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ファッションへの誘い手は、母だった(その1)。

前回に続き、実家に帰省した話。
ヒカルの祖母、つまり私の母も、他の高齢の方同様、断捨離ならぬ、様々な物の整理を進めていると言う。
「私たちが死んだ後、あなた方に迷惑をかけるわけにはいかないでしょう」
なるほど、いつもきちんと片付いてはいるが、二人暮らしとは思えないほどの、物持ちであることは確か。私と同じで(というか私が母に似たのか)素敵なものや美しいものが大好き、お金にこだわらない、気風が良く決断力が早いと三拍子揃っているから、本人曰くの「がらくた」が沢山あるのである。

ヒカルがパターの練習をしている間、そっと階段を上がり2階の昔の自室に行く。懐かしい部屋。今は壱畳分くらいのキャンバスが鎮座し、そこここに油絵具の匂い。すっかり母のアトリエになっている。20年以上、水彩や油絵を描いている母は、展覧会に出品する腕前で、先日も展覧会を見た人から絵を買いたいとオファーがあったそうだ。
クローゼットに仕分けされている行李を覗くと、夏物のワンピースやブラウス、スカートが見えた。母がかつて来ていた服だ。年月を経たとはいえ、センスの良い母が選んだ服は、どれも素敵だった。服を脱いで、着替えてみると、サイズはぴったりだ。しかも似合っているんじゃない?私に。

ワンピースのまま居間に降りて、母に聞くともなく聞いてみる。
「どう?」
「あら、いいじゃない」
「これ、捨てちゃうの?」
「もう着られないもの。着るのなら、持って帰っていいのよ。ねえ、覚えてる?横浜に住んでいた頃だから、私が今のあなたと同じくらいか、少し若い頃に着ていたのよね」
「うんうん、このワンピース、覚えてる」
そう、夏はサンドレスがいいのよ、と母がウエストのきゅっと締まった、鮮やかなワンピースをよく着ていた風景が、おぼろげに浮かぶのだ。

特に気に入った2枚を選んで、持ち帰ることにした。
一着は、草色の麻に紫とオレンジで葡萄の房が描かれたワンピース。スクエアな襟とスカートの裾に、紫とオレンジでステッチの入ったもの。袖はバルーンのように膨らんだデザイン。
もう一着は、ターコイズブルーの縮緬地に、赤や黄、白の小さな幾何学模様が入った、いかにもヴィンテージ風のロマンチックなワンピース。どちらもスカート丈は膝下で、デザインに古臭さは感じない。むしろヴィンテージ感が今っぽい。
「今は、みんな色んなファッションをしているのよね。流行もいろいろだし、自分の好きな服を胸を張って着ればいい、最近そう思うの」と母。

洋服が大好きで、これまで沢山の服を買ってきた。それが、50歳を迎えて、何を着ればいいのかわからなくなって、ファッションについての本を読み漁っていた(何でも本で読まないと気が済まない質なんです)。自分のスタイルを持つとか、制服化するとか、ミニマルなファッションとか、ZARAやH&Mといった若者のファッションを取り入れた50代の素敵な着こなしとか、世の中に溢れているトレンドを勉強してみたけれど、私にはまだ、自分のスタイルはとても確立できそうにない。ひとつだけ、母の言葉で気づいたのは、もう他人の視線を過度に気にする必要はないということ。今のトレンドとか誰がどう思うかなんてどうでもいい。これからは、清潔感があって、着ていて自分が晴れやかな気持ちになるものを纏って生きていきたいと思った。







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