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徳・慈愛・利他愛・らしさ (その一)


武士道

戦後教育を受けている今の世代に
失いつつあるものではないでしょうか。
武士道は 実践しないと意味がない ということです。
思想的な道を 探求するうえでの指針となるもの
心のありよう 人としてのありよう なのですが 
何が大切かと言えば 日常の一挙手一投足なのです。武士道論 になっている場合が多いんですね。
お茶をいただく時 お食事をする時
歩く時 姿勢 表情  
日常の中での事で全てが 武士道に通じていなければならない訳です。
知識だけ入れるのではなく 
行って初めて学んだ という事。
また 人によって武士道の定義が 少しずつ違ったりしますが 多くの方々が 武士道と把握されている なんとなくこう という印象が
明治時代 日露戦争以後から戦前・戦中・戦後に至るまでの武士道 といってもいいかもしれません。それは
江戸時代の武士道とは違いますし
サムライがいなくなってから 武士道はこうだ という考え方なんですね。
さらに言えば
大正末期から軍の教育 軍の上層部によって 
都合のいい形の 武士道の教育が行われるようになって行きました。
それが 潔く死ぬこと。それはちょっと違います。

武士道の原点とは何か。これは弱きものを助け 思いやる。慈悲 なのです。人らしく生きていく最低条件が 挨拶であり 礼節です。礼節は 慈悲 と謙虚さ という 動機から生じるものであります。
仁愛 という事でもあります。恵み 慈しむ 親切な 気持ちの現われです。礼節の実践が 日本全国に浸透していきますと 古来よりの 礼節の国 と謳われました麗しい 日の本(霊の元)つ国が 復興してまいります。

武士道の根底にある核になるところは
敵に対して手厚くするとか 負けた人 弱い人に対しての お慈悲・武士の情け という事です。騎士道も素晴らしいものですが 武士道の 違いはそこにあると思います。武士というのは 戦闘集団です。しかし 刃を抜くのは どうしようもない時に抜くんです。それは邪悪なものが 民の安らぎというものを 奪う時がある。それがギリギリどうしようもなくなった時に  

弱い者を守る立場の者達が 
やむにやまれず 刃を抜くわけですね。 
武 という漢字は 戈(ほこ)を止めると書きます。
抜くからには 収める時のことを考えなければならない。どこで収めるか。どういう風に平和を実現するのか。基本は 弱き者を守る  慈悲 というところにある。武士道は愛する事にある。死 というものを見つめるのだけれども 本当は命を大事にして いざという時には 命がけでやらなければいけないけれども 極力死なないように 死なないように 
無謀ではなく 争いは避けて 話し合いをしながら進めていく。本当の勇気は 忍耐 なんですね。

いかに戦わないかということ。そして ここは生きるところだとなれば 断じて生きるんです。
何がなんでも 生きる。死にたくなる状況でも 
ここは生きるべきところ と見たら どんなに苦しくても 生きる。ここは死に場所だと思ったら 自分が死ぬことによって 多くの命が助かるとか そういう時は勇気を出して静かに 死を受け入れる。
ここが潔く死と隣り合わせで生きる という事だと思います。

対米戦争の特攻作戦は片道だけの燃料だけで 
敵空母・敵戦艦に体当たりをして 自らの命と引き換えに 敵の船を沈めるという事をしたわけです。この作戦は 作戦としては ひどいものです。軍事作戦の成功は 帰ってきて初めて成功 と言えるんですね。たとえ目標を撃破しても 出撃した部隊が全滅しては これは成功とはいえないんですね。
ところが 特攻 というのは 死ぬことだけが最初に決まっているわけですよ。こんなメチャクチャなことをしなければいけなかったというのは
最後いよいよ日本が追い詰められてきて 負け戦だからです。特攻作戦の目的というものは
米軍・アメリカの政治家に対して 恐怖心を植え付けることなんですよ。まもなく日本は戦争負けます。占領されるでしょう。

でも 好き勝手すんじゃねぞ。日本人 なめんなよ。日本人の この姿を見ておいてください。
日本人最後になったら何でもするぞ っていう話なんですね。そういう風に考えた時に この 特攻の意味って大きかったんです。アメリカ人曰く 
日本人 怒ったら何でもすると。何しでかすかわかんない。
そういう連合軍も 気を使いながら緊張感の中で負けた日本の占領が始まるんですね。だからこそ 日本の国も 政府も 議会も そのまま残し 
天皇も残しました。彼らはもう ビックリしたんですから。アメリカの兵隊は 
生きて帰ることを前提に戦っているんです。
日本の兵隊は 死ぬ覚悟で戦っているわけですよ。生きて帰る人と 死ぬ覚悟の人と 戦ったらどうなります?

ただでさえ硫黄島の戦いで 米兵はおかしくなっちゃったんですから。普通は負けの場合 白旗あげて投降するものですが
日本人は 玉砕 撃たれるのがわかっっていても 刃振まわして 何百人と突撃してくるわけですよ。撃っている米兵は 心壊れるんです。何十人も撃っている人の心は壊れますよ。アメリカの兵隊が上官に送ったメッセージが残ってますよ。「もうお願いだから俺たちを あんな狂った島に連れて行かないでくれ」精神的にPDSDになってしまって 戦場復帰できない若者がほとんどだったんです。確かにアメリカは勝ちましたよ。

勝ちましたけども ものすごく怖かったみたいです。
硫黄島を守備した日本兵は 2万3千人。
それを取り囲んだアメリカ兵は 17万人。

これほどの戦力差があったら アメリカ側は 簡単に短期間・無傷で勝てると 3日で落とす計画だったんです。ところが実際攻めてみたら 1か月経っても まだ落ちなかったんですから。日本人は 生き残ったのが20人ほどですよ。2万人以上が玉砕しました。しかし
そんな小さな戦力で こんな粘った例は人類の歴史上無いんですね。
アメリカ兵は生きて帰りたいのに 
日本兵は 死ぬ気で向かって来るのですから 
おいおい来るなよって感じで なんでこんなに日本兵は あんなに真剣に戦えるのか わからなかったそうです。
そして最後に見たのが 特攻 です。
フィリピンのレイテ沖から始まって 沖縄も。
鹿児島の知覧から 若き特攻隊員1000名が 沖縄防衛のために飛び立ち 往いて帰らざる壮途についたのであります。
それは 飛び立てば 2度と帰ることのできない出撃でした。 

父よ 母よ 兄弟たちよと叫んで 若き志士たちは 祖国を守るために開聞岳(かいもんだけ)の麓から飛び立ちました。爆弾抱えた飛行機が 突っ込んでくるんですよ。恐怖だったでしょうね。
アメリカ兵の日記から 恐れおののいていると共に さらに この人達すごい! 軍人の鏡だとか 賞賛しているんです。自分にはできないって 書いてあるんですよ。
日本人 この人たち最後になったら 何でもするな。死ぬ気になって来られたら こんな強いものないですからね。精神的に すごいインパクトがあったわけですよ。しかし硫黄島も アッツ島もガダルカナルもそう。各地の日本人が玉砕した戦闘した人は 特攻隊じゃないんですよ。普通の兵隊も自分の命を捨ててでも 一撃をくらわす。硫黄島が落ちたら 日本が焼かれるんですよ。自分の家族が殺されるんですよ。何のために死んだかっていったら 家族を守るためです。特攻にも志願していったんです。

最後の日本人の精神性を見せつけるんです。もう敗戦するのはわかってますからね。敗戦した後 何とか国を残したい。

未来を担う 種と芽を残したい というのには  
なめんなよっていう これから 日本 敗戦するけどさ 好き勝手させねぇぞ って話ですよ。
この姿 見とけ!と。
よく特攻隊は 命を捨てたに等しいと この子達可哀そう という人いますけど
特攻隊の若者は 日本国を守る という夢をもって飛び立って行ったんです。そして夢を叶えた人たちですよ。
その魂は お取り上げ下さると信じる。母神は その霊衣(アウル)をもって包まれたに違いありません。

特攻・各地の戦地で勇敢にも戦った日本兵のあの姿です。その姿が 米兵の心に焼き付き 
マッカーサー元帥が言ったんですから。

天皇をなくしたら駄目だ と。日本国解体したら すごいことが起きる と。
特攻 日本の兵隊たちの戦いぶりに 日本は守られたんです。愛する人が幸せでいられる事と 日本国が存続する という事がつながっていたんですよ。
国を守るという事は 家族を守る という事だったんですね。
戦争に負けると その国家は2分割 3分割されるのが常識です。ドイツも5分割されました。
朝鮮もベトナムも 2分割でしたよ。
日本も終戦があと1・2週間遅ければ 
北海道はロシア 西日本は中国だったかもしれません。

連合国で 3等分・4等分するような話になったかもしれない。大棟 ひとつで収まりましたけどね。
日本国さえあれば 家族は幸せでいられるはずだ。と思った特攻に志願した人達の想いは 正しかったんですよ。そういう人たちの 勇敢な行動があってこそ 日本国が守られたんです。

なので この最終局面での日本人の振る舞い  
人類の歴史上 この時ほど日本人が勇敢に戦った人達はいません。このことによって終戦 という戦争をして負けるという国難にあたっても日本はしっかりと 国を守る事ができましたよね。そして 今 しっかりと国を反映させてますよね。国家の存続と 愛する者の幸せが 完全にイコールで結び付けられていた。大切なものを守るために 戦った。2000年以上永きにわたり続いてきた人々を
守り続けてきた それが 日本国 なんですよ。
だから国民が日本を守るという事なんですね。
命を投げ出してでも守ろうとした 
その国に生まれたんです。
引用 参考文献 石川真理子さんCGS     竹田恒泰さん 竹田学校 他

そこまでして守ってくれた日本の国は 今どうですか?物にあふれた 安穏とした私達の今の生活は 当たり前なのでしょうか?当たり前に続いていくのでしょうか?
これから私達は どうしていったらいいですか?どういう心根で生きていけばいいと思いますか?
子ども絵画教室G-Child 濱谷園枝
http://masunao-kodomo.info


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