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ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第4話感想〜これは彼女の物語〜

第4話感想を書くにあたって


「これは彼女の物語だ」

 第四話を見終わった私はこの言葉が思い浮かんだ。物語も折り返し地点に来たところで、一気にアソーカ・タノへと結する物語へ糸が紡がれようとしているようなラストだった。
 今週はどう書けばいいのか…。第4話は特に迷う回だと思う。いつもそうだと思うが、今回は言葉を尽くしても、何かこぼれ落ちていくと思う。
 だが、できる限り手をつくして銀河の渦に巻き込まれたかのようなヒリヒリする感情の渦に手をつっこみ、語ってみよう。(せっかくなら何か楽しい話でもしますか!?例えばそう、「砂の話」とか…。)

前回までの…

 ドラマ「スターウォーズ:アソーカ」の各話の感想を次の話が配信する前に書いて新鮮な気持ちと疑問を残していく。前回の記事はこちら。

 今更なのだが、一応第4話は特に話すことになるので注記する。このあたりの作品を踏まえて感想を書くので、未見の新鮮な気持ちを感じたい方は注意してほしい。
・「スターウォーズ:クローン・ウォーズ」
・「反乱者たち」
・「マンダロリアン」
・小説「アソーカ」

 今週気になった記事については今回は感想の途中で紹介しつつ感想を書いていく。

第4話感想

総評

 第4話は「間が重視された回」だと感じた。話の展開がぐっと動いたこともあって第4話はストーリーに目が奪われがちだ。だが、戦闘シーンや場面転換がこの恐ろしい爆弾みたいな展開のスパイスとなって効いている。
 役者が立つ舞台がなによりも美しい。そして美しさには「間」が潜んでいる。惑星シートスの静謐で不気味な紅葉する木々たち。はらはらと落ちる葉の中で潜むフルクラムの宇宙船。まるで樹が自分で計算したかのような枝の美しき間隔。暗い画面だがそれがむしろライトセーバーの光を美しく映し出す。
 ベイランとアソーカの戦闘シーンでも、舞台装置は二人の戦いを鮮やかに彩っている。魔術で起動した地図の星図の中に囲われた二人は美しい。そして、場面転換も見事だ。崖から海にカメラが移動し、その後、星のような粒子を映し出したあの転換シーンは美しさに思わず息をのんだ。
 思わずかじりついて絵にかいていたくなるような風景が第四話には特に凝縮されていると思う。私は第4話を見た後、本当に風景を描いていた。
 戦闘シーンでは、間合いをとるように戦闘が始まっているのも印象的だった。剣道を思い出したという人も多いのではないだろうか?こちらも間合いの張りつめた様子を息をひそめながら見てしまった。
 スター・ウォーズあるあるの(?)視覚化されたカウントダウン装置は視聴者に時の経過と緊迫感を与えてくれる。カウントダウン装置が話の進みによって妙に時の流れ方が違うような気がするが、人の時の感じ方は長くも短くもなるので、装置でなく人間の方が間違っているのだろう。きっとそう。
 今、何が起こっているか。どう転換したか。人の迷い、怒り、揺らぎ、決断、事態のひっくり返りよう全てを瞳孔を開きっぱなしで見つめてしまう。それが第4話だった。

「強い執着は悪の樹を育てる根である」

 サビーヌとアソーカの「エズラ」を巡る考え方の違いはこの先の禍根になると第1・2話と第3話感想で私は再三言っているのだが、第4話は布石を残し、それが結果をもたらすような展開になった。
 冒頭、アソーカとサビーヌの会話では、もし地図を破壊する選択を迫られる時どうするのか?について話している。サビーヌはエズラの唯一の手がかりである地図を絶対に壊したくはない。アソーカはエズラの唯一の手がかりであることを分かった上で、スローンを止めるという目的のためなら、地図の破壊は「仕方ない」と切り捨てる。このセリフは、冷淡にも聞こえるセリフになっていると思う。しかし、アソーカ自身もエズラを救いたいという思いはもちろんあるはずだ。ただ、それ以上にこれから起こるであろう戦争を止めるという目的が何よりも優先されることを自身で選びとっているのだろう。
アソーカの考え方はジェダイの考え方である。「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」シーズン1・第13話「ジェダイの遭難」で、若きアソーカも問いをぶつけている。ちょっと長くなるが、ジェダイの考え方を示す重要な回だと思うので説明させてほしい。第13話の簡単なあらすじを説明する。アナキンとアソーカが惑星クエルで戦う将軍アイラ・セキュラ(ジェダイナイト)を助けに向かい、一団は命からがら逃げることに成功する。しかし、アナキンは重症を負ってしまう。アナキン一行が乗った船はハイパースペースによってどこか分からない惑星に不時着し、遭難することになる。アソーカは重症のアナキンを置いて探索にはいけないと言うが、アイラはみんなのためにもアソーカも探索に加わることが必要だと説く。一行が探索に出た道中、アイラとアソーカはジェダイの愛着について話をする。

アイラ「アナキンのことが心配でたまらないのね。気遣いを感じるわ」
アソーカ「あの、私、時々分からなくなるんです。ジェダイは人への愛着を禁じられている。その一方思いやりを大事にしろと言われる。」
アイラ「恥じることはないのよアソーカ。私もあなたの歳にはマスターに同じ気持ちを抱いた。」
アソーカ「本当に?あなたも?」
アイラ「父親のように慕ってた。でも必要以上の執着はためにならないと知ったわ。一人を救うために、千人を犠牲にはできない」

「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」シーズン1・第13話「ジェダイの遭難」

 ジェダイは「一人を救うために、千人を犠牲にはできない」という考え方を持つ者として置かれていることが分かる。そして、必要以上の執着はその選択の妨げになることがあるからこそ、「ジェダイは人への愛着を禁じられている」のである。アソーカの、地図とエズラを巡る考えをここに当てはめてみると、「エズラを救うこと」と「スローンが戻らず戦争の火種を防ぐこと」のどちらかを選ばなければならないとしたら、一人だけを救うという選択は捨てられ、千人をゆうに超える人が救われる「スローンが戻らない」という事項が優先されるというわけだ。一方で、ジェダイには完全に感情がないものとして描かれているわけではないというのが「クローン・ウォーズ」の第13話なのではないだろうか。マスターとパダワンという師弟関係制度がある中で、絆が育まれることが必然である。それによって、特定の人間に対して気持ちが入ることはあるだろう。若きアソーカの迷いはそこにある。マスターを大切に思うという感情を持つこと自体をアイラはとがめているわけではない。むしろ、それを乗り越えて決断することがジェダイであると言っているのだと思う。

二人からの「count on you」 

 サビーヌはアソーカとの地図の破壊の決断を巡る会話の終盤、アソーカに問いかけられる。

アソーカ「あなたを信じていい?」(Can I count on you?)

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第4話「堕ちたジェダイ」

 このくだり、残念ながら英語の方が分かりやすくなっている。「count on you」という表現はエズラがサビーヌに残した最後のメッセージにも出てくる。それは「反乱者たち」シーズン4最終話でも出てくるし、ちゃんとドラマ「アソーカ」第1話のエズラも話しているのである(!)ドラマにも出したことで、「反乱者たち」を見ていない視聴者もエズラからサビーヌへの"I'm counting on you."の文脈を理解できる構成にしているということである。構成怖すぎ。

エズラ「でも必ず成し遂げられるよ」(But I'm counting on you to see this through.)

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第1話「師と弟子」

エズラ「サビーヌ、いつだって…」(Sabine,don't forget…)
サビーヌ「ええ、(Right,)
エズラ・サビーヌ「「頼りにしてる」」(エズラ: I'm counting on you.
サビーヌ:you're counting on me.)
サビーヌ「でも何を?」(But for what?)

「反乱者たち」シーズン4第15話「家族の再会―そして別れ」

 おそらくだが、例の録画されたエズラからのメッセージをアソーカも見ていることであろう。だからこそ、アソーカは「あなたを信じていい?(個人的には文脈を残して訳すのであればここは「頼りにしていい?」だろうか)」と問いかけたのではないか。
 「反乱者たち」を経て、「アソーカ」に至るにあたって、エズラの「I'm counting on you. 」がここまで重くなるとは思わなかった。「反乱者たち」のエズラとサビーヌを見ていると、どちらかというとエズラの方がサビーヌを追いかけている節があったのに、今じゃもう逆転現象である。今もなおメッセージを再生してエズラの「 I'm counting on you. 」を聞き続けている人間が現在のサビーヌ・レンだ。

「あんたに家族の何が分かるの?」

 焦りからか慌てた様子でモノを探しているサビーヌにそっと寄り添うアソーカと、「した方がいい、心配?」というように軽快に会話していく様子には、ほっとさせられた。この二人、アナキンとアソーカと比べるとまだまだ絆が描かれる総量が圧倒的に足りないので(相手は100話超えである)、どんな感じなのかもっと掴みたいし、このつかず離れずなところをもっと見たいと思うのは心からの願いである。
 アソーカはさっきの地図を巡る会話が何か心に引っかかっているのかエズラについての会話を自分から繰り出す。

アソーカ「エズラが大事なのは分かる。」
アソーカ「でも個人的な感情を抑えて、正しいことをすべき時もある。」
サビーヌ「……本当にそう思う?」
アソーカ「危険が大きい場合は…やるしかない」

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第1話「師と弟子」

 これでさっきまでの軽快な空気完全に捨て去られてしまった。ああ~…!
 やっぱりサビーヌ・レンというのは、「一人を救うために、千人を犠牲にはできない」というジェダイの考え方をずっと疑問に感じている人間なのだろうなと思う。ジェダイの選択によって彼女はかけがえのない「家族:スペクターズ」と別れることになっているのだ。これを考えれば考えるほど、アソーカの弟子としてサビーヌを持ってくるという発想はすごいということを思い知らされる。サビーヌはスペクターズの一員、ケイナンやエズラを通してジェダイの考え方やあり方、生き方に翻弄された人間だ。そして次は自分がその選択をどう選び取るかを決断せねばならぬ役回りを持たされている。「ジェダイ」・「師弟関係」を考える上でサビーヌ・レンをアソーカ・タノの弟子にさせるのは、ベストな選択なのだ。考えれば考えるほど…。
 ちなみに見出しになっている「あんたに家族の何がわかるの?」は小説「スター・ウォーズ アソーカ」においてケイデンがアソーカに言ったセリフである。さて、「エズラが大事なのは分かる」とサビーヌに言ったアソーカは、サビーヌの「大事」の意味をどこまで理解しているのだろうか?サビーヌはアソーカの「分かる」を「分かってくれた」として受け取っているだろうか?結局のところ、どんなに言葉をかけてもジェダイすぎるアソーカの言葉はサビーヌには届かなかった言葉だったのだろうか。第4話のサビーヌの「選択」を見せられたからこそ、そんなことを考えてしまう。

Stay together しろ!!

 ヒュイヤンが賞金稼ぎに襲われたシーンでは、おじいちゃんも意外と戦えるということが分かった。「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」で出てきた時にも活躍した背中側のアームもいい感じに活用されている。(余談:ヒュイヤン教授のクローン・ウォーズ登場シーン、絶対「千と千尋の神隠し」の釜じいを意識していると思う。)
 ヒュイヤンが襲われて声が出なくなったので直した電気をあえて壊すことで中にいるアソーカとサビーヌに知らせることができる、というのすごく機転がきいてて良い。そしてそのシグナルをすぐさま襲撃であると気づき、即座にライトセーバーを起動するアソーカ・タノ、さすが百戦錬磨のジェダイナイトである。判断が早い。
 なんとか敵を倒し。いよいよ敵が潜んでいるところに向かって地図を奪おうと画策し、向かおうするアソーカとサビーヌに「一緒に行動しろ。(Stay together.)」とアドバイスを投げかけるヒュイヤン。それに対して「「私たち」そろそろ行くね。」「一緒に」というアソーカとサビーヌのフレーズはウィットに富んでいる。
 で、すごく好きなセリフだったのですが、この後戦いで即座に一緒にいなくなってしまう。いや、さっきまでのは何だったのか。Stay togetherしろよ!!!!どこまでをStay togetherと捉えたかによって違うと思うのだが、一応シン・ハティ・マロックとサビーヌ・アソーカが戦っているところはStay together とみなしていいのだろうか。私はここでStay togetherではないのでは?と見た時は思ったけど、思えばこの時までは一応Stay togetherだったのかも…。
 結局ここでStay togetherできなかったのも第4話の結末になっているとも言える。おじいちゃんの言うことって聞いた方がいいのかな。

ベイラン~底の見えない男

 アソーカ特番ニコニコ生放送において、ベイラン吹き替え役の大塚さんが「ベイランは言ってることが本当かどうか分からなくて寝返りそうにも思えるキャラだ」と言っていた記憶がある。これは第4話のベイランを見ていると特に顕著にこの言葉が理解できた。
 ベイランはアソーカに対してもサビーヌに対しても、本人の過去を見てきたかのように照らし合わせながら、その人を揺さぶる言葉をうまいこと投げかけてくる。剣技だけではないところから攻めてくる感じが、強さを感じさせる。単純に敵を知っていただけのようにも思えるが、フォースを通じて相手の過去を見ているような奥深さが言葉や挙動から感じられる。底が見えない。

創造と破壊~スター・ウォーズというコンテンツに照らして

 ベイランとアソーカの戦いは、戦いのアクションはもちろんのことだが、会話にもハラハラさせられた。
 若き頃のアソーカならともかく、成熟したアソーカ・タノから感情を引き出させる会話をベイランはしている。そして、禅の空気をたたえ成熟したアソーカであるが(クローン・ウォーズから見てると快活なアソーカが恋しくなる時もある)、この人間が唯一感情が揺れ動かざるを得ない事象が彼女の師弟関係なんだなということを改めて気づかされた。
 その点は後で後述するとして、ベイランとアソーカの「戦争を始めること」についての会話はある種スター・ウォーズというコンテンツの業を示しているようにも思える。

アソーカ「新たな戦争を始めることが必要なこと?」
ベイラン「私が始めるんじゃない。スローンが始める。不幸なことではあるが、大いなる真理だ。破壊しなければ、新たには作れない。」

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第4話「堕ちたジェダイ」

 スター・ウォーズは名の通り「戦争」の話である。私はスター・ウォーズを名前しか知らなかった頃、戦いにずっと明け暮れる宇宙戦争の話なのかなと認識していた。観た後だと、うまく言えないが思ってた感じと良い意味で違ったなと思っている。
 ただ、スター・ウォーズというコンテンツの先を描くためには「戦争」は不可欠である。何かと戦っていなくてはいけない。何かと「反乱」してなければいけない。スピンオフで日常モノがあってもいいとは思うが、それじゃあ結局、話は進まない。スター・ウォーズを見ている人間は、世界の平和を願っているはずなのに、スター・ウォーズに心躍る戦いを求めている節がある。少なくとも自分にはそんな業があることを自覚している。みんなが幸せな世界が見たいのに、今回のドラマのような戦いを待ち望む自分がいる。ライトセーバーとライトセーバーがぶつかり合う戦いを見たいと思っている自分がいる。
 そんなドラマを見たい時どうするのか?そう、ベイランの言う通り破壊しなければ新たには作れない。戦いの火種をまかなければ戦いはない。ベイランとアソーカの会話の一部に過ぎないシーンではあるが、視聴者にも投げかけられているかのような気がしてならない。

「最強のジェダイ」と「最弱のパダワン」に挟まれた貴方

 はじめはベイランのアナキンの過去話にも動じてない様子だったアソーカだが、ベイランの言葉をきっかけに感情を発露しているであろうシーンがある。

ベイラン「君のマスターが、そうであったように君もいずれ死と破壊をもたらす。」

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第4話「堕ちたジェダイ」

 この後のアソーカの行動はそれまでにないような蹴りを連続して見せてベイランに応戦している。ここは彼女が感情的になった瞬間ではないかと思う。
 アソーカ・タノという人間はこのドラマにおいて、かなり成熟した人間として描かれている。クローン・ウォーズの時のようにすぐに感情をあらわにすることが少なくなり、どこか謎めいた雰囲気をまとわせている。ファンからするとそれは寂しくもあるのだが、彼女の歩んできた人生の道のりが、彼女をそうさせたのだろうなと思うと、ずしんとした重みで彼女の落ち着きをこちらが受けとめてしまう力が今のアソーカにはある。若いのもあるとは思うが、今のアソーカと比べると師のアナキンのほうが感情が揺れ動いている人間だと思う。
 だが、そんなアソーカの唯一といっていいほどに彼女が感情を揺らすのは、師弟に関わることなのだ。シンが戻ってきたことで、アソーカはサビーヌがシンに倒されたのではないか?と考え、シンを思いっきりフォースで打ちつける。どう考えても感情的になっている。彼女にだって個人的な感情はあるのだ。
 一旦は地図を手にしたアソーカだったが、その代償にてのひらに火傷を負ってしまう。崖際に追い込まれ(ぶら下がればいいのに)、ベイランに言われるセリフがこれだ。

ベイラン「君は結局のところ、戦うことしか知らない。」

ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第4話「堕ちたジェダイ」

 クローン戦争から戦い続きだった彼女は、パダワンになった期間全てが戦争のただ中にある。ジェダイとは本来平和の守護者のはずなのに、「パダワンになってからは戦いの連続だった。(But all I've been since I was  a Padawan is  a soldier.)」とクローン・ウォーズ シーズン7 第11話「崩壊」でアソーカ自身もキャプテンレックスに述べている。アソーカの人生は、常に戦いがつきものであった。クローン戦争以後は、帝国の樹立以降も「フルクラム」として反乱軍の一員となって戦っている。だが、アソーカという人間は常に平和のために戦い、平和を誰よりも願っている人だと思う。少なくとも、「みんな」のために何かをしたいと思いがあるのがアソーカなのだ。だから私はアソーカ・タノを「戦士」と形容することに違和感がある。確かに戦いと共にある人生なのだが、本当の目的は平和であり、だから未然に戦争を防ぎたいという行動に至るのだろう。
 でも、そんなアソーカのあり方をベイランは「戦いしか知らない」と形容する。それは事実なのだ。彼女は戦いしか知らない。望む望まざるに関わらず。ベイランのセリフは言葉の刃でアソーカに切っ先を向けている。だからこそ鋭い。 

サビーヌの選択とエズラの選択 

 ドラマ「アソーカ」からサビーヌを知った方は、サビーヌ・レンのことを好きになれているのだろうか?と心配になる時がある。というか心配になるくらいにサビーヌの所業は今のところ結構ひどい。

・師匠の命令を破って勝手に地図を家に持って帰る
・挙句の果てに地図を奪われる(ちゃっかりロックも解いちゃったやつ)
・師匠が今にも崖から落ちそうな状況になっても地図を破壊できない

 これじゃあアソーカの「Can I count on you?」にイエスと答えたサビーヌは何だったのか!!!と思っちゃうのではなかろうか。私はドラマからサビーヌを見たとして、サビーヌの行動を納得いって見れるか自信がない。なんなんだよこいつ!?になってしまいませんか?何目線だよという話だが、サビーヌのことを嫌いにならないでほしい。本当に。アソーカなんてクローン・ウォーズで中隊全滅させてるからさ…。
 ただ、サビーヌがここまでエズラのことを思うのは、「反乱者たち」の事実だけでなかったことが今回新たに明かされた。そう、サビーヌはもう既に本当の家族を失っているのだ。「マンダロリアン」では「千の涙の夜」によってサビーヌの故郷惑星マンダロアがめちゃくちゃになり、マンダロリアンたちが散り散りになってしまったことが描かれていた。「千の涙の夜」を知った時、「ロザルにいたサビーヌってどうしてたんだろう?サビーヌがこの戦いに参加していないわけがないだろう」と思った。その答えがこう明かされるとは…。サビーヌが家族を救うことができなかったのは、ベイラン曰く「アソーカがサビーヌを信じなかったからだ」という。なるほどこれが過去に二人を分かつ理由だったのかと思う。まだ詳しくは分からないが。
 サビーヌにはもう、家族というのはスペクターズのみんなしかいない。エズラだけじゃなくてヘラやゼブもいるよ、と言いたいところであるが、今は二人は新共和国の一員として働いているわけで、前のように寝食を共にする仲間ではない。サビーヌだけがエズラが愛したロザルに残っている。サビーヌにとって、エズラを探すというのは、かなり大きな執着であり、大切なことだ。
 ある意味、サビーヌの状況は、エズラが「反乱者たち」シーズン4最終話でパルパティーンに迫られた選択との対比になると思う。エズラはパルパティーンに死んだはずのエズラの両親が幸せに生きており、エズラを呼んでいる世界を見せつける。ゲートウェイを開ければ、エズラは肉親と再び会えるとパルパティーンはそそのかす。望めば手がすぐに触れられるような状況下で、エズラは両親に「心はずっと一緒だよ」といいゲートウェイを破壊する。そして両親からの最後のメッセージ、「愛してるよエズラ」は美しい。

エズラ「俺には、もう家族がいる。あんたからもらう必要はない」

「反乱者たち」シーズン4第15話「家族の再会―そして別れ」

 エズラが両親を目の前にしてもゲートウェイを破壊できたのは、もう一つの家族であるサビーヌ達スペクターズがいたからである。そして、師であるケイナンの教えが彼をこの決断に向かわせている。愛着がエズラを強くした。それは新時代のジェダイであるエズラだからできたことだ。
 だが、サビーヌには?サビーヌにとっては、逆に、もうスペクターズしかいないのだ。大切な人たちを、もう二度と失いたくはない。失いたくないから、地図を破壊できない。愛着が彼女に迷いを生み出している。
 愛着は、ジェダイにとって妨げになるのか?それは、アナキン・スカイウォーカーの物語を思えば、「そう」なのかもしれない。でも、本当に?ドラマ「アソーカ」としてこの命題にどう立ち向かうのかは、非常に気になる事項である。
 ここまで書いていて、サビーヌと比べてエズラはまるで成長しきったジェダイであるかのように言った面があるが、誰よりも反発して揺れ動いていたのも「反乱者たち」のエズラ・ブリッジャーではなかっただろうか?エズラは何度もビジョンに踊らされたり、シスの誘惑(ダースモールさんの策略)に乗ったりする。そのたびに視聴者としては「いい加減学べよ」と言ってしまいたくなる。だが、エズラが揺れ動いてしまうのは、ある意味彼の正義感ゆえのところがある。純粋であるがゆえに、シスのホロクロンから知識を得ようとしてしまう。そのせいかあっさりと(ケイナンやみんなのおかげもあって)反抗期から脱してシスのホロクロンの誘惑から抜け出すことができる。何が言いたいかというと、サビーヌの今の選択だって、間違っていると言えるのか?ということだ。傍から見たら師匠の言いつけも守れずあっさり敵の手に地図を渡してしまって破壊させてるんだから、もうびっくりするくらい大失態なのだが、何となくこの結果がどう転がるかって分からないのではないのだろうか。ダースモールに地図を渡してたらサビーヌを殺していたと思うけど、ベイランは殺さなかったわけで…。(ダースモールじゃなくてよかったね!)サビーヌの揺れ動きだって、エズラと比べると実は似てるところがあるのだ。揺れ動いた先に待っているサビーヌの選択こそ、我々が見届けなければいけないものなのでは?

忙しい人のための「反乱者たち」

 ドラマ「アソーカ」はアニメ「反乱者たち」の実質の続編という構成を見せている。公式見解としては「アニメを見なくても楽しめる」なのだが、総監督のデイブ・フィローニはこの動画でアニメに興味がない人が「反乱者たち」をもし見るのであれば、「反乱者たち」シーズン4第10話「ジェダイの夜」から見たら?(意訳)とも述べている。(筆者の英語能力には限界があるので、意訳としか伝えられません。間違っていたらすみません。)

 私はこれを聞いた時、「なんてひどいことを言うんだ…」と思った。「反乱者たち」を既に見た人間であればこの気持ちわかってもらえると信じている。だが、冷静になってみると、スペクターズのことや最後の戦いでどうなったか、なぜドラマ「アソーカ」につながるかが分かると言えば分かるので、監督の言うことは間違っていないとも思った。いや、でもそれにしても「ジェダイの夜」からはひどすぎませんか?みんなの心が持ちますか?うーん…などと悩んでいたのだが、ドラマ「アソーカ」第4話で監督の言うことはやはり一理あるのかもしれないと思える舞台装置が投入されてしまった。「世界の狭間の世界」である。
 アソーカ・タノが崖から海へ落ちたところでまあ、死なないでしょう(アソーカだし)と思っていたのだが、まさかの展開すぎる。そう来たか。確かになにか海から星っぽくなってアソーカが変な世界にいるなあとは思いましたよ。でもさあ、世界の狭間の世界にいるとは思わないじゃないですか!!!
 アナキン・スカイウォーカーと会わせるなら、過去編でも出すのだろうか?と思っていたし、ドラマ時点のアソーカにアナキンが会いに行くとしてどんな理由でどの面下げて会いにいくのか?と思っていたので、「どのようにアナキンを作中に出すか」はこのドラマの評価に大きく関わるところだと思っていた。そう来たか。
 しかもうまいのは世界の狭間の世界は過去・現在・未来が同一にある場所なので、「あのアナキンは「いつ」のアナキンなのか?」という疑問を翌週に残すことになる。おなじみダース・ベイダーのテーマが背景に流れながら師弟を再会させるのは不穏すぎる。そして、第4話のタイトル「堕ちたジェダイ」とは誰であったか?を最後の最後で問いかけさせてくる構成の巧みさには舌を巻くほかない。
 アナキンとアソーカの邂逅についての考察は第5話におまかせするとして、この展開をぶちこまれたことで、アソーカ・タノの人生の針を動かせるのはスター・ウォーズ公式だけである(それはそう)ということをむざむざと見せつけられてしまい、一週間考え込んだ。次の話が始まる一週間がまちきれないという気持ちと、もう少しこの情報の処理をゆっくりさせてほしいという気持ちがないまぜになった。全然二週間待っても正直良い。執筆時点で水曜日を迎えるということに震えている。

私を劇場に連れてって

 第4話がファンにとって衝撃を受けるものであることはスターウォーズ公式もどうやら分かっていたようで、第4話終了後にファンの叫びみたいな様子をリツイートしていた。掌の上転がされているようで気に食わない気持ちがあるが、これを叫ばずしてなんと行動すればよいのか?ちなみに私は第4話終了後、部屋のカーペットを一心不乱に掘り進めようとしていた。カーペットを掘っても掘り進めるはずはない。
 第5話はなんとデイブ・フィローニが監督したものであることが明らかになっており、アメリカやイギリス、タイでは映画館で先行上映をやるらしい。力の入りようがすごい。

 誰かお願いだから私を劇場に連れてってほしい。海外で見ても英語が分からなくて映像見て泣いて帰ってきそうだが、ドラマ「アソーカ」を映画館で観てみたい。盆踊りしてる場合じゃない。(※スター・ウォーズ盆踊りは楽しかったです)
 なぜ日本でこのイベントがないのか。ディズニープラス独占配信なので難しい面もあるのだろうが、日本でもどこかでこの作品を映画館で見れたらいいのに…と思ってしまう。映画館の音響で聞くエンディングテーマはさぞかし感動的だろう。映画館で観たい。
 第5話はどうなるのであろうか。本当にどうでもいい話なのだが、私の今週のしいたけ占いでは「期待値が高い人に対して幻滅しやすい部分が出てくる」と書かれており、第5話の期待値をはちゃめちゃに上げてしまったので心配でしょうがない。
 いろいろと考えることは多いのだが、毎週配信がある今をとても楽しんでいる。では、水曜日を(もうなってしまったが)楽しみにしています。
 Get ready for Ahsoka? 




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