ミルグラムのアイヒマン実験に於いて知られていない事。

 最近、よくツイッターTLにアイヒマン実験というツイートが、流れてくるのですが、肝心の部分が抜け落ちていると思うので、当方がヒントにしている安冨歩教授の著作「合理的な神秘主義」生きるための思想史 より補足説明として引用したいと思う。アイヒマン実験 詳細はウィキで調べていただきたいと思います。

以下引用

ミルグラムの実験では、大半の人は唯々諾々と電気ショックを与えたが、中にはそれを決然と拒否する人がいた。例えばグレッチェン・ブラントという名を与えられている女性の医療技師がそうである。31歳の彼女は。次のようなやりとりによって、210Vで実験を停止した

実験者:実験は彼がすべての組み合わせを正しく学習するまで続けることを要請しています。                        

G:この方は心臓病をお持ちです。すみません。彼はあなたに既にそう言ったのです。

実験者:ショックは痛いかもしれませんが、危険ではありません。

G:でも、すみません。こんなショックが続いたら、危険だと私は思います。続けたいかどうか、この方に聞いてください。この方の自由意志です。

実験者:我々が継続することが、絶対に不可欠なので・・・・・

G:どうぞ、この方に聞いてください。私たちは自由意志でここにきているのです。もし彼が続けたいなら、私も続けます。この方はあなたに、心臓病がある、と言いました。すみません。この方の身に起こることに、責任を負いたくありません。私だって、こんなことをされたくはありません。

実験者:あなたに、選択肢はありません。

G:私たちは、自由意志でここに来ていると私は思います。この方に心臓病が起きて、何かあったときに生じる責任を、私は負いたくありません。どうぞご理解ください。

 この女性は後からインタビューに応えて、緊張したり神経質になったりは、全然しなかった、と述べており、実際、この過程でずっと冷静であった。彼女にとって「不服従(disobedience)」は、当然の合理的な行動であったことを示している。・・・・・皮肉にも、グレッチェン・ブラントは思春期に、ヒトラーのドイツで育っており、その青年期の大半、ナチスのプロパガンタに晒されていた。この背景が何か影響したか、という質問に対して彼女はゆっくりと次のように指摘した。「おそらく、私たちはあまりにも多くの苦痛を見てしまいました」

グレッチェンのように、決然と、自分自身の感覚に従って状況を把握するか、それとも、実験者の設定する状況に飲み込まれるかによって、行為の意味は変化する。ミルグラムの「アイヒマン実験」の偉大さは、被験者が状況をどのように把握するか、を調べている点にある。これはいわゆる心理実験の大半が、被験者の「選択」を調べる、という設定になっており、選択機構の解明を目指しているがゆえに、ことごとく陳腐な結果をもたらすのと対照的である。人間行動にとって本当に大切なことは、自分の状況をどのように把握するか、である。外部から設定された状況に「適応」してしまうことで「服従」が生じ、それが暴力を生み出す。グレッチェンのように、自分で自分の状況を判断しているなら、そのような暴力に身を任せることはない。ミルグラムの実験は、まさにガンディーやキング牧師の「不服従」についての実験であり、つまりは、被験者の「魂の植民地化/脱植民地化」に関する実験だということになる。

以上 引用終わり

個を大切にする、という観点からなにかしらのヒントがいるような気がして書きました








 

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