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若者に政治参加を促す活動を続け至った思いは、“議員の中に若者を”(能條桃子)

 日本が直面する少子高齢社会、中高年男性が多くを占める政治の場に、より長い未来を生きる若い世代の声はなかなか届いていません。そこで、2023年7月10日、東京地方裁判所に、10代・20代の原告6人が「立候補年齢引き下げ訴訟」を提訴しました。若い世代の声が届く社会に向けて、立候補年齢の引き下げを求めるものです。
提訴にあたっては、全員が、声をあげた理由を意見陳述書にまとめて提出しました。彼ら彼女らのメッセージをぜひご一読ください。

 今回は、一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事、FIFTYS PROJECT代表の能條桃子さんの意見陳述全文です。

 私は今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。

  私は、神奈川県平塚市で生まれ育ちました。小学校の時、一番好きな科目が社会授業でした。小学校3年から6年まで同じ担任の先生で、ユニセフでボランティアをしたことのあるような社会意識の強い先生に恵まれ、新聞の読み比べの授業なども社会への関心に繋がったと思っています。
政治との初めての接点は、その先生の推薦で、小学校6年生の夏休みに平塚市が開催していた「青少年議会」に参加したことでした。この取り組みは、こどもと政治を繋げるために行政が自主的に行なっている取り組みで、私は、青少年議員の1人として平塚市について提案したいことをワークショップ形式でグループで考え、市長に向けて質問するという体験をしました。何か変えてほしいことやおかしいと思うことがあるなら、議会のように伝える場所があって、聞いてくれる人がいるということを知った最初の経験だったように思います。

 中学1年生の夏休みには、平塚市が実施している国際交流プログラムで、平塚の中高生の代表団18人の1人としてアメリカの姉妹都市・カンザス州ローレンス市でホームステイをしました。夏休み前からの英会話教室やホームステイの準備、また、現地滞在中の時間や帰国してからの振り返り会などを通じて、市内の別の地域に住む同年代や少し上の年代の人たち、市の職員の方々と交流する機会が多くありました。行政との関わりを持ったり、市役所で活動する機会になり、小学校6年生の時に参加した青少年議会の取り組みに続き、政治や行政が身近に感じる体験になりました。
大学生になってから、私の公共心は平塚での経験に基づいているのではないかと思い出し、青少年議会や国際交流プログラムについて調べたら、現在は市長が代わり、様相が変わっているようでした。こどもたちが好きなテーマを決めて質問することができた「青少年議会」は、民間団体が主催する「ひらっかスクール議会」というものになり、平塚市の魅力施策について高校生たちがアイデアを出すという内容に変わっていました。また、国際交流プログラムについては、予算削減で団員人数の募集が減っているようでした。とても感謝している企画が変化していることに気づかず過ごしていましたが、こうした変化も政治の一つだなと思います。

 私は、中学まで地元の公立学校で過ごしました。当時は強く認識していたわけではありませんが、公立学校には家庭環境も経済状況も学力も多様な人たちが集まっていました。クラスメイトの様子などから、生まれた家庭の環境によって、様々なことが規定されることへの違和感を持つようになっていました。
その後、高校進学の際には、大学受験に力を入れている東京の私立の進学校に進みました。ここで気付いたことの一つが、公立中学のクラスメイトと高校で出会ったクラスメイトの家庭環境や教育背景の差でした。私が通った中学の中には、学力はあったのに家庭の事情で一番近い高校に進んだり、親が生活保護を受けている人もいたりして、誰もが勉強することを歓迎され塾に通える環境ではありませんでした。一方、高校では親が高学歴のサラリーマンとう人が多かったですし、経済的にも余裕があり、教育熱心な家庭が多く、私も含め多くが安全な場にいる人たちに見えました。
エリートというのはこういう人たちがなるんだな、こういう人たちがルールを決めるなら中学の友達のような声はないものにされていくのかなとぼんやり思いました。そのような格差に関心があったこともあり、大学では経済学部に進学しました。この社会の経済の仕組みや経済的な格差など、資本主義経済で起きていることを学びたいという思いでした。

  2016年に18歳選挙権が実現しました。当時、私は18歳で、初めて投票しました。私が思っていたよりも周りの友達が投票に行かないことに気づき、驚いたとともに、これは問題なのではないかと思うようになりました。より深く問題を知りたいと、大学2年生の秋、選挙のボランティアに参加しました。選挙事務所に出入りする中で、ボランティアなどにも中高年層がいかに多いかを実感しました。
大学3年では、財政のゼミを専攻しました。北欧の福祉国家モデルに関心があり、あれほどの高い税率で本当に不服が生じないのか、日本が学べることはないのか、現地で直接聞いてみたいと思うようになりました。投票率が高く、若い世代の政治参加も盛んであるとも聞いていました。こうしたさまざまなことを学びたく、21歳になってすぐの21 9年3月にデンマークに留学しました。

 留学してみると、同年齢の21歳の人が国会議員になっていたり、EU議会に友達の友達が立候補をしたりと、政治の場に同世代が参加している状況に驚きました。また、同世代の友達が、友達の選挙を手伝うということをしていました。それまで、政治というものは上の世代の人がやる遠い世界という印象でしたが、こうした関わり方もあるのだと気づきました。声を上げたら変えられる社会は風通しがよく、被選挙権年齢の制限が18歳であるというデンマークの制度はそれを反映しているように思いました。
デンマークでは、自分が何か問題に直面したときに声を上げたら、何らかのフィードバックがあると感じられる社会だと感じましたが、日本で同じことをすると潰されたり足を引っ張られたりするというイメージがありました。それでも、デンマークで「政治家と国民は鏡、良い政治家がいないということは良い有権者がいないということ」というマインドセットを学び、自分たちからできることをしようと思い、デンマーク留学中の2019年7月に、若い世代の政治参加を促進するための団体「NO YOUTH NO JAPAN」(以下「NYNJ」といいます。)を設立しました。その後、同年秋頃に7ヶ月の留学を終えで帰国し、活動を継続しています。
NYNJは、「Under30のための選挙の教科書メディア」というコンセプトでインスタグラムのアカウントをつくり、選挙のことを解説するところから活動を開始しました。18歳~ 29歳は参議院選挙に立候補することができず、自分たちの代表を送り込めないのだから、せめて投票をして意思表示をしなければ、という問題意識を共有して活動をはじめました。

 NYNJには、デンマークにいた日本人の友達や日本の友達が参加してくれました。グラフィックで選挙に関する情報を発信するメディアは他になかったため、こうした新しい手法が一定の注目を集め、拡散されて、2週間で1万6千人ほどの方がフォローしてくれました。一定の手応えはありましたが、それでも投票率は上がりませんでした。その結果を受け、活動を一過性のものにせず継続させようと思い、一般社団法人にしました。
衆議院議員選挙と参議院議員選挙がある都度、若者に向けた政策だけで討論会を開催し、そこに候補者を呼んだりしました。また、先日の選挙ではT inderというマッチングアプリと連携して、ユーザーに選挙の啓発をするという取り組みも行いました。被選挙権年齢の引き下げについても、毎週、国会議員にも参加してもらってライブ配信をしたり、直接国会議員に会いに行き若者の要望を伝えたりしてきましたが、国会で取り上げられることはあっても、「民主主義における重要な議論」という回答にとどまり、まったく変わらず現在に至ります。

 政策討論会に来てくれる上の年代の政治家たちに、若者の将来不安や気候変動、ジェンダー、世代内の格差など、今の若者にビビッドなそうした政策がまったく響かない感覚が失望に繋がり、自分たちの世代の代表がほしいという気持ちが強くなりました。既存の政治家に若者政策をすることは無理だ、それなら自分たちがやる選択をつくるしかないのではないか、と思うようになりました。被選挙権年齢の引き下げが必要なのではないかという気持ちがどんどん湧いてきました。

 2021年2月に、当時、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長であった森喜朗氏の女性蔑視発言があった際、森氏の処遇の検討や再発防止策を求める署名活動を実施したところ、15万筆を超える署名が集まりました。その署名を大会組織委員会に提出したあと、同年6月ころに、ある政党の国会議員の勉強会に呼んでいただき話す機会がありました。ジェンダーの問題について話してほしいということでしたが、結局、どうしたら若者をうまく使ってオリンピックを実現できるかということにしか関心がなかったように感じました。また、森氏の発言についても、今はこういう発言するとやめることになってしまうから恐ろしいね、という程度の受け止めで、まったく問題意識がありませんでした。
私にとって、このことが今の政治家に期待することはできないという決定打になりました。もちろん一部の国会議員は継続的にジェンダーの問題に関心を持っていることは理解していますが、全体としてはかなり世代間ギャップが大きく、今の日本の政治は中高年中心であると認識しました。

 今、NYNJのフォロワーは10万を超えています。30代以下の人たちの中にも私と同様の問題意識を持ち、なんらかの行動をしようとしています。
ただ同時に、若者の間にも大きな格差があります。上の年代以上に格差は大きいのではないか思うこともあります。「親ガチャ」という言葉がありますが、家庭環境によって人生が違いすぎるということを肌で感じますし、若者で一括りにされると違和感があります。
私は、自分の特権性を認識していますし、そこに意識を向けなければならないと思っています。女性であるために不利だと感じることはありますが、恵まれている要素も多いです。若者について、「意欲的で、頑張っていていいね」とまとめられることにも大きな違和感があります。話すことができる若者を連れてきて話をさせるのではなく、議員の中に若者がいないといけないと思います。若者自身が政治家になる必要があるし、さまざまな境遇や能力、資質を持った若者がいる中で、多様な人が政治家になれるようにするべきだと考えています。

 これまで、いろいろな方法で被選挙権年齢引き下げの運動をしてきました。
国会議員に話をしに行っても、総論では賛成でも、自分たちの潜在的な対立候補が増えるような事柄に積極的に取り組みたいと思う人は少なく、若者の権利より自分たちの利益を優先するような回答も多くありました。
現在の国会議員には、当然ですが被選挙権がない人はいません。権利がないことを問題視するときに権利がある人たちが決める立場にある場合、その説得は難しいと感じています。もちろん国会議員などへのアドボカシー活動路線も続けていく予定ですが、裁判所という論理で判断する機関に持ち込みたいと考えるようになりました。

 私は、今年3月告示の神奈川県知事選に立候補届を提出し、不受理になりました。もちろん不受理になることは初めからわかっていましたが、実際に排除されるという経験をすると、やはり怒りや憤りが湧いてくるんだなと思いました。投票はしてもいいけど、投票される側にはなれないんだよ、そこまで成熟してないんだよ、と突きつけられたと感じました。社会の一員として認められないということなのではないかと思いました。
現在の日本や世界を取り巻く課題には、気候変動や人口縮減問題、人権、教育、ジェンダーや家庭環境による格差の問題など、若い世代が当事者であり、かつ、長期的な視点が必要な課題が多くあります。しかし、これらの問題に神奈川県が取り組むことができるポテンシャルは十分ではなく、責任を果たすに足る候補者についても、有権者の持てる選択肢が十分ではないと認識しています。こうした視点を持ち込むためにも、候補者になる権利が私の年齢にもあるべきだと思い、このように被選挙権年齢引き下げを求めます。

 最後に、被選挙権年齢に関し、「若者が望んでいるのか」という意見があります。ここに1人、望んでいる若者がいると答えると同時に、権利というものは得られて初めて自分にあるものだと認識できる側面があるということを伝えたいです。例えば婦人参政権の実現も、それに至る過程で全ての女性が必要だと望んだわけではなく、権利を得られた後に、自分も参政権がある男性と等しい存在なのだと認識することができました。私は、私たちの活動を通じて多くの若い世代をエンパワメントして、自分たちにも立候補する権利があるのではないか、未熟と年齢を理由に判断されるのはおかしいのではないかと伝える努力をしていきたいと考えていますが、権利がないときに、権和がある存在だと認識することは難しいということは、理解していただきたいです。そして、この裁判での議論を通じ、その対話が若い世代を権利主体として十分な存在であるとエンパワメントするものであることを願います。

以上

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