大切な後輩
後輩のあの類い稀な人柄を
どうしたら伝えられるだろう。
付和雷同とは無縁。
極めて聡明英才にして屹立。
納得できない事には、
おもねることなく
異議を理路整然と語る。
後輩と初めて会ったのは、
私が学生部員で、
後輩が高校生のとき。
当時、私は受験生の激励活動に力をいれていて、東京から彼が住む関西に行き、家庭訪問をした。
「ヒカルさんが、便所サンダルによれよれのTシャツ短パンの、貧相な身なりで東京から突然家庭訪問にやってきて…あの時は本当にびっくりしました」と、合格してから何度も後輩にいじられた。
反骨精神がある後輩に、苦手意識をもった先輩もいたかもしれない。
でも私にとっては、合格を何ヶ月も毎日のように1時間祈って、合格してくれた待望の後輩の1人であり、後輩の冷静沈着で、物事に真摯に向き合う様や、時々垣間見せる暖かな人間性を、私は尊敬していた。
当時の私はゲイであることに懊悩し、鬱がひどく留年。就職活動もままならず、私には蔵の財も身の財も何もなかった。
カムアウトは組織を乱すからするな。同性愛は祈ってなおすべきもの。
今ではあり得ないことだが、運が悪ければそんな指導をされる。そんな時代だった。
そんな時代に抗すべく、大学の学生部の文集に、ゲイとして生きる苦衷と決意を赤裸々に寄稿。桜梅桃李を否定する一部の指導性に異議を申し立て、物議を醸した。
そんな私を後輩は受け入れてくれた。
生理的嫌悪を越えて、1人の生身の人間として慕ってくれること。
そういう学生部の同志一人一人が、本当にかけがえがなかった。
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後輩が大学2年生の頃だっただろうか。
いまだ重度の鬱と戦っていたが、後輩が晴れ晴れと学会活動できているか心配で、後輩の最寄り駅まで訪ねた。
後輩と遅い晩御飯。サシで話すのはいつ以来だろう。色彩のない鬱との闘病生活にあって、気心知れた後輩との会話はとても楽しかった。どっちが激励されてるかわからなかった。
話が盛り上がり、終電がなくなって、(いけない事ですが)自転車2人乗りで彼の家に。
自転車2人乗りなんていつ以来だろう。自転車をこぐ後輩の身体に触れないように、自転車の後部座席にしがみついた。
後輩のブルガリの香水がきつくて、「全く、なに洒落っ気づいているんだか…」と思ったのを覚えている。
後輩のベッドはセミダブル以上はあってすごく立派だった。
「ヒカルさん、一緒に寝ましょう」
「いいよ、俺は床で寝るから」
「そうですか」
というなり、彼は爆睡してしまった。
私は鬱が酷く、床が硬いこともあって、一睡もできなかった。
真っ暗な後輩の部屋に青白い月光。
組織から離れてないか気がかりだった後輩と、最後に話せて本当によかった。
もう疲れた。
もう十分頑張った。
どうか許して。
後輩の台所の包丁を
手首に当ててみる。
どうせなら、こんな自分でも人間として受容し、理解してくれている人に骸を見つけてもらいたい…
でも本当は
死ぬ覚悟なんかないのに。
眠れない。
鬱で気が狂いそう。
お題目をあげるしかない。
後輩の仏壇に向かう。
ご祈念帳が目に留まる。
「ヒカルさんの宿命転換」
「Aの病気完治」
五体に電撃が走った。
その2つだけで、
後輩自身のご祈念項目は
一切書かれてなかった。
なんでこういうこと、
話してくれないんだよ。
ばーか。
猛省と感謝が込み上げる。
それから25年余り。
何度もLGBTQ+の当事者として、
苦悶苦闘してきたが、後輩が私の宿命転換を祈り続けてくれてたことが、心の支えの1つになっている。
鬱を患ったため、記憶が一部曖昧だがその日以降、まともに後輩と話せたのは数回ぐらいだったと思う。
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その後輩は1年前に亡くなった。
先日、後輩を偲び、電話帳アプリを見たら、後輩のメールアドレスに316が含まれていることに気づいた。
厳しい発言もあって誤解されがちだったが、アドレスに316だなんて、やはり後輩は純粋で稀有な世界広布を担う同志だった。
もう1回会いたい。
もう1回会いたい。
「あの時は祈ってくれて本当にありがとう。俺、ようやく彼氏できたんだぞ」
「ヒカルさんと付き合うなんて、よっぽどできた人ですね」
なんて、いじられながら、幸せになった姿をみせて、後輩を安心させたかった。
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新人間革命「共戦」の章に
「単に哀悼の感情にひたり、故人を回向するのではなく、強盛なる信心で、妙法の不可思議なる生命の力を確信し、故人と共に、三世にわたって、勇んで広宣流布の道を歩んでまいろうではありませんか」とある。
この池田先生のご指導のまま、故人と共々に世界青年学会を築いて参りたい。
#創価学会
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#学生部結成記念日
#LGBTQ
#プライド月間
#桜梅桃季