シェア
真実というものは 初めから知っていることを 知らない。覚えていないだけのもの。 人々は、それを偉大なものとして それを忘れてしまった偉そうな誰かの言うままに あなたはまだ〇〇だから、真実を知らないね。 と。 真理を知っているかどうかに条件付けが生まれた。
どうもです。 いろんなことが動いている中、 その動きの中にも確実に今にいるならば ホントは動いてなんかいないぜ。ベイベー。 ヒカリです。 さて今日も記事を書いていきます^^
おはようございます。 今日も、静かな気持ちで綴らせていただきます。
おはようございます。 本当に、素晴らしい1日をありがとう。 素晴らしい1日を確信して、今日も綴っていきます。 先日このような質問をいただきました。 面白くなりそうな質問ですね〜〜 ありがたい。 では、湧いてきた順に。
「真我があるからもう大丈夫だ。」 という表現を聴いたりすることがある。 こう聴くと、何か真我(本当の自分)という存在が 別のどこかにあって、普段のわたしとは「別」の、自分。 本当の、自分。というのが何か「別」にあって それが、いつも自分を見守ってくれているんだ〜〜 というような解釈に感じられる。 けれど実際、そのセリフを語っているのは思考で いつもの自分というのは、思考そのものなのだ。 真我があるからもう大丈夫。 と考えるのは誰だろう? そう、それは思考