長いよるが続く
眠れぬ夜は頭だけが高回転して、言葉にしていくことが全く追いつかない。眠りたいのに、どういうわけかどんどんと目が冴えていく。そして、どうせ忘れていく様々なことが頭の中を次々と通り抜けていく。気付けるかもわからぬ目印のように、今頭にあることを書けるだけ引き摺り出してみる。
・大切に思う(思いたい)人たちが苦しんでいることに対して、色々と考えた結果何もできることがないこと
・誰しもが同じように考えることはできないことへの絶望と希望
・言葉は万能であり無力、有益であり有害、与え奪うこと
・自らが向かいたい先を見失うこと
・その道を見つけたとしても、誰かの道を踏んでしまうこと
・自らに枷として固まった固定観念を意識し、それを上手にいなせるよう立ち回りを覚えるが、それがまた固定化する中で再び枷となっていることに気づけないこと
・人の視線を気にすること、気にしないこと、そのバランスどりが下手なこと
一つ一つを丁寧に言葉にしていくことはできると思う。
だが誰に?何のために?どれだけの時間をかけて?
私は今の生活に一定の満足をしている。そして私はそういうふうに感じていることを隠すのが下手だ。楽しそうな時は楽しそうにしてしまうし、その逆も然りだ。今に満足する私の言葉は誰かに届くのか。届ける意味はあるのか。
希望があるとするなら、自らが練り上げた言葉が届く瞬間を何度か出会うことができたことだ。その言葉を捻り出したのは今の私ではない。それを反復したり、何かに記したりしたことが、誰かに共感を得る。今に繋がるいつかの私が、作った言葉で何かを感じ取ってくれる人がいて、その人を見て今の私が救われる。では今の私はどう振る舞う?同じようで違う自分。その人が今の私を見てどう思うのだろうか。
寝付けぬ夜に最近を思い返しながら、こんなことを思っていた。眠れぬ夜に思考は良くない。空回りを繰り返すだけだ。
眠れぬ夜にはココアを飲むほうが良いのだ。