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絵画展「めがあうくらいの距離」のレポート
2021年の個展が迫ってきているので、ずっと下書きにしまっていたこの文章を仕上げたいと思います。2020年の個展の記録です。
2020年2月の個展のテーマを決めたのは、前年の12月でした。厳密にいうとテーマはずいぶん前から決まっていたのだけれど、言葉をさがしたのが12月20日。高円寺にある私語禁止の喫茶店で、個展のテーマとなる言葉探しをするのがここ何年かのお決まりだったのですが、この年はどういうわけか中々に足が向きませんでした。
この日、この場所に、はじめて人と一緒にやってきて、別々の席に座りました。そしてその日はじめて座った席は、マスターの動きが誰よりも見える席でした。今思えば、こんな偶然が、テーマに深く深く食い込んでいったのかもしれません。テーマは「自分と自分以外の誰か」でした。
はじめてこの場所にやってきた後輩は、尽くせる限りの心遣いをもってこのお店で立ち居振る舞ってくれました。この大切な場所を大切にしてくれる彼女についてきてもらって本当によかった、と思ったことを覚えています。
たいてい心を落ち着けて音に集中したり、香りに集中したりしながら五感を交代で使って、追いつかないペンで文章を書くのですが、思考がペンに追いついたことは一度もなくて、いつだってこれをもどかしく思います。でもそうこうしているうちに、いつもたくさんの殻で覆っていたものが見えてくる感じがします。
表現には人間の心奥が必要になるときがあるように思います。取り繕いや虚勢や、無難にこなすことは社会で生きるのに必要なものです。けれどもそれだけでは絵は描けないと思うのです。(少なくとも私は描けない。)生きるために必要な殻を取り外しに、私は決まった場所に足を運びます。殻を取り外すことはずいぶんなリスクだと感じます。殻を纏うのは自分を守るため、生きていくためですから。
私はある意味リスク管理でこの場所に来ているのかもしれません。こころがツルッと剥けるみたいな、危ない感覚を味わいに。
時間、空間の後で、いよいよ目の前に人が現れたのがこの展示でした。めがあうことは、友好で、認識で、挨拶で、尊重で、前向きな期待です。ゼロともいうべき距離感が、私にとっては何よりも心地よい。絵とひとの距離も、これに似ている気がします。だから私は絵を選んだのかもしれません。
そしてその先の、近い距離には質量が発生します。無限には持ちきれない。そんな距離感を求める人もたくさんいるはずです。
他人とどんなふうに共存していけばいいだろうか、とこの先もずっと考え続けることなのだと思います。関わりを持とうとしなくても、存在するだけで難しいのが私たちだということを、噛み締めるように絵を描きました。
画面に複数の人間がいるというだけで、構成も色も何もかも、ずいぶん混乱しました。できるだけゆっくり息ができるように画面をつくり、緊張感とプレッシャーの中開催した個展で、絵の話をすることが本当に楽しかったです。
次の場所でまた、こんな話ができたらいいなと心から思っています。