ。
かさりんごさんのこだわりのパンは
サクッともっちり、完璧なトースト具合。

あああ。天才たちの作品が集結すると
奇跡のバランスが生まれ、こうなってしまうのだ。

店主ゆうちゃんの傑作!
「君津産アローカナのたまごサンド」
死ぬまでに一度ぜひ◎

盟友くまちゃん

【ひとりごと360】
盟友パーカッショニストくまちゃん現る!
なんか昨日から「ミュージシャンにお野菜たべさせる家」みたいになっとる。大変だ、みんなアルバム制作がおわったら、腸内環境が整って健康になっているかもしれないぞ…笑

只今、畳部屋に絶賛セッティング中。
2/14の練習がてら音も録ってみようかな。
そしてヘッドフォン装着するといつも
なんかの動物ごっこみたいになるんよな。

優しい旦那さん

【ひとりごと362】
結婚していたときから、くまちゃんとふたりで歩いていると「優しい旦那さんねぇ」とよく勘違いされたものだ。
育児はワンオペの日が圧倒的に多かったし、重ねて元旦那ちゃんの実家に住みながら介護生活をしていたときなんかは、睡眠不足とストレスでなんだかよくわからない鬱状態も長く続いていた。

くまちゃんと子育てをした、と言ってもまったく過言ではないほど、保育園の送り迎えや家事のあれこれ、食材の買い出しなんかに親身になって付き合ってくれていた。

あの頃わたしたちはほとんど、家族だった。

離婚したあとは、知り合いからは「くまちゃんと再婚でしょ?」と口々に言われた。
「やっとしあわせになれるね!」
「ずっと大事にしてもらえるよ〜」

だけどわたしたちは恋人同士にはならなかった。
男として見れないとかじゃなくて、ぜったいにぜったいに失ってはならない、そんなおそろしい博打は到底できない、生涯をかけて変わらず、ツーカーな本気の優しさをパスし合える関係性を、お互いに壊したくなかったんだろうと思う。

今回も、ひさびさの再会にコーヒーのみながらずうっとノンストップで話して、人生や音楽や哲学や恋の話題でもりあがって、時に深妙なおももち、時に腹をかかえて大笑いしてテーブルをばんばん叩いて、はああと深呼吸してまた、お湯をわかして。

過去の同じ景色と経験を共有できている安心感。
今は別々の道を歩きながらの発見を伝え合う引力。
そして、最大限のリスペクトと慈しみ。
どんなときでも愛の視点で見守るきもち。

そばにいてくれてありがとーね。
くまちゃん。

(以上、今日「cafe旅ヲスル木」でも店主のダオさんから「旦那さん??」と間違われて、ふと書いてみたくなったわれらの盟友エピソードでした笑)

たかが日常されど日常

【ひとりごと363】
cafe「旅ヲスル木」の器展「旅と哲学と珈琲と…」にて、くまちゃんが一目惚れして連れて帰った「机上工芸舎」星野友里さんのマグカップ。
持ち手の部分のデザインがおもしろくて、質感、手ざわり、ともに絶妙な味わい。
こういう出会いは一期一会だから、コレだー!ってピンときて、心ときめく作品をお迎えできる瞬間って、とてもうれしい。

たかが日常。
カップなんて100円で売ってるじゃない。
何千円、何万円って、お金をかけるのはただの道楽。

されど日常。
作家さんの試行錯誤した努力が、値札に書いてある。
そして人生を大切に味わおうとする自分自身の熱量も。

日常の積み重なり、こそが人生のすべてだから
安くてそこそこなら何でもいいやって思えば
おのずから、そういう人生になっていく。

愛のこもった丁寧なものを使って触れていたい。
作家さんの指先を毎回、思い起こせるような。

そういう声を届けて音を奏でて、生きて死にたい。
ああこういう人いたなって、思い起こせる小さな歌。

そしてcafe旅ヲスル木から、くるり食堂「東ノハテノ国」へ移動!羊毛フェルト作家「つちはる」さんの個展初日へレッツゴー◎

かわいい動物やパンたちの作品がたくさんでほっこりしたし、つちはるさんのキャラが強烈におもしろくて、やっぱり… モノづくりをする人ってみんなちょっと変なんだよな… とあらためて確認しました。
なんか言葉じゃどうにも再現できないんだけど、眺めているだけでジワジワと笑いが膨れあがってくる独特さなんだよな。いいなぁ笑

いのかジビエセンターのトシローくんも、鴨の羽を配達しにきてくれた!注文が殺到していた(と言っても10セットですが笑)ピアスとイヤリングの追加制作がやっとできる。
もうしばらく、気長に待っていてください◎

ちょっとここから数日は、雪のお天気次第だけど(山道凍るとまじで身動きとれない…)親友まつかなの食事づくりサポートなんかも、柔軟にうごいていけたらと思っています。

(ちなみに、まだ産まれていません。無事に出産したらちゃんと報告がありますので、今は本人に直接はメッセージしなくて、それぞれの場所からそっとお祈りしておいてあげてくだサイ!どうしても気になって不眠症になってるんだけどという方は、わたし宛てに連絡くだサイ!笑)

2/14ライブの日も雪予報だから、無事に開催できるかどうか… まあ、すべて、流れに身をまかせて。
ではでは、みなさん楽しい3連休をー!

誰もが一つずつ持ってるもの

【ひとりごと365】
このちいさくておおきな星では365日
必ず大切なだれかの誕生日で
くるくるまわる地球上のどこかで
ハッピーバースデーが歌われない瞬間って
ひょっとしたら一瞬もないのかもしれないな。

ってなぜか昨日、ライブ終わった帰り道に
その空想サウンドが耳奥にワアアと響いてきて
ひとりで勝手にクラクラしていた。
(え、どうなんだろ?統計的なところはわからない笑)

たくさんの笑顔と、じーんと温かい涙と
おめでとうの言葉とありがとうの気持ちに囲まれる。
ハッピーバースデーは
なんてしあわせ者の曲なんだろう。
そしてそのメロディの絶え間ない連続の上に生きている
わたしたちは、なんてしあわせな誕生者なんだろう。

もちろん悲しいことや残忍な瞬間が
この世界から途切れることも同じようにないよ。
だけどそれとまったく同じように
しあわせを祝う歌声が、途切れることも決してない。

どの瞬間に「心」を置くかを選ぶことのできる自由は
今を生きている人への最大のプレゼントのように思う。

それにさ「自分は何も持ってない」って
どんなに悲しんで、落ちこんだって
「誕生日」は、誰もがしっかり持ってるんだよね。
みんなそれぞれちゃんと、ひとつずつ。

ある日突然、与えられちゃった人生だから
どうせなら思いきり泣いて笑って、光らせたい。
大切にしたい、守りたい人たちと。

おとうさんとおかあさんと妹に、会いたくなった。
血のつながっていない家族たちにも。
もう地球では会えなくなった、尊い人にも。

人生はほんと、あっという間に過ぎていくな。

みほちゃん、お誕生日おめでとう!
Happy Birth Day to You

桁外れの人

【ひとりごと366】
今回は2022年初のガチステージで、わたし自身すごく集中してパフォーマンスさせてもらえた。
それは事前に、ご参加お誘いや予約管理を引き受けてくれた主催の千さんの、ゼッタイに最高の場を生み出すぞ。みんなでしあわせな時間いっしょに過ごすぞ!っていう、ブッとぶくらい情熱的な応援があったからで。
わたし1人の力じゃこんなことやれない。

当日はスタッフのみんながチーズの制作をしながらも温かいごはんを準備してくれていたり、受付を手伝ってくれたり、布やカラーのお花で会場を彩ってくれたり。
いろんなかたちで、全力でサポートしてくれた人たち(天候もね!)のおかげで、無事、念願の開催にたどり着くことができました。

やー。だって彼女は、一流のチーズ職人さんだよ。
「チーズをつくる専門家」なんだよ笑
なのにそこらへんのイベンターより俄然スゴい企画力。
アーティストがアーティストとして生きていける
そんな場を提供したい。精神的にも経済的にも。
その壮大なビジョンを昔から、彼女は強く抱いている。

やっぱ日本一をとり世界へ羽ばたく女の底力は
桁外れだ。

本番のステージはもう、あっという間だった。
歌っている瞬間に泣いてくれている人がたくさんいるのは自然な現象だけど、終演後、涙をポロポロ流しながら想いを伝えてくれる女性が、記憶の中では今までで一番おおかったように思う。

これは個人的なフェチも多分に含まれているけど
わたしは笑顔より涙のほうが、断然すきだ。
簡単に人には見せない大切なそのしずくは
不要なものを洗い流し、命の力を潤してくれる。
人生のアップデートに必要不可欠な水だと思う。

ライブの時間は、歌うほうも聴くほうも
言ってみれば、脳内物質により酔っぱらい中だから笑
ステージが終わり部屋の電気がピカピカについて
開放されたシラフの状態でお話していて
それでも涙があふれてくるっていうのは
精神的にすごいクリーンな状態、ああいいなぁ
ってしみじみ感じてうれしくなるんだよね。

美しいなぁ、って見ていてじーんとする。
なんて澄んだ心を見せてくれてるんだろうって。

音楽と、自分の歌声のもつ役目を
信じてバンバン解き放っていこう。
求めてくれる人に惜しみなく注ぎ
怖がらずどこまででも会いにゆき
その場を作ってくれる人に感謝して
あきらめずに明日を共に歩くこと。

「きゃおりー!ファンディング150万円、めちゃ頑張ったけど、自分の生活費そっちのけでしょ!ちゃんと今日のライブで稼いで!」

歌うぞ歌うぞ歌うぞ。
次回ライブは3/27 はじめての熊谷!
ポンコツパーフェクトさんです。
名前がおもしろすぎてもう、すき笑

みんな最高に愛してます。
この人生で、触れ合ってくれてありがとう!
感謝をこめて。

昼の部
夜の部

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