西都からの日々

久々に体調を崩していた。
下痢に滑落で痛めた膝、ふくらはぎの異常な張り。食欲不振など、とにかく体調が悪かった。

そんな事もあり、宿のスタッフの皆さんからは、1番風呂に入れて頂いたりと、暖かい対応をして頂いた。
食料を買う以外、部屋の布団の上で3日間すごしたのは、初めてだったかもしれない。

3日目、ふくらはぎの張りが取れ、食欲だけは戻ってきたのだった。

松元さんとの再会が風を呼び込む

綾町で知り合った松元さんが、出発して2日目に来てくださった。
2時間ほどだが一緒に歩く事になった。

美郷町のコミュニティセンターの前を通ると、町民の方が集まり何かしていた。

松元さんが手を振り話しかける。すると、「食べていきませんか?」と声が掛かった。
僕と松元さんは、直ぐに「ご馳走になります!」といい、コミュニティセンターの窓際でお茶をご馳走になった。

今日は、美郷町役場の行事で月に数度の減塩料理の講習会の日だったそうだ。

暖かい手料理をご馳走になった。今回の旅で、霧島の宝楽さんのお宅でご馳走になって以来2回目の手料理だった。減塩メニューとは思えない塩加減と美味しさだった。

まだまだ、出会いは続いていた。

松元さんから、たくさんのトレイルマジックを頂き、再び寂しく1人あるき出す。
この日このタイミングしかない中で、雨で濡れたテントを干し、先へ進む。
天気予報では、今夜も雨だった。すでに空が雨雲に覆われつつあった。

道沿いにあったお土産屋さんの軒下をお借りしようと交渉するも、社長がうんとは言わないとの事だった。
柿を納品しているおばさんと話していると、お土産屋さんのおばさんが、神社に泊まったら?と勧めてくれた。実は、お土産屋さんのおばさんは、神社の関係者らしい。
昔は、たくさんの旅人が泊まっていたそうだった。

そんな話しを聞いてか、とうふ屋さんから、豆乳と厚揚げ、柿を納品しているおばさんからは、柿を頂いた。
神社にむかい、寝床を作ると直ぐに雨が降り出し、朝までやむ事はなかった。

日之影町から高千穂町へ

3日目に入っても雨の予報だった。美郷町を抜け、日之影町に入ると、高千穂の景色の始まりとも思える紅葉が始まっていた。
結局、3日目の夜も雨に振られ、4日目の朝は、霧雨の中の出発となった。
 前日、雨宿りできる道の駅の隣の公園で、九州電力の関係の仕事をしている人と小一時間ほど話していた。
 宮崎の電線の工事をしているそうだが、この高千穂の周辺の山域では、重機が通れない道が多く、かなりの箇所で土砂崩れが起きているそうだった。
おそらく、このまま直さない道もあるのではないか?このまま、集落自体が無くなる場所もあるのではないか?という話だった。
その後も釣りや山の話などをしていた。

4日目も霧雨だったが、徐々に日も登り、4日分の雨が一気に空にもどるように霞んでいた景色が紅葉も相まって幻想的だった。


そして、予定より早く高千穂に着いた僕は、荷物を置き、スラックパッキングへと出かける。

高千穂峡へ続く道は、流されてなくなっていた。
令和豪雨ではなく、それ以前からそうだったような草丈と荒れかただった。
ホステルの方に聞くと、十年くらい前の台風で流されてからは、直すこともなく放置されているらしい。


景勝地、高千穂峡に続く道がこのような状況なら、宮崎の自然の道は、通れるはずがないと思った。

この先は、大分の阿蘇・くじゅう国立公園のくじゅう連山の九州自然歩道も、かなり崩れていて通行止めになっている。

のこり、230kmあまり。

さて、この先どうなっていくのだろう。

続く

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