![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162030365/rectangle_large_type_2_c729e04b73c3cc63cd0dad3e85d1c440.jpeg?width=1200)
【新風三佳】・第1章(宿命)
第1章・宿命
【 なんの為に生きるのか?】
それは今も尚、己に問う言葉なり
色々な経験を経て己の歩みを振り返ると
胸に込み上げてくるモノがある。
書いているこの時も過去へと
移り変わって行く
今でも想うが
よく現在(ココ)まで命を繋げてこれたと
自分を褒めてあげたい。
如何なる行いや経験も今、思い返すと
全てその後の道の生きる糧となり
強みとなった事を改めて痛感するのだから⋯
無駄な経験など1つもない!
改めて己の人生の
今までの歩みを振り返ってみよう
気付けばこの世に産まれ最初の記憶はと言うと母親の居ない曾祖母(母方)と祖母(母方)と
父親と兄と私と家政婦さんの6人で温かく
裕福な生活から始まっていた。
時には母親(実母)の優しい兄(叔父)も時たま
顔を出しては私達兄妹を慈しんでくれていた。今、思い返すとこの時期が1番、心が
穏やかで母親(実母)が居ずとも愛に満たされ経済的に豊かな幸福(シアワセ)な時期だったと
今でも思う。
それでも子供ながらに抱く疑問を
問わずにはいられなかった!
『 どうして私にはお母さんが居ないの? 』
その問いを幾度、祖母に聞いたか知れない今、思い返すと祖母には悪い事をしたと思う
最初は【死んだのよ】の一点張りだった。
だが当時なんとなく母親は生きている
感覚があった私は幾度も祖母に尋ねた。
結果、祖母が折れて母親と会う事も出来た。
だが 会わなければ良かったと
今は後悔すら抱いてしまう。
何故ならその後の人生で母親(実母)が起こす
行動が私の人生を狂わせて行くからである。
話を戻し
母親と始めて再会した時の印象は
想像していたより遥かにかけ離れた
感じに見えた!
落ち着きない服装とガッツリメイク
話す言葉は母親と話している感じがしない
そんな第一印象だった
コレが私のお母さん?
まるで母親ではなく夜の仕事を
するかのごとく派手な服装だった。
少し気落ちしたのを今でも思い出せる
祖母が与えてくれた1回限りの再会の後は
母親(実母)とは暫く会えない事となる。
何故なら後から知った事ではあるが
親が離婚した事で私達は父親の実家へと
引っ越す事となり祖母とも
離れる事となるからだ。
父親の実家は農家であり かなり中庭などが
ある昔ながらの立派な家だった。
祖父と祖母と父親の兄・長男(叔父)の家族と
同居する事となる。
とても穏やかな日常だった。
一般的な幸せな家庭を
この時、始めて経験したのである。
素朴で温かく穏やかな日常を!!
そこでも何不自由なく育った記憶がある
暫くして父親は祖父から一軒家を与えられ
父親と兄と私の3人で過ごす事となる。
当時は近くに父方のもう1人の兄・次男の
(叔父)も住んでおり食事はそこから毎日、
ご飯を食べさせて貰いながら過ごしていたが
家事のできぬ父親ゆえに寝泊まりする
自宅は荒れ放題だった。
そんな中で親が働く子供の居場所として
兄と私は当時、学童保育に通いその中で
父親の再婚相手となる連れ子の子供
(義理の兄)と出逢う事となる。すぐに仲良くなりあっという間に父親は母親(義理)と再婚し私にようやく望む母親が出来たと大喜びしたのを今でも鮮明に思い出せる。
数年はとても優しく
温かな母親(義理)だった。
だが突然、豹変した。
原因は
母親(実母)の軽率な行動が引き金となる
どこまでも
母親(実母)は自分勝手な人なのだ。
後から知らされ驚愕した。
母親(実母)が今頃になって子供恋しさに
学校にまで顔を出した事が発端だったのだ!
これは事実!!
何故ならこの事実を怒りながら訴えた
母親(義理)から私が直に聞いたのだから⋯
きっと母親(義理)は私には想像出来ぬ想いと憤りで心を掻き乱されたに違いない。
その怒りは母親(実母)の実の娘である
私に向かう事となる。
私の心は常に母親(義理)の
怒りや不満の都合の良い
心の捌け口へとなって行くのである⋯
それ故に
そこから地獄の日々が始まるのである⋯