【ひとりごと081〜090】
2021.3.1〜2021.3.10
まいにち投稿するひとりごとエッセイの記録。
081 わたしの子
わたしのおなかで産んだ子はわたしの子だけどわたしの子ではない。わたしのおなかで産んでない子はわたしの子ではないけどわたしの子である。
そのつながり合っている感覚を、地球の母なる女たちは遺伝子レベルで潜在的に知っていると思うのだけど、男はきっとそうじゃないから課金制度の戦争ゲームはまったく終わらないのだろう。
愛する息子たちに、恐怖に襲われて未来で泣き叫んでほしくない。残忍な死を迎えてほしくない。好きなことを楽しく思いきりやって、たくさん笑い合って心優しく生きてほしい。
世界平和を切に願うきもちは、とくべつとかきれいごととかじゃなくて、ほんとただ、それだけでできてるんだよ。
082 うめさんのこと
元気だった頃のはじちゃんのおばあちゃん、うめさん。初めて一緒に夜ごはんを食べたとき、なぜだかわたしのことを外国人だと思ってしまって「お箸を、使うのが、上手ですねぇ」と、低くゆったりとした声で伝えてくれた。
みんなで大笑いして、何度も「うめさん!わたし、かーおーり!日本人!ですよ〜!」と耳元に口を近づけて、おおきくハッキリと訂正してみるのだけど、そのたびにまたゆったりとした低い声で「日本語が、とても、お上手ですねぇ」と返ってくる。
そうか。もうそういう設定に、なってしまったのか。いったいわたしはどこの国の人だと思われていたのだろう。今となってはわからない。
のり塩のポテトチップスや、カフェラテやチョコレートが大好きな、すごくチャーミングなおばあちゃんだった。
通っているデイサービスでは、うめさんは歌や体操に参加しようとしないのだと話を聞いて、試しに自宅でピアノを弾かせてもらうことに。
うめさんがどんな曲を好きかはわからないから、とりあえず童謡唱歌を少しずつパラパラと演奏してみて、ようすを見る。
瞳の動きをこっそり観察していると、曲によって、少しまぶたや視線の動くメロディがある。コレかな?と思ったら、ゆうっくりの演奏にテンポを落としていく。
唇やあご、口角が少しでも動いていたら、うめさんの話し声と同じくらいのキーに下げてメロディラインを強めに鳴らし、わたしも歌ってみる。あくまでも、わたしがわたしのために歌っているだけだという、個と個の雰囲気で。
しばらくそうしていると、息を吸うときの胸のふくらみをかすかに感じた。ピアノの音量をぐっと落として、わたしの声も硬めからやわらかめに質感を変えていく。
最終的にうめさんは、あのゆったりとした低い声で「浜辺の歌」を最初から最後まで、うたって聞かせてくれたのだった。
音楽療法は自分なりには学んでいたけど、心理学と同じで、知識を元に人と接するのはなんか自分の性には合わないなと感じて、仕事にしたいとは思えなかった。
でもこんなふうに誰かの心や記憶と歌で触れあえる瞬間があるのは、うれしいことなんだなと初めて思えた大切な体験だった。
明日は葬儀で、お別れに「浜辺の歌」を贈らせてもらう。いっしょに歌ってもらえたらいいな。そんでまた「日本語が、とても、お上手ですねぇ」って、褒めてもらえたらいいな。
083 浜辺の歌
告別式でたくさんの花々に囲まれながら、位牌に向かって歌をうたわせてもらうのは人生で初めての体験だった。
そしてさらに、いよいよお骨を焼くという送り出しのときのこと。はじちゃんが突然、ギターを抱えて「浜辺の歌」をつまびき始めて。それだけでもけっこうびっくりしたのだけど、なんと、参列したみなさんもいっしょになっての大合唱に包まれたのだった。
教会みたいに天井の高い、音のよく響くツルツルの石でつくられた、あの独特の空間。坊さんたちのお経の声、炎をつけるブザーの鳴る音、すすり泣く声、そしてそれらを掻き消すほど大きくて温かい、みんなの、浜辺の歌。
それぞれはまったくの別ものなのに、見事に調和し響き合って、あれ、夢の中にいたんだっけ、と一瞬わからなくなるほどに不思議な空間が生まれていた。
あの緊張感のある重たい形式ばった場でギターをつまびく人なんて、日本じゃそうそういない。もちろん「音楽があったらいいのに」と感じる人は大勢いるだろう。でも、じゃ、実際に自分がなにかやるかというと、やっぱり緊張感のある重たい形式ばった空気にあわせて、そのまま終わってしまうだろうと思う。わたしの場合は、だいたいそう。口ばかりで、そんなたいそうなことはなかなかやれない。だからそれを一切の気負いなく、どこまでもナチュラルにやってのける彼はほんとうにすごいな、只者ではないな、と、あらためて感心してしまった。
考えてみたらそもそもお葬式って、緊張感も重たさも形式も、なんにも必要ないはずだ。ありがとう!楽しかったよー!って手を振る人生のラストライブなのだから、みんなでゆったりと最後に極上のひとときを味わって、しあわせな気持ちに包まれたならもうそれで充分。
なのにどうしてだか、こまごまとした段取りや決まり事のほうが優先されてしまって、美しい記憶や深い感謝といった心の内側で眺める風景は二の次になってしまう。
それらは今のわたしたちの忙しない生き方を、そのまんま、象徴しているのかもしれない。
本質のまま、ありのままで生きている人は、とらわれない。流されない。
はじちゃんはおそらく、世の中でいう「強い人」ではないけれど、こういうときに、すさまじいなーと度肝を抜いてくれる。もうけっこう長いこといっしょにいるけれど、まだまだ知らないところがあって、おもしろいなと思う。
天国デビューしたうめさーん。安心して次の旅に出てください。お孫さんは、まじ強い人に育っておりますよー。
084 新作MVお披露目の儀〜!
本日!わたくしごとですが、3月5日、35歳の誕生日をむかえました。
育ててくれた両親にありがとうの1日。
大切に産んでもらったこと。そしてまだ生かされていること。
こころからの感謝のきもちをこめて、遠く離れている人たちにもお届けできる「映像作品のお披露目会」を企画しました。
①「自分の感受性くらい」
新作MVリリース produced by
(株)大内義昭ミュージックアソシエイト
②「日本国憲法をうたう」
最新ライブ映像を公開しました。
③「月見ル君想フ」
約40分間のプレミアム配信ライブです。
上記、すべて無料公開です!
どなたさまもお気軽にご観覧ください。
ご覧になってわたしの音楽活動に応援のきもちを持ってくださった方、長年ファンでいてくださり何か贈りたいけどどうしたら!?とウズウズしてくださった方(笑)のために、お誕生日おめでとうチケットもご用意しました!
お祝いチケットで応援は stores から
ご視聴くださるだけでもおおきな励みになります。それぞれの心地よい関わり方で、これからの人生もご一緒いただけましたらうれしいです。
085 誕生日プレゼント
いつも応援してくださるみなさん。たくさんのお祝いコメントや、お誕生日おめでとうチケットのご購入、ほんとにほんとに励みになります。お気持ちを寄せてくださりありがとうございます。泣
3月5日、無事35歳になりました。
勇気を出して新しいことやるときには、快く思わない人も必ず現れる。わたし自身が変容して、昔と姿を変えているのだから、ある意味それは自然なこと。
何通かけっこう傷つくメッセージをもらってずーんと悲しくなっていたけれど、そういうときは「ねえねえ、それでもやりたい!?」と神さまからの確認がきているんだな、と思うようにしている。
誰になんと言われてもそれは「あなたが」やりたいことですか。この先もっと大きな壁にぶち当たっても「あなたが」選んだことを信じられますか。
傷つく言葉たちって、その試験問題のようなもの。その言葉たちこそ、実はほんものの、贈り物なのかもしれない。
ライブが思うようにできなくなって無職が長く続いているので、YouTubeを観ていただけることが今のわたしの救いです。
大切に制作した映像作品たち、ご覧いただけましたらうれしいです。
086 ゆっくりいそげ
誕生日、クルミドコーヒーに立ち寄れてうれしかった。何がうれしかったかって、注文をして、大切なお店にほんの少しでもお金を手渡せたことがうれしかった。
お金は、つまるところ単純に「エネルギー」だから、自分の応援したい場所や人に贈れると、自分のエネルギーが充電されてしあわせなきもちが体いっぱいに満ちてゆく。誰かが丹精こめて作ったものや、空間や、心くばりのひとつひとつにエネルギーを贈ることが、買いものの喜びだと思う。
それにくらべて昨日わたしが配信した「ライブ映像」は、食べられないし飲めないし、空間もなければインテリアとして部屋にも飾れない、指でも当然さわれない。ビジネス講座とかなんちゃらマーケティングとかとは違って、観たって、はっきり言って何の役にも立たないし得もしないだろうと思う。
その結果、歌はエネルギーを贈ってもらいにくくて、音楽という文化はどんどんと枯れてきてしまっているのが現実だ。
だけどね。有名でもなんでもないわたしに、応援チケットを買ってくれる人がまだ、いた。
わたしの歌にエネルギーを贈ることで、自分自身を充電してくれる人が世界に少しでもいてくれた、という事実が、どれだけわたしの35年目の人生の支えになるだろうと思うと、計り知れない。
作品を観てもらえるだけでもほんとにほんとにうれしいから「無料公開」のかたちを選んだけど、結果として、収録にかかった会場費の半分をみんなが手分けして贈ってくれた。もうこれは、わたしだけの作品じゃなくて、みんなの作品なんだなと思えて、今日になって、じわじわ涙がでてきた。
この時代に音楽活動を続けていくのは、正直すごく難しい。生のライブをやることがこんなにも制限されて、数ヶ月先の大きなステージの仕事も全部がキャンセルになって。歌うことをあきらめる理由を数えだしたら、笑えるほどきりがない。
でも、生きているから。生きているうちは、優しいエネルギーを循環させたいから。自分が生きているということがそのまま、誰かの充電になると信じて笑いたいから。
わたしは歌ってないと死んじゃうから、おおげさじゃなく、みんながわたしを生かしてくれている。本物のライブでまたみんなとしあわせを充電し合える日がくるように、背筋をのばしてやることしっかりやってこうと思う。
クルミドコーヒー店主の本の名前を借りて。
今日も「ゆっくりいそげ」で。
087 北風と太陽
月に一度のチーズ工房【千】sen 営業日!週末のまつかなサポートをドタバタと終えて、いっしょにおでかけ。出店者さんたちへのごあいさつもできたし、会いたい人たちの笑顔が見れて、頭しょりしょり触ってもらえてうれしかった笑
帰りがけに、大人気でほぼ完売したチーズの残りを買おうとしたら「ネットで応援チケットの買い方がよくわからなかったから」とチーズの贈り物をいただいて、めちゃくちゃ喜んでいたらなんと、スタッフのみんなからのお手紙といっしょに、お祝いのお金まで同封されていた。東京行きのバスの中でそれを見つけて、また泣いた。
人ってめんどくさいけどあったかいな。
ここ数日ささいなことで泣いてばかりだけど、悲しい涙よりも、うれしい涙のほうがたくさん流れていることが、極上のしあわせに思えた。
人生はチーズよりもさらに味わい豊かだ。
つらいことや大変なことの苦みや酸味は、たいせつなスパイス。たくさん頬張ればよいのではなくて、鼻先でくんくん嗅ぐ香りや、口にふくんだときの舌ざわり、噛みしめた瞬間の旨みをじっくりと味わうこと。そしてほかの素材と出会って初めて生まれる新鮮なコラボレーションを、うんと楽しんでみること。
ひとつひとつを豊かに味わうか、ただ消化して空腹を満たすかは、まいにち、まいあさ、自分が決めることを許されている。
自由をきちんと選ぶ覚悟ができている。そのことが、過剰報道に振りまわされてばかりいた1年前の春とはまったくちがう。
八方塞がりで生活に行き詰まったり、自分が悪いんだと傷ついたりして自殺するおとなや子どもの数は、風邪ひいて死ぬ人の数とは比べものにならないくらい急増している。
根拠のないルールや理不尽な制限に打ちひしがれて無気力になったままじゃなく、わたしたちは考える生き物として、今なにが起きているのかを、あきらめずに目を背けずに、知ろうとしなくちゃいけない。
希望の光が見えないなら自分が放つ。それ以外になにができるというのだろう。
怒りにまかせて訴えるのではなく、あほみたいに楽しくておもしろい仕事しているおとなに、生き残った自分たちがなるしかないのだ。だってもう、発酵して発光する、人生本番のアラフォーなのだからな。
まだ冷たい北風の吹く「千の庭」に、時折やわらかな陽が差してきて、ああ、旅人のコートを脱がせるのは今も昔もやっぱり「太陽」なんだよな、と、これから新たにはじまる物語の1ページめをハラリとめくった感じがした。
088 無我の境地デトックス
突然の激しい頭痛と嘔吐!
ガタガタと寒気がするので、よしジンジャーレモンと生姜スープ作って温まるぞ〜うとか気合い入れていたのに、みるみるうちに症状が悪化し、全然それどころではなくなってしまった。せっかく飲んだ葛根湯もいっしょにみんな吐いたわ。くっそう!←こんなとこまで貧乏性
ひさびさに、無我の境地デトックス。今日は楽しみにしてたレッスンだったけど、土下座キャンセルをして体を休ませてもらうことに。かたじけない・・・
生産できなくなっていた「採れたて音楽」の残り4アルバム分の曲づくり再開と復活レコ、ご依頼いただいた楽曲納品と確定申告と、ファンの方への季節のおてがみ郵送スタートと・・・
脳内が、やるべきことでこんがらがっていたので、強制ストップかかったかな。あわてるとこうなる。天に謝る。すみません。ひとつひとつ、じっくりやるしかないというのに。
ところで今、わたしのファンって誰なんだ。
そこを確認するところから話は始まる。
一度こうして立ち止まって、いろいろ整理してから進まなくちゃならない。これから、わたしの活動は拡大していくから。どんな道もいっしょに歩いてくれる人の顔をちゃんとわかって、もっと大切に励まし合っていたい。
とりあえず今日は、ねます笑
089 ふたこぶ食堂キャロットケーキ
心身のコリをほぐして体調整えるべく、のんびり電車にゆられて川沿いを歩いて、高尾にある充電スポット的なカフェふたこぶ食堂へ。
店主の樹音さんとは、ふだんほとんど連絡を取ったりしないのに必要なときだけピッと電波がつながる感覚があって、会えたときもそんなにワキャワキャ喋ることはないのに、会えてよかったーと体がゆるんで安心をもらえる人。ちょうど、キュートなご友人のまりこさんとも出会えてうれしかった!
魂レベルでの深い癒しは、スピリチュアルなんちゃらとか、にょろにょろヒーリングとかの呼び方をされることがあって、それを施す人は、ヒーラーと呼ばれたりする。
わたしは目に見えない「音楽」を仕事にしていることもあって、まわりにはそういう能力に長けた人たちが自然と集まるし、それにすごく興味がある人も現れやすい。
わたしの歌のファンだと言ってくれる人は、意識にあるかはわからないけど、少なからずわたしのシャーマニックな部分を感じ取って「ビビビ」を感じてくださっているんじゃないかなと思う(や、まったくもって関係ないかもしれんけど笑)。
だけどさ!信頼できている人ならば、みんなみんな、ヒーラーなんだよね。
声きいただけなのに、すうっと落ち着くとか。同じ空間にいるだけで、心の力みがゆるんでほどけていくとか。そういうパワーって、生きてるだれもがちゃんと備え持っている。
それを「霊視できるのは、わたくしの特別なチカラよ、おほほほほー!」とかって弱みにつけこんで依存させる、みたいな人々がわりと多いもんだから、見かけるとうんざりしてしまうしうるせえちょっと黙れよと思っちゃうんだけど(ひどい笑)
きちんと心得ている人は、そういう態度や話術でマウント取ろうとしたり、落ち込んで闇の中にいる人を商いに利用しようとしたりはしない。
むしろ全部をオープンにして、なんでも自由に使ってね〜!と「感覚のフリーハグ」を推奨している。わたしが安心できる人ってそういう人だ。
そんで、さいきん潮目が変わったなと感じるのは、そういうフリーハグタイプ(お人好しでお金稼ぐの超ヘタ笑)な心温かいヒーラーたちが、その純マインドのままで生きていっていい、おおきなゴーサインみたいなのが発動したな、というところ。
惜しみなく分け与えても損しないし傷つかない、むしろたっぷり豊かな恵みの中で泳ぎまわることになる、そんな仕組みがどういうわけか生まれている。
だから、もーぜんぶ出しちゃって、次行っていいよねっ?という確認みたいなコンタクト(実際会いにいったりメッセージのやりとりだったり)が、このところ桜のつぼみみたいにプクプクと増えていて。なんだか不思議な現象もおおくて、すごく興味深いことだな、と思う。
あ、今日は、特にちょっとよくわからないひとりごとを書いちゃったかもしれないけどとにかくですね、樹音さんのキャロットケーキが、神さまみたいに美味しすぎた!という話。
カフェってほんとうに、アーティストの創造する「作品」なんだよなぁ。
窓ぎわのカーテンも椅子もテーブルも壁もクッションも照明も置いてある本も食器も、もちろんほろ苦いカフェオレも優しい甘みのケーキも。どこを切り取っても、店主の愛があふれている傑作なのです。
ありがたい。ありがたーい。
早く体調も万全にしなければっ!
090 このままこのまま
根菜とキノコを強火のオリーブオイルで炒めたら、岩塩をふってストーブの上に移動させ、30分くらい放置して弱火でジュウー。
何にもしなくてめちゃおいしいから、冬の間はこればっかり食べてたけど、ストーブが必要なくなったら・・・と想像しただけでちょっとさみしい。
チーズ工房【千】sen の「つばき」は、パワフルなおちよちゃんの中にある隠れた繊細さが風味に表れているなぁ、とひとくち食べて目をつむった。
Hachigumiさんから購入させていただいた、フルーティーなはちみつとの相性抜群!たまらん。
ふつうにあるしあわせを、大切にあじわって、10年目の3月11日を迎えたいなと思います。正直ちょっと緊張している。
このままこのまま、労おう、労わろう。
明日、この国が平和でありますように。
ゆっくり、おやすみなさい。