「ドクター・デスの遺産」の感想
いろいろな映画や小説に触れてもすべてについて感想をnoteに残そうとは思わないが、今回はどうしても我慢しきれず筆をとってしまった。それも、絶賛したいからではなく、ただ面白くなかったと否定したいからでもなく、わたしがこの作品に怒りを抱いているからだ。どうしたってネタバレになってしまうので、この作品を楽しみにしている方、これから観ようと思っている方はあまり読まないで頂ければと思う。
この作品にとっての「安楽死」とは何だったのか? 私の疑問は(そして怒りは)これに尽きる。そもそも、安楽死とは何であるのか、消極的安楽死と積極的安楽死について、日本では現在法律上どうなっているのか。この作品では、最初から最後まで、それに一切触れることはない。
私が医療者だから一般常識と医療者の知識の境界が分かっていないだけで、これを観る層の観客が常識としてそれを理解しているという前提なのだろうか。実際どれだけの人が正しい理解を持ってこの映画を観た、あるいは観るのだろう。
正直に言って、安楽死というテーマでの予告や広告を見ていて、生命倫理と法律がぶつかるような描き方をしてくれているのではと期待していた。まぁ、当然、日本で実際直接的安楽死が許されていない以上、あまり深く掘り下げて、安楽死は正しいのでは、という流れを作ってしまうわけにいかなかったのは分かる。それでも、例えば安楽死を本気で望む患者や家族がいて、その人たちを本気で思って安楽死についてまじめに学び働きかけている人たちがいる中で、一種の問題提起のような形になるのでは、と期待をしていた。
実際のところ期待外れもいいところだった。いや、期待外れどころじゃない。わたしは、この作品は医療者を、安楽死についてまじめに考えている人たちを侮辱していると感じ、怒りを覚えた。
職場で毎日のように、がん性疼痛とたたかう患者たちを見ている。ぎりぎりまではっきりした意識のままで、痛みを訴えて何度も薬を飲む患者もいるし、もう意識もなく家族の声に返事もできないまま痛みに呻く患者もいる。私にとってはそれに寄り添うのが仕事だし、辛いと思わないと言えば嘘になるが、逃げたいと思うことはない。終わらせてやりたいなどと一方的な視点で思うことも勿論ない。
でも、昼夜痛みに耐えながら、夜中眠ることも出来ず、長い夜の間ずっと1人で死に怯えながら朝が来るのを待つ毎日を送る患者が、辛い、楽になりたいと言うことを、どうして否定できるだろう。もう意識もないのに痛みに呻いてもがいている患者に付き添う家族が、痛みを取ってやってくれ、それでもし死んでしまうとしても、と言ったとして、どうしてそれを否定できるだろう。
鎮痛や鎮静の結果、呼吸が抑制され、命に関わるリスクがある、ということに理解を得て、医療用麻薬の持続投与を始める患者を何人も見てきた。勿論これが安楽死でないことは理解している。殺すことが目的なのではなく、弱い痛み止めではもう苦痛を取り除けないから、少しでも鎮痛や鎮静を優先するなら、という考えの先に辿り着く選択肢だ。
あの映画で、「俺と娘は死ぬことを選んだりしない」と犬飼が言う(文面が違うかもしれないが、取調べの際に雛森に向かってこのような発言があったはずだ)。最初に肺がんで苦しんで「殺してくれ」と妻に頼んだ男について犬飼は想像することも寄り添うこともなく、自分には想像もつかないような苦しみがこの世に存在することも、それが続くことの絶望も考えず、ただ安楽死を望んだ患者と家族が悪いと、殺人者であるというように責め立てる。最後に娘も生きていくことに前向きな発言をする。それこそが正しいと言うように。
それならば、命尽きる瞬間まで楽になることを選ばず戦い続けなかった彼らは、それを勧めない私たちは、殺人者だとでも言いたいのか、と思う。
自分が患者を安楽死させているとは思っていない。自分が安楽死に賛成か反対かも今ここでは置いておく。医療者として患者や家族を救うことに誇りを持って働いている(敢えて雛森と同じ言い方をするが)と思う。生きていて欲しいと思うけど、苦痛を少しでも取り除きたいと心から思っている。
どうしてこのテーマを扱うのに、もっと丁寧になってくれなかったのか。短絡思考で直ぐ暴力に走るタイプの綾野剛の演技は、某ドラマとはあっていたかもしれないが、こういうテーマにはひどく不向きだったと思う。薄汚い殺人者と自分が罵られているような気分になった。どうして、安楽死というものは難しいのだと、海外では許されている国もあるが日本では許されていないのだと、許すにはこのような問題点があるのだと言ってくれなかったのか。生きたいと望むことが間違いだなんて決して思わないし、患者や家族がそれを望むなら私たちは一緒に戦うだろう。それでも楽になることを望む人たちだって、私たちは否定できないのに。どうしてあの殺人犯を、ただの狂気的な馬鹿に仕立ててしまったのか。安楽死を主張する人間は狂人であるとでも言うかのように。
安楽死は殺人だ、と読み取らせたいような映画。テーマを丁寧に伝えることもなく、捜査のシーンに相当の時間を割いて、殺人犯の狂気をアピールする。2時間あったなら、もっと人の生死とは何なのか、尊厳とは、生きる権利と死ぬ権利とは何なのか、語らせることが出来たんじゃないのか。居酒屋やニュース、聞き込みのシーンをあんなに盛り込むのに、どうして安楽死の定義を、現在の法律を一言でも説明してくれなかったのか。あれだけ広告で「安楽死」という言葉を扱うなら、扱うだけの責任をもってテーマに向き合ってほしかむた。
ただ不快だった。怒っているし、傷付いている。私たちは何のために働いているのだろう、殺人と罵られてなお、どうして。