嫌だと言わなくなってから、ずっと苦しかった。
オワライ
私は、オワライには関心がありません。
というには無責任すぎる気もします。
見たことがないからです。一度もみたことがないわけではありませんが。
話を合わせるためにみたことはありますし、なんなら面白くもないオワライで面白いように微笑したことだってあります。
そんなきょう。スタンドアップコメディ。
「わらえるでしょうか」
オワライ初心者のわたしは、オワライに馴染めずにいた私は、少し緊張していました。
村本大輔さん。ウーマンラッシュアワーの人らしいです。顔はなんとなく知っていました。なんとなく知っている人が登壇したとき、なんとなく興奮しました。
なくていいものがある
子ども食堂。いい響きですね。
大学の友人で活動している人もいますし、いい活動しているなと感じていました。
村本さん。「子ども食堂。本当はないほうがいいがいですからね。」
私はふと、しました。ほんとだ。ないほうがいいな、と。そうさせている背景をどうにかしないと。
最近感じていたこと。持ちすぎている。作りすぎている。守りすぎている。
なぜ必要か、なぜ大切か、もう二度と出会えないか、今・いま・いりますか?
大きいものがまもられる
村本さん。「福井県には原発が多くあります。」
でも星はよく見えるらしい。電力は何処へ。
私の地元も何度が原発を作るはなしが出ていたので他人事ではないなと、改めて。
沖縄の基地も、似ているような。そんなような。
保育園生・小学生の頃は、大きいものが小さいものをまもるのかと思っていました。いつのまにか、大きいものは小さいものからまもられることを、大きいものは大きいものとなって小さいものと距離をとることを知りました。
えらいひとは嫌いだ、と私も言いたかった。
ずっと言いたかった。でも言わないほうが身のためだと感じていました。
なんだろう。自分を守るためででしょうか。大切な人を守るためでしょうか。嫌いだと言われたくなかったからでしょうか。
いいものを作りたい。そう思っていたら、社会を少しでも変えたいと思っていたら、お金のあるほうへ、お金を持っている人のほうへ。
ほんとうにやりたかったことでしょうか。本当に満足するのでしょうか。これで良いと胸を張って言えるのでしょうか。いい評価が、いい言葉が、目に見える収益が、それらをみて、得て、私は良いと言えるのでしょうか。
私は「営業成績トップ」という言葉が特に嫌いです。ご容赦ください。
いつだって、あなたはあなたで私は私
村本さん。「だいたい私じゃなくて、私たちって言うんですよ。じゃあ、あなたはどうしたいのと問うと、そうじゃなくて、と。」
こうして、こうなって、そうなって、あなたもいつのまにか。
私はそこには行きませんよ、入りませんよ。嫌だから。
私はこうしたいです。あなたはこうしたいです。それで良いじゃない、と思うのであります。
ひとが死んでいる
日本は先進国の中でも自殺率の高い国。
何がそうさせたのでしょうか。
この社会の何が、誰がではなく、なにがだと思います。
人が何かをしたのも、何かがあるからで。誰がではなくて。
ますます、これから、も。
愛しかた
村本さん。「愛国者は愛しかたを知らない。」
あったものがなくなって愛を知ったり、なかったものに触れて愛を知るのでしょうか。わかりませんが。
好きと言って、どこが好き?と聞くと、「ぜんぶ」と答える人は愛国者のようでしょうか?わかりませんが。
私はじわーっとくる、お灸のようなものが愛なのかなと今、そう信じ込んでいます。
笑えた
オワライで、いやコメディーで笑うことができました。
おもしろかった。終始にやにやしてしまいました。(笑)
あっという間の2時間。
村本さん、太郎さん、光さん、みなさん、ありがとうございました。
なにがやりたいか問われる日々。
なにをしているのか問われる日々。
成果が、成長が、評価が大切で。
問題も問題視できなくなっていく。
これが当たり前だと、慣れていく。
馴染みたくない、馴染ませたくないと嫌がりながら、表着されていく。
また、わたしはどこだろうと。
嫌だと言えば、何か思われるのだろう。
面倒臭いことになるのだろう。
縁が大切なんだからと、胡散臭いことを言われるんだろう。
こんなことを言えば、誰も助言をしてくれなくなるんだろうか。
好きなものがある。
好きなものを伝えられる人がいる、時間がある。
そんな時間がとても好きだ。
だから今そこに向かいたいんだ。
私なにをやっているのと。
明日もまた今日をやるのと。
嫌よ、嫌よ、というのよ、私と。
明日が来るからね、私よと。
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