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ひとりくらい、いなくなっても困らないなんて本当か。

先日わたしが信頼する八百屋さんが廃業された。
減農薬、有機、無農薬の野菜を中心に取り扱ってくださっていた、
とても信頼できる知識豊富な八百屋さんだった。

フルーツもそういった質のものを仕入れてくださり
とても安心して買うことができた


商売の難しいところは
店主のポリシーとお客様のニーズが合わないと営んでいかれないところだ

どこに妥協点を見出せるか
どこまでお客様が理解してくださるか

これの見極めだと思う

ここに活路を見出せない時
魂を売るか
商売をやめるか
なのかもしれない


やめる選択を決断した時に
「うち1件いなくなったところで誰も困らないよ」
というセリフを
この八百屋さんに限らずよくきいた

理解はできる

わたし(イチおむすび屋)がやめたところで
おにぎりはコンビニで買えるし
お客様はどこかでお米を買うし
ネットで探し出して注文するだろう

だけど
実際八百八さんがいなくなって困ったのは
野菜が買えなくなったことじゃなくて
「安心して」買えなくなったことだった。

不便と不安(安心がおびやかされる)は
全く質の異なることなんだと思う

近くで野菜が買えなくなったこと

車を走らせてでも野菜を買いに行っていた信頼できる場所がなくなったことは
全く異なることだろう


廃業になってしまったのは
この
安心を買っていた人の数の方が
ずっと少なかった、ということでもある


先日あるコンサルの方から
値段設定の話があり

わたしのある商品の価格が
原価50%くらいかかっている話しをしたら

「であれば、本来の価格で
売れる場所へ行くべきなんですよ」

と言われた。

たとえば

これは500円くらいにしないと
この辺りのお客様には売れないだろう
質は下げたくないけど(←これは売り手のポリシーでありエゴ)。

ではなく

原価250円かかっているのなら
700円で売れるところへ行くんです
ポリシーを曲げたくないのなら。

ということ。

そうしなければ
続けられないですよ、と。

質にこだわりたいのなら
「どこで売るか」もとても大事な問題だ。


どこで売るか、は最初の決断になるから
はじめてからあーだこーだ言えることではない

それでも
その場所で商売をはじめれば
安心して買えてありがたい、というお客様はついていく

だから終わってしまうとわかったら
安心して買えていたものが買えなくなって困る人は存在する。
少数かもしれないけれど。

そんなお客様を目の前に
「うち1件いなくなっても困りませんよ」
なんてこと
やっぱりないと思った。

氣持ちは理解できる

思わず言いたくなる、吐きたくなる氣持ちはわかる。

その少ない人たち(要はファン!)のためだけに続けられるほど
商売は甘くない。

それでも
うちがいなくても困らない
は違う。

「いなくなっても誰も困らない」ことはない。
困る人はいる。います。

自分が積み重ねてきたことを受け取って受け止めて
ありがとうございました
力およばずでごめんなさい、
なんだと思う。

力およばなかったとしても
積み重ねてきたことをなかったことにする必要なんてない。

失敗したからって全てが失敗じゃない。
ダメじゃない。


そんなことを考えながら
もし自分が「やめる」という選択をする時には
潔く手放せるように
今を懸命にやろう、と改めて思うのでした。

お客様に
正直に誠実に
ごめんなさいを言える姿勢であろうと思うのでした。

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