坂本龍一 Three
坂本龍一が古希を迎えたらしい、だからと言うわけではないが(ホントに全く無関係に)最近、坂本龍一の「Three」というアルバムを入浴時に聞いている。入手したのは大分前なのだが、ようやく聞いてみる気になったというか、機が熟したというか、つまりはまぁ聴く環境が整ったという事だ。
僕が坂本龍一のアルバムの中でファイバリットにしている何枚かのアルバムの中に「1996」という作品がある。過去の自分の曲をヴァイオリン、チェロとのトリオ編成で再レコーディングしたものだ。最近良く聞く言い回しで言えば「セルフ カヴァー アルバム」という事になるのだろう。しかし僕の記憶が確かならば、当時はそんな言葉はまだ頻繁に使われていなかった気がする。少なくとも「1996」が当時「セルフ カヴァー アルバム」として紹介されていた記憶はない。
なぜ「1996」の話を先にしたかと言うと「Three」はこれに次ぐトリオ編成でのいわゆる「セルフカヴァーアルバム」だからだ。続編と言えば続編だが、同じ曲が重複して収録されていたりする(普通シリーズならば曲は被らないようにするだろう)ので、シリーズであるとは言えるが続編というワケでもない感じだ。少なくとも僕に「続編」であるという認識はない。しかし、もちろんそういう認識の人がいてもおかしくはない。
どちらにしても、「Three」は企画としては目新しいものでもなんでもなく、なんとなく「二番煎じ」的な印象は否めなかったためなかなか聴く気にならなかった。トリオ編成のセルフ カヴァー アルバムを聴きたい気分になったら「1996」を聴いてしまう。意識的ではないが何となくそんな感じだったのだ。
ところがどうしたものか(この接続詞が正しいのかは分からないが)、このアルバム聴いてみると、のっけから最高にいいアルバムなのだ。1曲目の「Happy End」から6曲目の「A Flower Is Not A Flower」までもうお腹いっぱい坂本龍一の名曲がシンプルな編成で堪能できる。7,8曲目辺りは少し中だるみするのだが(あくまで個人的な感想だ)、この2曲はそもそも主旋律というものが希薄な曲なのでそれは仕方がない。そして9曲目からまた素晴らしい演奏が続く。極めつけは、僕が坂本龍一作品の中でもベストだと思っているParolibreで終わるのだ。
僕は音楽的には素人なので、彼の作品を評論する技量はないが、毎日お風呂で聴いていると何となく気が付く事がある。もちろん、坂本龍一の作品というのは色々なジャンルにまたがる沢山の曲があって全てが当てはまるわけではないが、少なくともこのアルバムに収録されているような曲たちは、アジア的とヨーロッパ的な感覚が絶妙に融合されている感じがするのだ。元々が時代劇映画のテーマ曲だったりしていても、このアルバムを聴いてて感じるのはヨーロッパにいるアジア人、アジアにいるヨーロッパ人、それもなんとなく20世紀初頭の中国の租界のようなイメージだ。もしかしたら映画ラストエンペラーに引っ張られているのかもしれないがしかし、どの曲もあの映画の世界観がぴったりくるのだ。
繰り返し言うが僕は音楽の理論的な事については素人だ。だから「なんとなく」だが、メロディがペンタトニックでアジア的な要素を表しているにもかかわらず、その後ろで響く和音の伴奏部分では複雑なJazz的というか印象派的な要素が響いていて、それがとてもすごく良いバランスで混じり合っているという感じがする。
「メロディがペンタトニック」というのは必ずしも魅力とは言えない。普通なら童謡や民謡、演歌っぽくなりがちで覚えやすく歌いやすく、ヒットに結び付きやすいと言われいるが、正直僕はあまり好きなタイプの曲ではない。しかし、それが坂本龍一の曲となるとその伴奏(アレンジ)により、まるっきり逆の大人っぽい、おしゃれなイメージに反転するのだ。
これが、僕が感じる坂本龍一独特の彼以外ではあまり感じる事の出来ない魅力であり、他の海外のアーティストや日本の他の(主にサントラ、インストを主戦場とする)ミュージシャンとの大きな差だと思う。
ついつい調子に乗って素人にもかかわらず感想以上の事を書いてしまった。あくまでシロウトの戯言なので、厳しいツッコミはご遠慮願いたい。