暇な職場を退職した話
いつもありがとうございます。ひきこもごもです。
一部の憧れ戦略的窓際族
私、とある仕事において、とても暇に過ごしておりました。
誰に指図されるでもなく、なにか期限に追われるでもなく、日がな一日のんびりと仕事をしておりました。
育休で立場を失い、主要プロジェクトから外されてから、特段追い出されるではなく、なんとなく居心地の悪い日々を過ごしておりました。
給与を下げられたわけではありませんし、賞与も変わらず中央の評価で、不利な人事や契約を迫られたわけではありません。会社は非常に、いわゆるホワイトでスタッフもそれをよく理解をしていて、嫌がらせ行為などがあるわけではありませんでした。
むしろ私の問題として、「いたたまれない気持ち」というと適切かはわかりませんが、長期戦線離脱後、メインメンバーから外されて、自分では平気なつもりでしたが、少し寂しく感じていたのかもしれません。
本来であれば会社や同僚に育休の恩返しをするべきなのですが、復帰後1年半の間に恩返しできそうもない現実も認識しました。子どもはすぐに体調を崩します。行き渋りで遅刻したこともありました。保育園から感染症を持ち帰り一家全滅も経験しました。子どもの肺炎で入院したこともあります。手続きも非常に多いです。とにかく、大人だけのリズムについていけない現実を受け止めるほかありませんでした。また、求められていない状況も目の当たりにしました。プロジェクトは逆算して進行します。そんな頼れないメンバーであればわたしがチーム招集側でもメンバーに選ばないでしょう。
このじっくりとした居心地の悪さと、感染に強さを獲得してきた3歳児の変化を受け夫婦でよく話し合った結果、退職の意向を伝え退職日が決定したのち転職活動を行い、同じ業界で転職先を見つけ内定をいただきました。就業規則や労使協定には退職後の取り決めはありませんでしたし、常識に照らしても遠隔地なので直接の競合ではないと言えるかもしれません。
頼られないことは得と考えていた
Z世代よろしく、昇給に希望を持っていない世代である私も同様に、「モーレツに企業に貢献しても使いつぶされるのがオチ、自分の身は自分で守らなくてはいけないし、自分だけの価値観や幸福を拾い上げるような生き方をしたい」と考えていました。極論としては自分が出世の道を失い、主要メンバーではなくなることは結果的には得であると考えていました。しかしいまのじぶんの心の反応を見る限り、きっと頼られたい気持ちや貢献したい気持ちは遺伝子に刻まれた根源的な欲求なのではないかと考えるようになりました。
熱心に働いてみる
次の職場では意欲を持って今一度主体的に、多少の無理を楽しみつつぐいぐいと頑張ってみようと思います。それが楽しみに繋がりうると考えるようになりました。給与は下がってしまう結果となりましたが、命の源は幸い無事ですので、そちらが育つまでいまいちど頑張ってみようと思います。
8月のショック相場から、最大で900万円まで減らしてしまった資産ですが、ようやく1100万円まで戻してきました。一時は1300万あった資産から考えればまだまだ酷い成績ですが、それでも今回のショックで狼狽しなかったことは評価しています。
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