金沢へ向かう車中にて ひきこもりと親との関係、ひきこもる人への処方箋
KHJ全国大会in石川 へ向かうJRの列車はひきこもり家族会の母親のTさんと一緒でした。今回の全国大会への参加は、私もTさんも、KHJ支部であるなでしこの会から派遣してもらいました。Tさんは私と同じ歳の頃の息子さんがいらっしゃり、話を聞きたいと言って頂いていたので事前に指定席の番号を伝えて隣り合わせて行くことなったのでした。
私の話をしましょう。引きこもり出したきっかけとして決定的な何かがあったわけではないと思っています。元々、幼稚園や小学校の頃から休みがちではありました。プールの授業が嫌だとか、プールの前後で着替えるのが嫌だとか、同級生男子が子供じみたちょっかいやいじりのような絡み方をしてくるのが嫌だとか、宿題や自分でやると決めた勉強が終わらなくて、そういった小さな嫌なことが積み重なって、朝になると行きたくないという気持ちがドーンと大きくなって休んでしまうことがありました。朝起きるのは今でも苦手です。小学校3年くらいの国語の授業で詩を書く課題で、朝、眼は覚めるのだけども身体が重くて起きられないしんどさをテーマにして「体がふとんにしばりつけられている。」と繰り返す作を書いたことを今でも覚えています。学校を1日休むと決めるとちょっと楽になり、その日は今日の分も家でしっかり自習して遅れを取り戻して明日から復帰するぞ、と思うのですが、往々にして次の日はより多くのエネルギーを必要とするものです。
まとめると、自分と周りのペースとが合わなくて、日常のストレスをうまく対処できなくて、疲れてしまい、限界が来て休息を必要として避難する、ということの繰り返しであったと思います。そして、この問題は今でも完全に解消はしていなく、睡眠の長さと何かにつけ時間がかかることは私の一番の課題です。小学校の作文から、大学のレポート、論文と、アウトプットにとても時間がかかります。書きたいことはあっても頭の中を整理するのにとても時間がかかり、そんな時間のかかる自分が嫌になり気が重くなってきます。今この文章も、ページを開いて画像を用意してから10日以上、まず書き始めることができず、一向に完成せずにいます。「完璧主義なんじゃないか」とか「質を求めすぎなんじゃないか」とかも昔言われましたが、単純に事務処理能力が追いついていないと思います。盛り込みたいことが多くあり欲張りなのかもしれないとは思います。
僕らのような発達障害のある者は極端に振れがちなので、「ほどほどにする」「折り合いをつける」ということを覚える必要があります。大学の哲学の講義で、中庸という考え方を学びました。古代ギリシャのアリストテレスも、儒教でも、仏教でも共通して大切だと言っていますね。何事もやりすぎは良くないのです。健康に良いからと同じ物を食べすぎたりとか、人との会話で一方的に話しすぎたり、の様に。
Tさんの息子さんも私と同じで、よく新聞を読むと言っていました。私は今、中日新聞と日経新聞の2紙を読んでいます。そして忙しくて読みきらなかったものが溜まりがちでもあります。ひきこもりは「意外にも」政治や社会問題について関心が高い人が割といますね。これは自身、そしてひきこもり経験のある人たちとの話でも、KHJの研修でも言っていました。ひきこもっていて家から出るのもままならないのに、選挙にはちゃんといかないといけない、という信念を持っていたりします。逆に世の中で働いてまともそうな顔をして生活している人たちの多くが新聞も読まず、投票にも行かない人が過半数を超えている中で、このアンバランスさは何なのでしょうか。世の中と繋がっていない反動なのでしょうか。いや、そうではなく、たぶん、こうあるべきだ、あらねばならない、という理想が高いゆえに、そうできていない自分に対し怒りや限界を感じてしまい、ひきこもりに繋がっているような気がします。そこに対する処方箋は、「ほどほどにする」「折り合いをつける」、ある種のあきらめを覚えるということであるように思います。決して理想を捨てろ、というのではありません。理想や信念は必要です。ただ本当に大切なものを守るために、他の部分は譲る、柔軟な心を持っていないと、結局自分が折れてしまうのではないかと思います。その折り合いをどこでつけるか、という判断が難しいのでありますが、それは集団や組織の中で揉まれる中で身につくスキルだと今は思います。私も幾度となく学校や仕事をドロップしてきた身なので簡単でないのはわかります。しかし一人でひきこもっている中で自分の信念を高めることはできても(そしてそれが無駄だとは思いませんが)、現実に折り合って生きて行く力は身につかないと思います。
、、、こうした話を今ひきこもっている人に届けたいと思うのですが、親から伝えるのはなかなか難しいですよね。私も二十歳前くらいでひきこもっている最中には、親から言うことを聞こうとはあまり思えませんでした。まだ自分の感情を理解することもうまく対処することもできず、イライラが募って家の中で暴れて物を投げて壊したりすることがありました。
私の母は、頭がよく、気が利いて、何かと先回りして動いてくれる人でしたが、ちょっと神経質で心配性で、思い込みの激しい面もありました。父は、能天気であまり人の気持ちが分からず、言うことがコロコロ変わり、私をイラつかせました。私はADHDとASDの発達障害の診断を受けていますが、恐らく父、そして祖父も同じ障害があったと思います。母は父との間にまともな会話が成立せずに、私の幼少期に激しい喧嘩をしていました。恐らくカサンドラ症候群だったと思います。私は父から何かを教わった記憶がありません。幼少期にいろいろなところに連れて行ってくれはしましたが、その後に、人として感謝を伝えたり、怒られたり、ということを教わらなかったので、勉強はできましたが、人として何か欠けた、不遜な人物ができあがったように思います。思春期になる頃には私は、両親ともあまり口を利かなくなりました。自分で勝手に学べることは学ぶようになりましたが、人に何かを相談したり、適切な距離を保つコミュニケーションができないようになったのはそうした経緯からだと思います。そんな両親でしたが、共に専門職と呼ばれる仕事をしており、外から見るとあまり家庭に問題があるとは見えなかったと思います。私と弟を扶養する十分な稼ぎを得て、父はなでしこの会や、町内会の仕事なども文句も言わずにこなし、一般的には社会に適応できていると言えるのでしょう。
中学以降に私が不登校になり、父がなでしこの会と関わって、会に行かないか誘われたことがあったように思いますが、そのときはとても親の勧めることを素直に聞こうと言う気が起きませんでした。私自身のひきこもりの解決に親の会が何か役だったかと言うと、残念ながら思いつくことがないのです。私はひきこもりと社会復帰を幾度と繰り返して、何とか繋がった、自ら手繰り寄せ出会った人の縁で今の仕事や環境があります。ただ、壁にぶち当たってひきこもり時期に入り、鬱で毎日寝たきりになっていた時期に、経済的に心配することなく安全にいられる場所があったことは私が親に感謝すべきことだとは思っています。
当事者会で他のひきこもりの人たちの話を聞いていると、幼少期に親から酷い育て方をされた、虐待に近いような、肉体的な暴力はなくても精神的に痛めつけるような呪詛の言葉を言われ続けたとか、兄弟に比べ差別的な対応をされて人格形成に影響していると思われるような、そんな過酷な体験をされてきた方々もいらっしゃいます。そうして早く家庭を出て一人暮らししようとされて、メンタルの問題を抱えてそれでもなんとか生活保護や障害年金を受けて懸命に生き延びてこられた方もいます。
そうした方々を思うと私は恵まれた環境にあったと思います。私やTさんの家庭では、ひきこもりの原因となる決定的な過ちというのはなかったと思います。あのときこうしていたら、というifの話は考えたらキリがないと思いますが、あまり意味はないです。自分が悪いとは思わないでください。今まだ解決していない問題があって、大変な思いをされていると思います。簡単には言えないのですが、いろいろな人と繋がって、支援機関や社会の制度を頼って、これからのことを前向きに考えていって頂きたいと思います。
さて、当日車内で話したことからも大分脱線してしまいました。まだ書き足りないことはおいおい掘り下げていけたらと思います。ひとまず、今回はこれで。