疲れたから疲れたという言葉を忘れてみる【雑記7.30】

店が18-23時、バイトが24時から8時までなのでバイトが続く日は疲労を感じる。疲れたなぁと思う。

考えてみると、「疲れた」という言葉はひどく曖昧なものだと気づく。

少し前に店でお客さんに「疲れたなんて状態は存在しないと思うんですよ」という話をした。その時はまだ浅い思考だったので「存在しますよ。じゃあ仕事が忙しくて帰って何もできずに寝ちゃう時の状態はなんなんですか。」と反論されてそれもそうかとなんとなく納得してしまった。

ただ改めてよく考えてみると、やっぱり疲れたなんて状態は存在しないと思った。

例えば、「疲れた」という概念を一旦忘れてみる。そうなったときに今まで疲れたと表現していた状態はなんと表現するだろうか。

僕であれば、疲れたという時は大体「睡眠不足による眠気と思い荷物を持って歩いたことによる肩及びその他の筋肉の痛み」と表現できる。他にもスポーツをした時などは「長時間の運動による肺機能の限界」など。

つまり、前述の通り「疲れた」という言葉は最近の表現で言えばとても解像度の低いあやふやな言葉なのだ。詳細を表現するのがめんどくさいときに一言で簡単に言える楽な言葉。「あやふや」って文字感のあやふやっぽさいいですよね。

森林の絵を見て「緑色の絵」というようなもの。ここはどこですか?と聞かれて「地球」というような。要するに認識が荒い。甘い。雑い。

本来、液晶の見過ぎによる眼精疲労などのように疲労には多くの種類があるはずで、それらを全て統合して人は「疲れた」と表現する。

こういった甘い認識をしてしまうと、「疲れ」の詳細が誰にもわからなくなってしまう。視力0.01の人が裸眼で絵を見てもなんの絵がわからないように。

「疲れた」と言いたいだけなら何も問題無いのだが、疲れた状態にはなるべくならならないほうがいいだろう。

状態を詳細に認識できれば、(理論上は)どれだけ仕事で根詰めようとも疲れを感じずにいることができる。

僕であれば前述の通り、「睡眠不足による眠気と重い荷物を持って歩いたことによる肩の筋肉の痛み」なので、暇な時間に仮眠する、荷物を減らすor歩く機会を減らすなどで恐らく解決する。(可能かどうかは別)

疲れたという言葉はとても便利でなんか大変そうな雰囲気を出せて便利だけど、あんまり使うと状態を主観的にも客観的にも認識できなくなるから良くないなと思いました。

栄養ドリンクなどを売るときに、全ての疲れに当てはまるように表現を統合したような商業的な匂いがするんですが実際どーなんすかね。

ちなみに荒い認識というのは物を売る側からしたらすごく便利です。頭痛に効く薬というよりなんか調子悪いと思ったときに飲む薬と言ったほうが対象者が増えるからね。

こーゆー認識の荒い低い表現他にもあるので気をつけたほうがいいですね。おわり。

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