母がくも膜下出血に命を奪われる一部始終
母の死は突然だった。
遡ること今年の5月、日本行きのチケットを予約した数日後、就職のオファーが来た。ようやく待ち侘びていたこのオファーを優先するか、母と約束していた旅行を優先するか。このオファーを断れば、就職が遅れるかもしれない。けれど日本へ行かなければなぜかその時、後悔するかも、と感じた。
今思えば虫の知らせだったのかもしれない。
私は仕事のオファーを断り、日本へ一時帰国することを選んだ。
母と久しぶりに会えることが楽しみだった。
普段はお互い日本で国で暮らしていないため、母にとっても夏休みであった。
母が日本へ着陸した数日後に、私も同じ家に帰ってきた。
二人きりの夏休みだった。
帰ってきたその日、二人とも頭痛を抱えていた。飛行機のせいかな?と話ながら私たちは頭痛薬を飲んだ。母は数日間飲んでいるようだった。
その日の夜、母と些細なことで揉めてから、口を聞かなかった。
お互い明日は早いからと、同じ部屋ですぐに寝た。次の日はおばあちゃんの家に行く予定だった。
その日の朝、私はなぜか5時に起きた。いつもだったらアラームが鳴るまで寝ているのに、1時間も早く起きてしまった。
トイレに行った後、ベッドに戻ると母はまだ寝ていた。
うとうとしていると、母のアラームが鳴り、母はリビングへ移り、私はベッドに残った。
数分後、声が聞こえ始め、歌っているのか?と思いつつも、これ以上寝てられないと思いベッドから起き上がり、リビングへ向かった。
すると、頭が痛いと訴えている母がソファに横たわっていた。母は痛みに強いのを私は知っていたから、救急車を呼ぶか聞いてみると、断らなかった。
一見大ごとには見えないようにも感じたが、相当な痛みであるはずだと判断した私はすぐに救急車を呼ぶことにした。
電話越しにたくさんの質問をされる中、母の状態を説明していると、母の様子が突然変わってきた。
後頭部が割れるように痛いと言った。どんどん痛くなってきたと言った。
焦りながらも電話越しで頑張って状況を伝えようとしていると突然、母が壊れてしまった。
目はもうどこを見ているかわからなかった。両目が大きく開き、舌は飛び出ていて、体は痙攣していた。汗もたくさんかいていた。
今までの母がもう戻ってこないような気がして、怖かった。そんな母をパニックになりながらも抱きしめた。
救急隊が向かっていると聞いてから、5分弱で到着した。
彼らが母を救急車へ乗せる準備をしている間、父に電話をした。父と妹が住んでいる場所は夜中の3時半。なかなか電話に出てくれなかった。
最後のワンコールで切れそうな瞬間、父と繋がり状況を説明しようとしたが、パニック状態だった私はうまく状況が説明できなかった。
救急隊の人が代わって、父に状況を説明してくれた。
検査が終わって病院の先生と話すと、くも膜下出血だということを伝えられた。
これから4時間の手術をすること。2週間はどうなるかわからない状態が続くこと。
電話越しに聞いていた父が涙するところを私は初めて見た。
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