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現実って、「わたし」という主体を置いたときに この現実の全ては素粒子(もっと言えば素粒子いう名前も付いていない何か)で 映るもの全てはフラットな何の意味もついていないものだから 「わたし」が何か一点に、「意味」という名のエネルギーを注ぐことで 現実化していた。
起こることは、全て自然。 あなたが感じた違和感。 あなたが感じた共感。 全て、自然。 その違和感を分析する必要すらない。 頭で決定せず、 ただ、呼吸の導かれるままに。 どこにいくかや、どこにいるかは問題ではない。 あなたが呼吸のままに流れていること。 その流れそのもの、その心地よさが素晴らしい。 この漫画、すごく深い知性を感じます。 本当素晴らしい。 私がいることより、私が「いない」こと。 私がいることより、"わたし"がいること。 それは素晴らしい
自らが体験したことを言葉で語るのって昔から少し気がひけるところがあった。 表面的なことを語るには言葉で充分だけど 感じたことや、もっと実存に近い、内側の体験においては 言葉で表すことができない。
おはようございます。^^ この動画でいただいた質問へのお話。 実はもう一つ、お話したいことがあったので そっちは今からここで書きます。 このユウスケさんの、「あまりに美しくない言葉」や「ノイズ」 という表現は 彼が、深い静寂を感じている証でもある。 証とかいうとちょっとカッコよすぎるけど(笑) 実は、この繊細さは、鋭い洞察力の表れだ。 繊細っていうのは、これまで 男性(頭)史上主義で出来上がってきたこの社会では あまり良い意味で使われていないかもしれないけ
今朝、家族で海岸のゴミ拾いをした。
世界は美しい。 鳥が鳴いていて、空は青くて 木の葉は揺れていて、波の音も聴こえる。 世界はこんなに、美しい。 最近、セッションでこんな質問がありました。 「近頃、発信する人が増えていて、けど観る限りほとんどの人が、 望む未来を実現しよう。現実を変えよう。 というような発信をしている中で、それをしたいなあという頭もあるけど ヒカリさんのオトを聴いていると、 とても深い安堵感があります。 でもやっぱりみんなと同じように望む未来を生きたいとも思います。 どうし