小津安二郎の十代
旅行で伊勢に行ったので、どうせならとレンタカーで松阪まで足を伸ばしました。
松阪には映画監督・小津安二郎をフィーチャーした建物が2軒あります。
「小津安二郎青春館」と「小津安二郎資料室」です。
東京・深川に肥料商人の子として生まれた小津は、10歳の時に父親の郷里の松阪に引っ越し、19歳まで過ごしたそうです。
「青春館」は古い映画館のような外観で、中央には「券売場」とあり、「百円」の文字があるのですが、じっさいは無料です。
中に入るとまず15分程度の映像を案内されるのですが、時間がなくてそれはスルーしました。
中には小津の学生時代の卒業写真があったり、小学生の頃に読んだ本、描いた絵などが展示されてます。
ちょうど3月だったので雛人形も置かれていました。
ちなみに青春館の前のポストは、かなりレトロですが、実際に使われているそうです。通常、投函口は入れやすいように歩道に向いてますが、このポストは写真写りを考えて、反対側に投函口があるのが面白いです。
青春館がある松坂駅のあたりは、以前はたくさんの映画館があったようですが、今ではひとつもありません。
小津は、大学受験を2度失敗しています。しかも試験に受けずに映画を観てサボっていたようです。
で、心配になったお父さんに1年間辛抱しろと紹介されたのが代用教員の仕事でした。それが松坂駅から車で40分くらいのところにある飯高(いいだか)町です。
そこの「小津安二郎資料室」は、代用教員だった頃の資料が豊富です。生徒達と写ってる集合写真の小津は、後年の姿に比べるととてもキュートな感じがします。
当時の住んでいた下宿の位置や生徒達が年をとってからの写真、小津がマンドリンを弾く写真なんかもあります。
小津は、一年間の代用教員をした卒業式を終えると、そのままの格好で東京に向かう汽車に乗ったんだそうです。
一刻も早く東京に行って映画の仕事に就きたかったんですね。
小津作品では、「父ありき」なんかに飯高での思い出が反映されているのだとか。
飯高には芝居小屋もあって、その時の体験が「浮草物語」にみられるそうです。
小津にとって一年間過ごした飯高の日々は、夏目漱石の愛媛での日々のように、その後の作品に生かされてるんですね。