環境問題、学費の問題…若い議員が増えれば、社会的な議論になるはず。(久保 遼)
私は、今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。
私は、福井県福井市で生まれ育ちました。小学校は、福井県勝山市にある××小学校という全寮制の学校に入学しました。その学校には、小さなことでも生徒同士で話し合って決めるという教育方針があり、ここでの教育をとおして、私は「社会のあり方をみんなで話し合って決めていくことの大切さ」を学びました。この全寮制の学校法人には、小学校から高校まで通いましたが、ここでの経験がその後の私の考えや活動に大きな影響を与えました。
政治に関する活動を始めたのは、中学3年生のころです。興味を持った社会問題を調査するという授業の中で、原子力発電所について調べたり、講演活動に関わるようになり、政治の問題に次第に興味を持つようになりました。原発問題に関心をもったのは、福井県で生まれ育ったことも影響しているかもしれません。福井県には複数の原発があり、反対運動を目にする機会が多くあったからです。原発の反対活動をしている地元の人たちから話を聞く中で気づいたことは、民意と政策の間に大きな乖離があるということです。私はこのズレに違和感と悲しみを覚えました。政治や政策が、まったく地元の人たちに寄り添っていないと思ったからです。子どもも若者も、もっと政治に関わっていく必要があるということを、この時に強く思いました。
高校では、和歌山県にある××学校に進学しました。高校では、中学で学んだことを一歩進めて、社会間題が生起している様々な場所でフィールドワークをする機会に恵まれました。環境問題や部落差別など、世の中には様々な人権問題が存在することを知りました。様々な社会問題の中で、私が関心を持ったのは環境問題でした。小さいころから、時間があれば川や森などの自然に触れ合う生活を送っていたこともあり、自然が大好きだったからです。そうした中、スウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリさんが始めた、気候変動に関する国際的な草の根運動である「Fridays For Future (未来のための金曜日) 」や、学校内サークルなどで気候変動問題に関わるようになり、環境政策決定における市民の声の拾い方に関心を持つようになりました。
こうした活動に取り組む中で、フランスや台湾、韓国の若者たちや市民社会の取り組みから、多くの刺激を受けました。例えば、高校1年生の時に韓国に行き、現地の高校生と交流をした際、彼らの政治に対する関心の高さに衝撃を受けました。デモによって社会を変えてきた、という感覚を若者たちが持っていることが、市民が声を上げることや、多様な政治参加の大切さの認識に繋がっていると感じました。
また、フランスや台湾には、市民の声を政治の場に届けやすくするためのシステムやプラットフォームが存在していることを知り、刺激を受けました。たとえばフランスでは、気候変動に関する市民の声を政府に届ける仕組みである「気候市民会議」という制度がありました。台湾では、デジタル担当の政務委員であるオードリー・タンさんが、インターネットで市民の声を集める取り組みを始め、実際に、使い捨てプラスチック製品の禁止を提案した高校性の提案が政策に反映されたという事例があることも知りました。台湾の議会では、市民がネット上で一定数の「いいね」をした論点を取り上げることとされていることや、その論点に関する議論状況がライブ中継されていることにも驚きました。民主主義を育てるシステムには、多様な形があることを知りました。
こうした経緯があり、大学生になってから、若者の政治参加を促進するための活動をしている「No Youth No Japan(以下「NYNJ」といいます。)に参加しました。NYNJでは、周囲の若者に投票に行くように呼び掛けるといった地道な活動に取り組んできましたが、そうした活動を通して、25歳以下の若者が立候補することができるようになれば、投票をはじめとする若者の政治参加がより活発になると思うようになりました。
例えば、環境問題、学費や就職活動の問題などについては、25歳以下の若者は特に強い問題意識を持っています。立候補年齢が下がって若い議員が増えれば、これらの問題が社会的な議論になる機会も増えるはずです。
また、若者には若者だからこその熱量というものがあります。立候補年齢が引き下げられ、最初のキャリアとして政治家になることができた場合には、学生時代に芽生えた問題意識をそのまま政治の場に持って行くことが可能になりますが、現状では、一度社会に出るなど回り道をしなければならず、次第に問題解決への熱量が小さくなり、最終的に政治家になることを断念する若者も出てくるはずですし、これまでも存在したと思います。これは社会全体にとっても、もったいないことです。
今は、若者がさまざまな会課題に取り組んでも、結局は政治家に何かを「お願いする立場」でしかなく、そのことに歯がゆさを感じています。立候補できるようになったからといって当選できるとは限りませんが、若者が自分たちの世代を代表して声をあげられる社会であってほしいと強く願っています。そのような思いで、今回原告になることを決意しました。
以上
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