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"人との違い"こそ あなたの魅力

人と自分を比較して、自分はダメだと落ち込んでしまうことってありませんか?

わたしたちは、鏡を見なくては自分の顔や全体像を見ることができないように生まれてきます。
それと同じで、「わたしって誰なんだろう?」ということも、人と関わり、 違いを知ることなくしては、知ることができないですよね。

『人と違う』ということが、個性であり魅力であると、今は思えるのですが、"みんなと同じである方がよい"というのが、多くの日本人の感覚にフィットするものだと思います。

本来のわたしは、個性的なタイプかつ、親の期待に沿うような子ではなかったので、悪い意味で人と比べられ、ダメ出しされることが多く、自分の価値を低く感じてしまうことばかりでした。

そんなわたしに、ある時、届けられたメッセージがあります。
それは、三重県の伊勢神宮にお参りした時のこと。

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本来の自分を生きることは
しごく自然なこと
松であるものが
梅の木になり香る花を咲かそうとする方が
難題

こうあらねばと力むことをやめ
ただあること
そこに存在し
呼吸すれば
本質が開く

内側から溢れ出すものだけが
本物

この世に存在するもの全て
自らの内に設計図を宿している

その聖なる計らいと
違う何かになることは決してありえない

その事実に対して
こうあるべき
ああなるべき
これはよい
あれはだめと

未熟な後知恵を働かせることは
大いなる計画を
邪魔することに他ならない

自分という存在は
大いなるものの意図を受け
寸分違わず
必要な道のりをたどっている
それを信頼し
地球遊園地を
堪能し楽しめばよい


わたしの本質は松なのに、ずっと梅になりなさいと育てられてきた。 
そしてわたしもいつしか、梅にならなければと思い込んでしまった。 
松のわたしはだめだって、ずっと思ってきた。
 だから苦しかったんだ。
わたしには梅のような花を咲かせることはできない。 
それはわたしが持って生まれてきた設計図とは違うから。
でも、わたしが松としての自分をめいいっぱい生きていたら、
松の葉のようにまっすぐ で、
凛とした美しさを表現することができるんだ!


帰り道、神社の脇を流れる五十鈴川のさやさやとした流れを眺めながら、
『この自然な流れに逆らって、逆流し、消耗してきたんだな……』

人と違っていて、たとえ人から理解されにくい自分でも、
わたしはわたしでいいんだなと思えました。


それから時は流れて、つい最近の話。
突然ですが、みなさんはタンポポの断面って見たことありますか?

先日、息子のオンライン授業で、タンポポを取ってきて観察をする機会があったのです。

黄色いタンポポの花を縦半分にカッターで切ると、花びらの下にはホワホワの白い綿毛がすでに内包されていて、種もしっかりついています。

変容していくその設計図は、外からは見えなくても始めから用意されているんだ!!

とわたしはちょっと感動すら感じてしまったんです。
それは、以前、出雲大社にお参りした時のメッセージと繋がったから。


わたしたちみんな自分だけの設計図を持って生まれてきている!

そんな風に思ったら、人と比べることや他人の目を気にすることも意味ないんだな〜って肩の力が抜けませんか?


自分が自分の価値を認められるようになると外の世界の現実も確実に変化していって、自分の個性は魅力になり、価値ある自分に相応しいものを引き寄せることができるようになるんですよね!

みんなが自分という存在に自信を持って、それぞれの輝きを臆することなく放てる!そんな価値観が主流になったなら、素敵だなと思います♪

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