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労働に働きがいを全く見いだせない人は人生の負け組


当たり前の話ですけど労働に全く働きがいを見いだせない人は人生の負け組です。これは間違いない厳然たる事実だと思います。大部分の人間は生きてる限り否応なしに労働のために人生の時間の大半(と言うかほぼ全て)をつぎ込むことになります。人間は将来立派な労働者になるために幼い頃から勉学に励み、立派な労働者になれるように技術を身につけ、立派に労働するために就職します。就職しなくとも労働するために、起業しますし自営しますし何かしらの労働には従事しなければなりません。いずれにせよ特殊な環境にある人間で無い限り労働から逃れることは出来ません。何故なら生きるためにはお金が必要ですし、お金を得るためには働かなければならないからです。こんなことは誰でも知ってるので言うまでも無いでしょう。当たり前のことです。

しかしもしその人生の大半を注ぎ込まざるを得ない労働がただただ苦痛にしか思えない物であった場合、その人の人生は絶望的な物になります。つまりは負け組です。当然のことでしょう。ただただ苦痛に満ちた苦行にしか思えないつまらない作業のために人生のほとんどの時間を費やし、そのために研鑽し切磋琢磨し自分を磨き続けなければならないのですから(私のように全く切磋琢磨しない人もいるでしょうが)。そして恐ろしいことにその苦行を場合によっては人生のほぼ終着点の近くまで続けなければならないのです。と言うか最近の社会情勢などを鑑みると今の若い方などが人生ギリギリまで労働にその身を費やさなければならないのはほぼ確定でしょう。今の年寄りは昔より元気だの生涯現役だの綺麗事を宣いますが、結局は死ぬまで働けと言うことです。生活するために死ぬ寸前まで働きやっと解放されたころにはもう動くこともままならない老人です。意欲も食欲も好奇心も性欲も健康も失った頃に解放されたとしても何の意味もありません。残るのは死ぬまで寝たきりの人生。ただただ絶望しかありませんね。

しかし仕事を生きがいに感じられる人の場合この見方が180度変わった物になります。何しろ死ぬ寸前までやりがいを感じられることに全てを費やせるのですから人生ばら色です。最高です。生まれてきて良かったと思えること請け合いです。労働がただただ苦痛な人間にとっては労働に関わる全ての時間は無駄な物にしか思えませんが、やりがいを感じる人にとっては逆に全て意味のあることに代わります。労働のための準備も、人間関係も、研鑽も、苦労も、苦痛も全てはやりがいを感じられることを成すため、遂行するためとなれば意味のあることになりますし、多少の我慢も効くでしょう。そして労働に全てを費やしそのまま息絶えたとしても後悔は少ないはずです。俺はこの仕事をやりきった!燃焼した!俺の人生は充実した物だった!と思えて死ねるわけですからね。そう考えると労働に苦痛しか覚えない人間に生まれてしまったと言うことはつくづく人生の負け組であるという証明に他なら無いなと思います。人生の大半の時間を苦痛に捧げて終わるのですからどう考えても負け組です。まあ労働を苦痛に覚える人間でも金を稼げる才能に恵まれていれば労働市場から離脱できるのですが、もちろん自分にはそんな才能は無いので絶望しかありません。出生ガチャ大失敗ですね。来世に期待するしかなさそうです。来世があればの話ですが。

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