バイトから帰宅。「お父さん、出ていかはった」母の言葉に理解が追いつかなかった。
はじめに。
この記事で伝えたいことは
・どのような逆境になっても諦めず前を向いて進んでほしい
・どんな辛い状況にあっても必ず突破口はある
ということです。
この経験が明日誰かの少しの元気になればと思います。
中学を卒業後、高校卒業程度認定試験(旧:大検)の取得を目指しながら近くのスーパーでアルバイトする日々を過ごしていたそんなある日のことでした。
夕方帰宅すると母から告げられました「お父さん出ていかはった」
僕の頭は理解できませんでした。
しばらくして、母から封筒を渡されました。
そこには「手紙」と「結婚指輪」が入っており恐る恐る手紙を開け文章を読み進めました。
謝罪の言葉と別れの言葉が書かれていましたが、詳細な理由は一切わからない手紙でした。
とにかく安否がわからないということで必死の捜索が始まりました。
父の捜索
とはいえ15歳の自分に何をすることもできず、父の行方を探すために母が奔走してくれました。
その間、働けるのは自分しかいなかったこともあり少しでも生活費用を稼ぐために勉強時間を削り朝から晩までアルバイトをする日々でした。
1ヶ月〜2ヶ月後父の居場所が沖縄であることを突き止めた母はすぐに飛行機で沖縄に飛びました。
後日分かったことは沖縄なら見つからないと思ったそうです。
父失踪の真相・親族会議
真相は最悪なものでした…。
不倫の末、子供ができたので逃げた。
15歳の子供でも最悪だと思える程の理由。
その後、沖縄から連れ帰り話を親族でしたようです。
当時15歳だった自分はその場にはいませんでしたが、後に母から聞かされた話によると不倫をする理由に足りえないような内容で聞くに耐えないものでした。
その理由の一つが「もっと働いて欲しかった」
全くもって不倫する理由にならず、夫婦で解決すべき問題です。
その場にいなかったので真実はわかりませんが、母を全面的に信じるのであれば非は父にあると確信しています。
裁判と生活の立て直し
裁判が始まります。
どう足掻いても非は向こう側にありますので当然勝ちます。
裁判の終了し、離婚が成立しました。
しかし、この裁判を境に母の疲労はピークに達し「うつ病」になってしまいました。
自傷行為や自殺を図るようなものではありませんでしたが、精神的に病んでしまい働けない日が続き生活するために借金が膨らみます。
その当時住んでいる借家は住めなくなり母の祖母の家でお世話になることになりました。
この時ほど近くに親族がいてよかったと感じたことがありません。
気がつけば20歳
安定した生活ができるまでは3〜4年かかりました。
消して裕福とはいえませんが、必要最低限の生活ができるようになりました。
気づけば僕も20歳になっていました。
なんとか高校卒業程度認定試験には合格できていたものの、将来のことは後回し自分の時間を浪費して働く毎日を過ごしてしまっていました…
【後日談】もしも父が見つからなかったら…
父が見つかっていなかった場合多額の借金を母が返済することになっていました。
というのも父は多重債務の末に債務整理を行なっておりました。
それを踏み倒して逃亡を図ったのです。
もし見つからなかったら時のことを想像したくないですね…。
心身疲労困憊になりながらも父の捜索に奔走してくれた母には感謝しかありません。
最後に
僕はこの経験をあまり人に話したことがありません。
話したところで空気が重たくなることが必至、共感を求めたところで想像がつかないことが理由です。
この記事が明日誰かの元気になれば大変嬉しいです。
写真素材:フリー素材ぱくたそ
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