日本のアイデンティティ 記憶喪失(その二)
サンフランシスコ講和条約
日本は独立国でしょうか。
実は1945年以来 独立した事がないんです。
1952年 4月28日の
サンフランシスコ講和条約で独立を果たした
というのは名目的な独立であって 言うならば半分の独立です。
あとの半分はどうなっちゃったんですか。
サンフランシスコ講和条約が署名されたのは
1951年です。この時に吉田茂を筆頭とする全権団が行って サンフランシスコのオペラハウスで4日間つめて そして最終日に晴れて署名をした。おめでとう 国際社会の独立おめでとう と 握手攻めにされた。という事になった。しかし 同じ日の夕方に もう1つ署名した重要な条約があります。
それが 日米安保条約です。
これは 日本という国を アメリカが守る事だ と教わってきました。
なぜそんな重要な日米安保条約が こっそりと誰も知らない所で署名されたんでしょうか。
日米安保条約をいつ どこで署名されるという事は当日までわからなかったんです。 前日の夜の11時頃になって 明日 署名するよ と連絡が入るわけです。当日 サンフランシスコ講和条約のセレモニーと署名をして 吉田茂がスピーチをして よかった よかったと思って
時計の針が正午を過ぎ その頃に次の知らせが入る。今日の夕方5時 プレシディオという陸軍の軍用施設の貸館用クラブハウスの居室で そっとサインするから来るように と言われるわけです。
その頃に日本の全権団は その事情を悟って反対しました。吉田茂は 池田勇人だけを お供にして
プレシディオに向かいました。
吉田茂は池田勇人に この条約は 評判が悪い事になるから 僕が1人で署名するよ と言いました。それが60年の改訂を得ながらも今日まで日本人が安全保障上の基軸として 支えとして大事に守っている 日米安保条約が最初に署名された姿なんです。
なぜ こっそりとサインする必要がある。隠す必要がある。
それは 安保条約の父と言われる ジョンフォスター ダレスが明確に述べたように
この条約の目的は
好きなだけの軍隊を 好きな場所に 好きな期間おいておける。すなわち占領中の米軍の全ての特権を 日本が独立した後も 合法的にずっと継続する事が目的なんだ とダレスは言った。
それが本当の目的なんです。独立したら占領軍は90日以内に撤退しないといけない。マッカーサーがいた全国規模の特権をそのままキープするとしたら イギリスとか ソ連とか同盟国からも
サンフランシスコ講和条約に違反しているという批判を受けうる。だから内密に
最後の最後になって 日本の全権団にも時間も場所も知らせずに 土壇場で署名させたのが日米安保条約です。日本という国は日米安保条約によって名目上の独立を果たしたその瞬間から 数時間後には 実質的に占領国として確立されたわけです。
それは今日まで続いているんです。
日本側から要請された 頼まれた と書いてあるんです。実際に吉田茂や当時のリーダー達は 今行かれちゃうと自分たち危ないから
アメリカに引き上げないで 行かないで残って下さい と頼んだわけです。
アメリカ側も朝鮮戦争もあったし 継続するようになった。これは日米安保条約の中に書かれている。問題は 別途 行政協定で定める と書いてある事です。
行政協定というのは条約と違って
外務大臣同士で決めてしまうとか 両政府だけでやります。立法府 国会も通しません。両政府だけで様々な協定を決めます と書いてあるんです。この協定の中に米軍の様々な特権が書かれているわけです。国民は知るすべもありません。
1960年 安保改定の時に 中身はそのままで 名前を 日米地位協定 と変えました。
日米地位協定 というのは 米軍がどこでも基地を置き いつでも訓練ができると書いてあるんです。こういうものを抱えたまま 北方領土問題 沖縄の基地の問題は解決できないんです。
大元にある この条約の下にある協定によって 今の生活に直結する問題も解決しないんです。国会で審議しないし 一般の国民の目に触れる事はない。だからほとんどの人が この存在を知らず中身を確認する事もなく
日米合同協議 その下にある 日米合同委員会が決める。その中には国会議員はいません。
1990年 経済成長をした日本の生き方を
1980年 ライスシャワー大使は
あの戦争で敗戦した日本人は もうこりごりした。もう自分の頭で考えるのは 自分で行動するのは嫌だ と思っている。
だから安全保障はアメリカに丸投げ。自分達は経済の繁栄だけに集中します。
これが 吉田ドクトリンと言います。
ユナイテッドネイション 戦勝国連合の 国連の言う事に従っていれば お金を与えていれば 日本は敵をつくる事も無く 絶対安泰だよ と
何かあったら別世界に逃げ込んで
頭を抱えて 目も耳も塞いで
都合の悪い状況が続く間は黙って 隠れて そして
状況が改善して過ぎ去ったら そぉ~っと戻ってくる。これがライスシャワー博士の日本観なんです。
自分が何かをする という事ではなく 誰かが変えてくれるだろう 何かしてくれるだろう という受け身。まるで他人事で 食客のようにお気楽で 自分事のように考えていない。主体性 自立性のなさ。
日本人のそういう性質 性格について非常に愁いていた人が 脱亜入欧 といって 幕末 明治の頃の 西洋文明を取り入れて 日本を近代化して強くしようと考えていたのが 福沢諭吉です。
学問ノススメ は学問をする事で
個人がより自立する。自立した個人が集まる事で 国家が自立する。自立した国家ではないと 西欧列強と対等に付き合っていけない という発想であり お上の言う事を聞いていればいい という事だけでは近代国家にはなれない.。個人がもっと自立しなければならない。
自立するために必要なものが学問である。だから 学問を勧める という事が書かれています。
それでは今の私達は 福沢諭吉の目指した 自立ある個人と国家というものを達成したのでしょうか。
戦後はひたすらアメリカについていく。 自発的に 能動的に 戦後の 吉田ドクトリンという戦略にのって そして冷戦構造改革が崩れ ソ連が崩壊する。その頃 日本の経済は非常に強く発展していた。 なので かつて日清戦争に勝った 日露戦争に勝った時のように 日本を敵視したように
今度は冷戦の狭間の中で経済的に独り勝ちのように強くなった日本を見て 日本は危ない とまた敵視されるようになったわけです。
日清戦争の 1898年からアップデートしていき 真珠湾攻撃 という奇襲をして 卑怯な日本は許せない。 日本の学校教育では真珠湾攻撃で 日本は何て悪い事をしたんだ。罰として原爆まで落とされて敗戦になったんだ と教わりますが 実は真珠湾攻撃はアメリカの オレンジ計画 の狼煙(のろし)となったわけです。最初から織り込まれていた。そして予定通り
1945年の敗戦に至るわけです。
そして 戦後は 日米安保条約があって 日米地位協定があって 日米合同委員会がある。軍部がかつてのGHQのように間接統治をしている。日本が2度と軍事強国にならないように日米安保条約あるんだ という キッシンジャーが 周恩来に言った
いわゆる ビンの蓋論ですが
日米安保条約の本当の目的は日本防衛ではなく
合法的に占領状態を継続する事にあるわけです。この構造が戦後の占領期間をずっと延長している というメカニズムになっている。
しかし そういう所に触れると大変な事になる というタブー視されているのです。
ベーカー国務長官は
冷戦時の勝者は日本だったけれども
冷戦後の勝者は日本にしてはいけない と言ったわけです。
そして 半導体も 金融も
今では日本人の税金まで日本は手放してしまうわけです。当然 日本は弱体化していくわけです。それが戦後の日本の病で
相手の要求を全部受け入れて それに気づいた人が何か行動を起こそうとすると 足を引っ張られるわけです。独立してはいけない 自立してはいけない 変な人 変わった人と思われたくない
これを目指す人は悪である 言われた事は全て飲み込む 言われた事は逆らわない 大和魂が抜き取られたかのように
それが是である 正しい生き方である という風になってしまったから その通り弱体化したわけですよ。吉田ドクトリン的に冷戦下においてはいろいろ言われながらも その中で経済だけは頑張って豊かになる という発想。昭和を懐かしむ人が多いけれども 何も考えず ひたすら経済に専念して24時間戦えますか という
砂上の楼閣というか 物やお金が豊かになり 自分の楽しみだけを追及できた 思考停止状態できたラッキーな単純な状態 だった。
しかしバブルがはじけて 1990年代には許されなくなり 日本はどんどん経済も 精神も 学力も 感性も モラルも没落していったわけです。
そして元の気。元気がなくなった。そこが戦後の日本の心の病です。
戦後経済発展をするのに アメリカを手玉に取って日本は賢い と言う人がいますが
自立心 独立心の欠如 依存心 他立的な 楽な方へ行く 誰かが何とかしてくれる 誰かが守ってくれる という生き方を選択してしまったので
物は豊かになったのが 今度は頭がお花畑になり
危機感も無く 自分で考える力も無くなり
その末路が 今の子ども達に影響を残してしまったのではないでしょうか。GHQの洗脳もあった。
しかし今こそ 自分の足で立って 自分の頭で考え
本当に大切なものは何か。物や金や欲を満たす事なのか。
争いの無い美しい 麗しい世界を目指した目覚めた人が増え 21聖紀を担う若人が大活躍していく事を祈り願います。
引用 参考文献 よつば特派員 日比谷パレードライブ 山岡鉄秀さん/松田政策研究所チャンネル/赤阪ニュース 山岡鉄秀さん
子ども絵画教室G-Child 濱谷園枝http://masunao-kodomo.info/