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社会課題を解決するため、自分とは無縁と思っていた政治家を志すように。(吉住海斗)

 日本が直面する少子高齢社会、中高年男性が多くを占める政治の場に、より長い未来を生きる若い世代の声はなかなか届いていません。そこで、2023年7月10日、東京地方裁判所に、10代・20代の原告6人が「立候補年齢引き下げ訴訟」を提訴しました。若い世代の声が届く社会に向けて、立候補年齢の引き下げを求めるものです。
提訴にあたっては、全員が、声をあげた理由を意見陳述書にまとめて提出しました。彼ら彼女らのメッセージをぜひご一読ください。

 今回は、合同会社トンボ 代表社員の吉住海斗さんの意見陳述全文(一部加筆修正)です。

 私は今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。

  私は、物心がついたころから、両親による身体的・精神的な虐待を受けていました。父親が違うことがきっかけで、3人兄弟の中で自分だけ虐待を受けるようになったのだと思います。暴力を受けたりするほか、学校に行かせてもらえなかったりしました。友達が自分のあざを見つけてくれたこともあったのですが、虐待した親が逮捕されたニュースなどを見ていたので、家族の生活や家族との未来がなくなってしまうことを恐れて、ずっと他人に言えませんでした。

 中学2年生の時、親の意向で移動教室に参加しないという書面を出したところ、先生が「本当は移動教室に参加したいのではないか」と聞いてくれて、私は本当は参加したいことを伝えました。そうしたところ、先生が三者面談で父親を説得してくれたのです。その時の先生が、父親と対等にわたりあっていてカッコいいと思ったことがきっかけで先生を信頼するようになり、初めて虐待のことを話しました。このころから、私の将来の夢は学校の先生になりました。
先生の尽力もあり、私は都内の児童相談所で一時保護されることになりました。4か月の待機期間中は学校に通うことができず、外部の人との接触もできない閉ざされた環境の中で、厳しい規律があったり、毎日、模写やランニングなどを強要され、地獄のような日々を過ごしました。

 その後、私は都内のある児童養護施設で、高校2年生の終わりまで過ごすことになりました。当初は、児童相談所に比べると天国のように感じました。お小遣いももらえるし、部活動をすることも許されていたからです。しかし、他の家の子は、遊びや習い事も自由にできるんだということを知り、かえって辛く感じていた時期もありました。また、お金の使い方や外出の管理が厳しく、息苦しく感じるようにもなりました。交際相手とカラオケに行くのも容易ではなく、厳しい規律に抵抗する私に対して、寄り添ってくれる職員さんもいれば、私のことを悪い子だと言う人たちもいました。
ある時、納得のいかないルールになぜ従わなければならないのだろうと思い、椅子を積み上げてバリケードを作ることで抗議をしたところ、暴力的な主張方法だと言われ、退所を迫られてしまいました。

 実家には当然帰ることができませんし、新しい施設に移るにも年齢が高いため難しく、結局、祖母の家に行くことになりました。ところが、その後すぐ祖母が病気になってしまい、私が介護するようになりました。毎日、20キロの通学路を自転車で通い、授業が終わったらアルバイトをしてお金を貯め、祖母の介護をする日々でした。
都内の施設にいた頃にアルバイトで稼いだお金は、親権者である両親に勝手に使われてしまい、生活保護を受けていたかったために生活は苦しく、役所に行っても職員の方は全く取り合ってくれず、困り果てました。そんなとき、近くにあった子供家庭支援センターの職員の方のおかげで生活保護を受けることができるようになり少しずつ貯金をすることもできるようになって、大学の費用を貯めることができました。学校の先生になるために、大学に進学しようと頑張っていました。

 そして私は、児童養護施設出身者であれば学費が半額になる明星大学に進学し、大学の近くで一人暮らしをするようになりました。
大学2年生の頃、施設で育った人たちのドキュメンタリーのような映画製作に参加した際、たまたま、東京の清瀬市にある「子どもの家」を訪れました。そこの子どもたちは元気で、職員は楽しそうに働いていて、私が育った施設とは全く雰囲気が違いました。過去にルールに抵抗して退所させられた話をしたところ、「そんなふうにルールに反感をもったり抵抗をしたりする子はたくさんいるよ」と言われ、そうした懐の深さや雰囲気が、施設によって全く異なることに私は驚きました。

 児童養護施設で働く職員は、学校が指定した実習先にそのまま就職している人がほとんどですが、ミスマッチも多く、新人の離職率の高さが問題になっていました。そこで、私は児童養護施設内部の雰囲気が第三者から全く分からない構造こそが問題だと思い、児童養護施設の雰囲気を見える化する求人プラットフォームを作ろうと思いました。
大学を卒業したら普通に就職をしようと思っていましたが、自分のやりたいことをしようと決意し、求人プラットフォームを作るためにクラウドファンディングを立ち上げたところ、約240万円もの寄付が集まりました。私はすぐに合同会社トンボを立ち上げ、大学を卒業してブランディングを行う会社で働く傍ら、自分の会社で求人プラットフォームの運営を行っています。仕事を頑張ることで、児童養護施設出身者であったとしても結果を出せることを証明し、その経験を児童養護施設の子ども達と共有し、彼らの希望になれるような活躍がしたいと思っています。

 クラウドファンディングを行った時に出会った方から、今回の訴訟の話を聞いたとき、過去に私が椅子を積み上げて抗議したようなアプローチではなく、公正な議論を通じて社会の間題を解決するという方法があることを知り、それまでの自分の行いを反省するとともに、この訴訟に関心を持ちました。
私は、政治とはもっとも遠い世界で幼少期を過ごし、施設にいたときも政治とは無縁でしたが、大学生になってからは、選挙などを通じて政治を身近に感じるようになっていました。そして、社会の問題を解決したいという思いから、ゆくゆくは政治家になりたいと思っていました。しかし、この「ゆくゆくは」という感覚こそが今の社会の枠によって規定されてしまっているものであり、立候補年齢が決まっていて若者自身が政治家になれないことが分かっているからこそ、若者の政治参加が難しくなっているのだと思います。若者にとって政治家になるという選択肢がファーストキャリアとして存在しないために、政治が縁遠く感じられてしまっていますし、実際にごく一部の限られた層しか政治家になろうとしないのだと思います。このような状況では、児童養護施設出身者や関係者を含む社会のさまざまな声が政治に反映されることは難しいだろうと思います。私は、ファーストキャリアとして政治家という選択肢がないことが、一番の問題だと思っています。

 立候補年齢は社会経験や思慮分別が求められるからこそ設けられたとのことですが、社会経験や思慮分別があるかどうかを決めるのが選挙だと思いますし、若ければ社会経験が足りないとか、思慮分別がないというわけではないと思います。年齢が全てではないと思いますし、18歳だと声があげられないというのはおかしいと思います。

  私は、2023年4月16日、供託金30万円を納付したうえ、調布市市議会議員選挙に立候補するため立候補届を提出しました。しかし、満25歳以上という年齢要件を満たさないという理由で立候補届を受理してもらえませんでした。調布市役所で立候補届が受理されなかった時の対応を見て、お役所仕事だと感じました。かつて私が、生活保護の申請を拒否されたときのことを思い出したからです。何かに困って役所に行くとき、その人たちがラインに達していないことだけを理由に機械的に処理されるような対応を、私自身は今後の人生で取りたくないと強く思いました。

以上

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