【第3回期日 傍聴記】若い世代の正当な権利を認めてほしい。私も日本の司法を信じたい。
霞ヶ関にある東京地方裁判所。
テレビや新聞の中でしか見ないような場所に、数ヶ月に1回のペースで通うことになるなんて、少し前の自分に話しても信じてくれないだろう。
私が生まれて初めて傍聴に行った裁判。それが、立候補年齢引き下げ訴訟である。
3月14日は、3回目の期日だった。私が傍聴に行くのも3回目。初回は緊張して行ったが、今回は緊張よりもワクワクしていた。
そもそも、なぜ私が裁判の傍聴などという大それたことをすることになったかを説明しよう。
私はNO YOUTH NO JAPANという一般社団法人で活動しているのだが、その代表であるももさんこと能條桃子が裁判の原告になると聞いたからだ。
最初に聞いた時は、またももさんが何かを始めようとしているぜ…今度はなんだろう?と思った。
しかも、原告になって裁判をするという。なんでまたそんなラディカルなことを…!?と頭の中に?マークがたくさん浮かんだ。
でも、話を聞いてみたら、ラディカルなんかじゃない。私を含む若い世代の人たちみんなに関わる問題に、声をあげている、いつものももさんだった。
ももさんをはじめとする原告や弁護士の方の説明を聞いて私なりに解釈した今回の訴訟を言葉にしてみる。
今、日本で投票できるのは、18歳から。でも、投票する先である、選挙の候補者になれる、もしくは立候補できるのは、25歳か30歳から。その間には、7歳から12歳にも及ぶ乖離があるのだ。それって、おかしくない?私たちが投票するのは、私たちの代表じゃないの?
と、声をあげているのが、原告であり、それを支えるのが弁護団の皆さんだ。
7歳から12歳に及ぶ選挙権と被選挙権の乖離。これは、何を意味するのだろうか?
今回の期日では、西愛礼(よしゆき)弁護士が7分間のプレゼンをしてくれた。西弁護士が話していたことの中に、答えがあった。
そうだ、選挙権が18歳からあるのに被選挙権が25歳もしくは30歳からしかないという状態は、民主主義の根幹を揺るがす問題なのである。
さらに、西弁護士は憲法学者の杉原教授の言葉を紹介していた。
24歳以下の私には、投票はできても、立候補する権利は無い。だから、代表者になって、自分や周りの人が困っていることや変えてほしいことを声に出すことができない。今の状態では、25歳以上の人が行う政治を傍観するしかないのだ。
それでは国は、24歳以下の私たちのことを何と言っているのだろうか?
国の主張は、25歳以上の人には「社会経験から出て来る思慮分別がある」というものだ。ならば、24歳以下の私たちには思慮分別がないのだろうか?
私は、決してそうではないと思う。私は私の経験をして生きてきたし、今いろいろなことを学び考えながら生きている。私の周りの友人たちももちろんそうだ。
西弁護士はプレゼンの中で、力強い言葉を述べていた。
そうなのだ。私たちが持っている能力も、経験してきた事柄も、一人ひとり違う。一人ひとりユニークな視点で社会を見て、生きている。ある年齢に満たないから思慮分別がないと主張するのは、その事実を無視した差別だと私も思う。差別は、苦しみや不利益しか生まない。一刻も早く無くしてほしい。
西弁護士はこう締めくくった。
今の国会で議論できるのは、すでに25歳以上の国会議員だけだ。私たちは、議論の場に行くことができない。現職の国会議員の中には、18歳以上24歳以下に被選挙権を与えたらライバルが増えると予想する人もいて、なかなか議論を進めてもらえないかもしれない。
それなら、私も日本の司法を信じたい。平和主義と共に国民主権と基本的人権を堅持した憲法に照らし合わせて、若い世代に正当な権利を認めてほしい。
裁判官の皆さん、私は、私たちは、見ています。
2024.3.18
NO YOUTH NO JAPANメンバー/大学生 三村紗葵
▲第3回期日報告会の様子はYouTubeで公開しています。ぜひご視聴ください
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