仲間と共に人生を味わい尽くす|自己紹介
はじめまして!
数ある記事の中から見つけていただきまして
ありがとうございます。
#これもなにかのご縁ですね
青森県出身/東京在住の對馬 光(つしま ひかる)と申します。
#青森と東京の2拠点生活を目指しています !
自分の人生をもっと良くしたい!
自分の使命を全うしたい!
やりたいことを見つけたい!
自分らしく生きたい!
幸せになりたい!
日本社会に違和感を感じる
これからの時代をどう生きていくかわからない
上記の項目に一つでも当てはまるようでしたら
なにかヒントを得られるかと思います。
どんなことをやってる人なの?
現在の活動は主に2つです。
▶️あいラボ〜I(私)を知り、愛を知る〜
【本音で生きる人を増やす】
あなたは自分の心の声が聴こえているだろうか?
現代の日本人は脳と心がバラバラに作用しています。
そのギャップにより耐えきれなくなり、うつ状態になります。
そもそも脳と心の役割についてちゃんと理解している人はかなり少ないのではないでしょうか?
僕も全く知りませんでした。
しかしちゃんと理解し、ちゃんと扱えるようになると
驚くほど人生が激変します。
簡単にいうと
脳の役割は
・「できる」か「できない」を判断する
・「やった方がいい(得)」か「やらない方がいい(損)を判断する
心の役割は
・「やりたい」か「やりたくない」か
・「楽しい」か「つまらない」か
で役割を持っています。
現代人は頭(脳)でっかちの人が圧倒的に多いです。
なので自分の感情を見失ってしまってる人が多いと僕は感じています。
しかし誰しもが赤ちゃんの頃、子どものころ感情に素直に生きていたはずです。
あなたが育ってきた環境や、外的要因によって心の声が聴こえなくなります。
心の声に耳を寄り添い、本当の自分の音(個性)を知ることで
自分らしく生きられるようになります。
自分の音を知ると他の人の音も許容することができ
【違い】を受け入れることができるようになり人間関係を良好になります。
調和(和音)の社会へ
自分の音を知ることでハーモニー(調和)を奏でることでできるようになります。
それがまさしく類は共を呼ぶ状態です。
自分の音を知ることで不協和音も感じることができます。
それは相手が悪いのではなく、自分には合わないと理解することができます。
自分の音を知ると自分とは合わない音は必ず出てきます。
僕個人の考えですが
全員と仲良くする必要はないと思っています。
ここで誤解してほしくないのは
自分と合わない人を批判していい訳ではないということです。
価値観の違いであり、良い悪いではありません。
良い悪いで物事を考えてしまうと二言論になり
争いが生まれます。
調和の社会とは違いを認め合い、困った時はお互い様と共存していく社会のことです。
日本人は元々その素質をもっていると僕は思っています。
それは縄文時代に始まり、平和な時代が続いた江戸時代が物語っています。
#明治維新以降 、本来の日本人らしさを失ってきている
僕は現代にこそ調和の社会を築いていくべく、現在活動をしています。
▶️青森を起点に人を元氣にする
僕は原体験で
たった一人の出会いで人生が変わると確信しています。
青森はまだ出る杭は打たれる文化が残っているように僕は感じています。
それは村社会が根付いているのでしょうがないことだとも思っています。
昔の農村地域では集団での作業をしていたので
一人でも変なことをしたら、収穫に影響が出て村全体の食料に
直接影響してしまう可能性があることから
この気質が強いと言われています。
しかし現代は農村地域も減り、時代は変わってきているので
見直すべきだと思っています。
どうしても知らないことに関しては
「宗教」や「詐欺だ」と罵倒する人が
多いように感じます。
それを繰り返した結果、新しいことを取り入れることに
遅れ、人口減少の加速化させ、経済成長もほとんどしてこなかったのが
青森です。
しかし、中にはそれでも青森で頑張っている人、挑戦している人が
多いことを知りました。
をテーマに青森で活動をしていき、人と人がつながる機会を提供しようと思っています。
そして東京と青森の二拠点生活を目指している理由としては
東京の人に青森の魅力を知ってもらい、青森にもっと興味を
持ってほしいのと、たくさんの人に青森に関わってほしいからです。
実は青森はロマンがつまった場所なんです。
今の活動をやろうと思ったきっかけ
▶️本音で生きる人を増やす
僕は周りからできるだけ嫌われないように生きてきました。
自分がどんなことを思っていても
意見をする訳でもなく、
例えあまり乗り気でなくても
相手が喜ぶならそれに従って生きていました。
このマインドでずっと生きていました。
僕は高校を卒業して東京に上京し
老舗の日本料理屋の接客として就職しました。
僕はここから仕事人間になりました。
数字を追うようになり、
売上を上げるにはどうするか、
利益を出すには?
会社が成長するにはどうしたらいいか。
そればかりを追求し
スタッフにもそれを押し付けていました。
目標売上を達成してもまた次の目標が掲げられ
達成してもまた次の目標。
ある程度結果を出すことができたので
22歳で支店の店長
29歳で本店の支配人を
任されるまでなりました。
数字ばかりを追うことに必死になりついてくるスタッフも疲弊していき
僕も果たしてこれが正解なのか?と疑問をいだくようになりました。
そんな中2020年の新型コロナウイルスによる緊急事態宣言。
社会人になって初めて1ヶ月の休暇となりました。
その時に果たしてこのままでいいのか?と。
そこで時間ができたので
これまで勉強してこなかったことを勉強しなおそうと
お金と歴史の勉強をしました
きっかけはyoutube大学のあっちゃんの影響です。
これをきっかけにある疑問を抱くことになりました。
なんでお金はこんなに身近なのに
学校で教えてくれないんだろう?
そもそも誰も教えてくれないのは何故だろう?
そして日本に住んでるのに
なんで日本の歴史をちゃんと知らないんだろう?
#僕が歴史嫌いってのもあったのですが
日本についてちゃんと知らない人が多いんじゃないかな?
という疑問が湧きました。
そこから色々調べていくうちに
謎が解けました。
それが戦後教育がきっかけでした。
#これについて話すと色々物議を醸すのでここではカットします
#知りたい方は連絡ください
そこから社会に疑問を抱き、もう一度自分というものを
考えなおしました。
そしてこのままだとなんかやばいと思って
これまでは家と職場の行き来しかしてこなかったので
人間関係はほとんど職場の人だけだったのですが
西野さんの革命のファンファーレと出会い
オンラインサロンというものを知り、勇気を出して会員になりました。
エンタメ研究所に入ってサロンメンバーさんと会うようになって
そこから一気に僕の人生は変わり始めました。
って思ったんです。感じたんです。
自分の人生を生きてる人たち!って感じだったんです。
それくらい僕にとってはサロンメンバーさんが輝いて見えました。
こんな世界があるんだ!と。
オンラインサロンとかって僕は全然知らなかったので
めちゃくちゃ怪しいと思ってたし
宗教っぽいのかなとか思ってビクビクしてたのですが
入ってみたら全然そんなことありませんでした。
これをきっかけに
僕は知らないものを正しく知りもしないで
怪しむのやめよう!と決意しました。
だってその考え方があったので
全然一歩踏み出せずいたし、新しい情報も入ってこないし
もしかしたらその考えでいろんな可能性を潰してしまうなとも感じたので。
#正しく恐れる
今の活動をしている最後の決め手は息子です。
コロナ禍だったんですが運良く出産に立ち会うことができました。
あまりにも神秘的すぎて思わず大号泣してしまいました。
生命の誕生ってこんなにも尊いのかと。
妻が命懸けで産んで、息子も命懸けで誕生した瞬間。
今を生きてるって奇跡なんだなって実感しました。
そして息子を抱っこした瞬間、
命の重みをズシっと感じました。
その時決意しました。
自分の人生を生きよう!と。
育休を1ヶ月とり
知人にコーチングをお願いして
自分の価値観を洗い出し
12年間勤めた会社を辞める決意をし、
第2の人生を歩む決意をしました。
そこからいろんな人にあ会いに行き
時間とお金を自己投資し
たどり着いた先が無意識領域へのアプローチでした。
#子どもが生まれてから累計で400万くらい使いました
#それを了承した妻がすごい !
#妻に感謝
いわゆる成功者と言われる人やビジネスで成功している人、
いろんな業界で活躍している人に直接会って
話を聞いてわかったことがあります。
人生うまくいっている人といっていない人の差は
無意識領域です。
人生うまくいっている人は
自分にはできる!と心の底から思っているので
エネルギーがまるで違いました。
それは紛れもなく、才能などではなく
魂からあふれでるエネルギーでした。
それを知り、自分にも試して、圧倒的に効果があったので
これを広めたい!と思うようになりました。
▶️青森を起点に人を元氣にする
青森は2021年に自殺率が全国1位になりました。
僕はこのニュースを見た時にかなりショックを受けました。
僕の故郷の青森が今こんなことになっているんだ、と。
丁度タイミングも相まって、ずっと青森には恩返ししたい気持ちは
あったんですが僕になにができるかわからなかったので
ぼんやりとずっと思っていました。
そんなある時に、衝撃的な出会いがあったんです。
それがキングコングの西野さんとSHOWROOMの前田さんが共同経営している
スナックCANDYとの出会いでした。
僕はたった一人の出会いで人生は変わると確信しています。
僕がそうだったので。
僕は青森にいた18年間、夢がありませんでした。
そして青森はなにもないクソ田舎だし、方言もあまり好きではありませんでした。
でも高校を卒業をして東京に上京し、東京で生活をしていくなかで
僕が青森で過ごしていた日常はもちろんそこにはありませんでした。
そんな中、いろいろな気づきを得ることができました。
出る杭は打たれる文化はあるのですが
それは本当にその人を思って言ってくれる人が多いんです。
つまりみんな愛情深いんです。
でも青森の人はあまり学びが得意ではないので
ただ新しい情報を知らないだけなんです。
青森は愛が溢れているんです。
それはどこからきているのか。
それが縄文時代から根付いてます。
再び愛が溢れる青森にしたい。
これが実は僕の中でこれからの活動を通して
実現していきたいと思っています。