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にんげんになりたい

ジブンコントロールにおいて、
インプットとアウトプットの
バランスをとることはとても重要で、

このバランスは
人それぞれだと思うけど

私は自然と
インプットが必要で 欲しているときと
アウトプットしたくてうずうずするときが
交互に
周期的に巡ってきてる感じがする。

大声で歌い出したいときとか
何か人と喋りたくて寂しくなるときもあれば、

ずっと家の中で本読んだり
映画観たりしていたいって思うときもあって

この差が結構激しい。

ちなみに今はアウトプット期のようで、
何か書きたいんだけど
思うようにするりと書けなくてむずむずしている。


うまい具合に
インプット、アウトプットすることが
自分を良い状態に保つ、
悪い状態に歯止めをかけることに繋がるようだと
なんとなく気付き始めたのは、
確か高校生のとき。

もやもやしたものを抱えてるなら
紙に書き出すとか
とにかく声に出すとか

何も浮かんで来ない、
自分てなんだろとか思い始めちゃったら
好きな映画みたり本読んだりしてみるとか。

自分なりのストレス発散方法 構築期。

外部的要因によるストレスと
その発散だけじゃなく、
なんとなく周期的に訪れるヤツがあるっていう
インプット期・アウトプット期の存在にも、
このあたりで気付きはじめた気がする。


どうやら
適宜、感情や情報の出し入れをするのって
結構大事なことらしい、と
じわじわ感じはじめてから数年が経ち

あちこちでインプットアウトプット云々の話を目にするようになり、
ああなるほどみんな通る道なのね、と。

高校時代のわたしは
インプットアウトプットのバランスのハナシを
自分だけの発見かのように思っていたので、
それを思い出して
ひとりでちょっと照れたりした。


思い返せば、
いろんなことをぐずぐず考えてしまう癖は
中・高時代に形成されたものだ。

大学に入ってからは
更に理論武装を覚えてしまったものだから、
自分でも手に負えなくて
嫌になったりもしたけれど、

そうやってちまちまぐるぐる考えて
言葉を探してきたからこそ、
経験則として、
実感としてわかることもあったりする。

考えて、外に出そうとして、失敗して。
それでもいろんな種が育っている途中だと思いたい。

インプット・アウトプットのバランスの話も
そのひとつ。


鋭くてうまい文章を書く方々が言うことは、
読むだけで本当にすとんと落ちてくるし
ああ あれがこれか、、みたいに
納得したりして。
名前がつけられたようで安心したりして。

それはそれで心地良い体験だけれど、

自分が感じ取って
自分で抱えてる考えや感情や方法を
自分の言葉で自分の外側に出してみて

それでやっと自分のものにできるっていう、
そういう
自分の見つめ方、自分との付き合い方、
自分の保ち方っていうのが大事で

そういうのの積み重ねが自分をつくっていく。

インプットしてアウトプットして、
そこには思考があって模索の跡があって。

誰かの有難いお話にうなづいてるだけじゃ
自分の中身の濃度を上げることにはならない。

インプットとアウトプット、
そのバランス感覚を養うことは
精神衛生というか、
色んな感情を、自分をコントロールすることに
大いに役立つ。
上手なストレス発散法だ。

同時に、
そのインプットとアウトプットを
感情の処理作業としてだけでなく、
自分なりの消化活動として
呼吸するように
何かものごとに対する気付きや感想、感情、
パターン、方法、などなど、
自分のものとして再生産して蓄積して
積み上げていけたら

もっと日々が濃くなって、
少しずつ厚い人間になれる気がする。

書きながら、
私がいま言いたいことなんて
もっと先に頭の良い誰かがもっとわかりやすく
うまく書いて読まれてるんだろうなって思って
消しちゃいたくなったけど
このまま投稿する。

いまの私はこれくらいなのですと言うことで。

#雑記 #インプット #アウトプット #自分コントロール #バランス #いまのわたし

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