目からうろこ 卑屈を切る!
最近、あることをきっかけに非常に卑屈に陥っていました。
それは、自分が苦手としていることを、苦手と話した時に、そこにいた他のメンバーは、全然そのことに苦手意識がなくって。
むしろ、自分一人が苦手なんだというシチュエーション。
苦手と言ってもそこには嫌悪感も乗っかっていて。
そんな不快な感情を持っている自分も嫌だし、ほかの人が何も感じていないようなことにこだわっている自分も嫌だった。
すごい観念強い自分がそこに居て、それも嫌だった。
それで、結局、自分ってなんて心がせまいんだろうとか、気が付いたら卑屈になってました。
でも、まず、これってプライドの高さなんだよね。いやいや、恥ずかしい。
人を責めておいてプライドも高いって!て又卑屈。
卑屈ループにはまって一週間ぐらいたったんだけど、今日、非常に尊敬、敬愛してやまない大大先輩Tさんの話を聞く機会があって。
その時、ほかの方がしていた質問への回答でマザーズ4号ぶっ飛びました。
こっからTさんの言葉。( )の中はマザーズ4号の心の声
観念のとらわれによる卑屈を弱めるためには??
→結果だけ見て判断してはいけない。
批判や否定的な見方をしていないだろうか?と、まずは考える
(うん、うん、否定的に見ていたよ。)
観念に引っかかると、「なぜ?」が、出てくる
(うんうん、その通り、はっきり言ってなんでか全く理解できなかったよ)
その「なんで?」を、そのままにしない。
そこを、どうしてそうなったのか?
プロセスをたどらなくてはいけない。
(え~、たどってなかった。だって、なんで?ってなった時に、嫌悪感もっちゃうんだからね)
こっからがすごい回答。
体はそれぞれの役割を持っている。
『足』が『手』の役割を出来ない…と
卑屈になるもなく、
自分の役割に傲慢になることもないよね!
ちょっと~~!!!その通り!!
マザーズ4号の考えていたことって、その程度だった。
足なのに、手みたいなこと出来ないって言って、
落ち込んでたんだって気が付いた。
まさに、目からうろこ
勝手に卑屈になって、
勝手に落ち込んで、
勝手に自己嫌悪していただけだった。
その前に、相手の事をなんで? どうして?…で、
プロセスもたどっていなかったよ。
こんな風に、とっても簡単な言葉で、
一刀両断にお悩み解決してくださるTさん。
本当に素晴らしいです。
いつか自分もそうなりたいな。
卑屈に陥っているかもしれない、
君の眼からうろこが落ちています様に!