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【ムラコのコラム】 ふつうの話

市井悠人/いちい・ゆうじん

 今回このコラムの執筆を依頼されて何を書こうか考えた。コピーライターでありながら文章を書くことが苦手。SNSはやらないし本もほとんど読まないから、驚くような情報も知識も持ち合わせていない。でもせっかく誌面を割くのだから読者の心にさざ波くらいは立ててみたい。困った、どうしよう。こうなったら腹をくくって「ふつうの話」を書いてみよう。

 「普通」という言葉にあなたはどんなイメージを持っているだろうか。「若い人は個性がない」と言われて久しいので、もしかしたらネガティブなイメージを持っている人の方が多いかもしれない。かく言う私も若い頃は人と同じことが大嫌い。普通を嫌悪した、わかりやすくこじれた青二才だった。子どもの頃、密かにこう思っていた。「宇宙人が地球人のサンプルを捕まえるとしたら、わが家はぴったりだな」と。サラリーマンの父と共働きの母に、長女・長男の4人家族。ローンで購入した郊外の建売住宅に住み、他の家と比べて変わったところ(例えば自営)、劣っているところ(例えば貧乏)、優れているところ(例えば名家)がない、昭和末期から平成初期の日本の家族を攪拌したらできるであろう家族。私は「普通すぎる」とつっこんで、大学進学を機に家を出た。その後東京で就職、30歳をこえて結婚、やがて子どもができた頃。そこにいたのは、郊外に建売住宅すら買えず、経済的な理由で2人目の子どもをあきらめようとしている、普通すらままならない自分だった。

 クリエイティブの仕事をしていると、特に話題にならない、いわば普通の番組・広告・デザインの裏側で、多くの人が汗を流し、もの凄い時間とお金が費やされていることを目の当たりにする。消費者の目が肥え、クリエーションの嘘がいともたやすく見破られる今の時代、普通のレベルは加速的に上がっている。クリエイティブに携わる者としてはなんとか突出しようともがくのだが、画期的と思ったアイデアを磨きに磨いて世に送り出しても、なかなか普通のハードルを越えられないのが現実だ。

 あらためて思う。普通(=平均的)は偉大だ、と。家庭を持ち、妻と子どもを養うこと。お客さまをそこそこ満足させること。当たり前のものとして社会に在ること。大学時代、ある友人は就職先の条件を「毎日きっちり定時に終わって帰って酒が飲めること」だと言い切り、迷うことなく役場の公務員になった。「向上心がなさすぎる」と軽蔑する人がいるかもしれないが、自信を持って普通の道を選べることは素晴らしいし、それもまた才能だと思う。社会に出て揉まれるなかでやっと“アンチ普通病”が治った私は、普通を積み重ねることで高みを目指していこうと心から思えるようになった。もちろん、コモディティー化を啓蒙しているわけではない。突出したもの、異質なものは目を引き憧れを抱きやすいのだが、ありふれて目にも留まらないものにも同じくらい、いやそれ以上に価値があるということを忘れないでほしいのだ。ちなみに、かつては思春期特有の病と思われていた“アンチ普通病”だが、最近の研究で大人も患うことが分かってきた。既婚者が平穏な暮らしに飽き足らずにパートナーとは別の異姓を求める「不倫」もこの病の一種と考えられている。

 前述の通り私はコピーライターをしている。早いもので今の会社に入って20年以上が経った。同業の友人にこの在籍年数を言うと怪訝な顔をされる。この業界で一つの会社にこれほど長く勤めるのは極めて稀で、早い人は1か月、長くても3年で辞めていく、らしい。とにかく労働環境が劣悪で、勤務時間・給与・福利厚生のどれもがめちゃくちゃ、らしい。幸いにも、というか奇跡的に私は普通のデザイン会社に巡り会うことができたが、確かにこの業界には「クリエイティブなんだから徹夜は当然でしょ」「好きなことでご飯食べてるんだから仕方ないよね」みたいな空気がある。最先端やトレンドが前時代的な現場から生み出されるパラドックス。なんとかならないものか。

 いろんな意味で、クリエイティブの仕事がもっと普通(=健全)になればいいと思う。徹夜が続けば続くほどクリエイター生命は短くなるし、徹夜が仕事のクオリティーを押し上げることは経験的にも脳科学的にもない。新人をアシスタントという名のもと格安な労働力として使い捨てるのではなく、一般企業と同じように会社と業界の未来を担う人材として長い目で育ててほしい。逆に、時間や身なりがルーズだったり「クリエイティブだから」の一言で許されてきたことは正していくべきだと思う。

 そろそろこの辺りにしよう。皆さんにこのコラムが普通に読まれることを願って。

〈ムラコのコラム/2段目・完〉

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【今月のムラコ】市井悠人/いちい・ゆうじん
1974年福岡県生まれ。東京・恵比寿のデザイン会社に勤めるクリエイティブディレクター。非常事態宣言下での生活を経験してあらためて、SNS映えしない淡々とした日常を愛おしく思う今日この頃。

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