レムリアの記憶
レムリア
かつて太平洋に存在した幻の大陸。
しかし、その存在が消滅したからといってすべてが失われたのでしょうか。
私たちは魂、肉体、精神この3つで構成されています。
中でも肉体は代々の遺伝子によって受け継がれてきたもの。
遺伝によって受け継がれてきた「肉体の記憶」
もしも、明日何らかの形で日本が消滅したとします。
日本という土地は消滅しても、皆様の中に存在する日本文化や
日本人特有の感覚というものまでもが同時に消滅するものではありません。
礼儀正しさとか謙虚であったり、空気を読むなど
皆さんの中に長きに渡って刷り込まれてきたこれらの日本人特有の感覚は
精神はもちろん肉体の記憶としても受け継がれています。
だとしたら現在は存在しないレムリア人の記憶も
肉体を通してどこかで受け継がれてるのかもしれません。
日本のインディゴチルドレンはレムリアの記憶を
強く残している人が多い。
魂の記憶として知覚することはできなくても
皆様の肉体の奥深くにレムリアの記憶が刻まれているかもしれません。
調和の愛を知るレムリア
よくゆわれているレムリアの特徴としては
争いを好まないという性質があります。
しかし、ここでの「争いを好まない」という性質は
ケンカや衝突を嫌うことであったり、
映画やテレビの暴力シーンが苦手という意味とは異なります。
そもそもレムリアは二元性を持たないので正義や悪という
概念をもっていないのです。
なので対立するという概念もありません。
それはシーソーの右や左に乗って左右のバランスを整えるようにするのではなく
レムリアは右にも左にも寄らずに真ん中でバランスを取っているのです。
対立するものの逆方向にスタンスを取るのではなく
中央でその均衡を保とうとします。
これは現象を一転から覗いた側面だけでなく
様々な点から覗くことで多くの情報を収集し
発生した二元性を薄めようとする性質からきています。
しかし、二元性の強い地球のシーソーという遊具は
みんなで「右だ!」「いやいや左だ!」と騒ぎながら
とにかく右と左に傾くことを楽しんで遊ぶことが目的なのです。
これは地球特有の「特別愛」にもつながります。
特別なものが存在すれば、それ以外のものは
「特別ではないもの」となってしまいます。
古代中国の思想家、孔子は「仁」という言葉で
人を愛する心を説きました。
中でも考悌(こうてい)という言葉で親を愛する心
年上を敬う気持ちを説いています。
それぞれがそれぞれの周囲を特別愛で愛することで
やがてそれが広がるという思想です。
しかし、この思想に疑問を抱いたのが墨子です。
孔子の仁の思想で説かれている特定の誰かを特別に愛するということは
それ以外を愛さないという選択を同時にしていることになる。
そこに差別が生まれてやがてそれが憎しみや争いの元になると考えたのです。
そこで墨子は「兼愛」という言葉で、自分と他人を区別せず
皆を平等に兼(ひろ)く愛するという思想を説きました。
しかし、すべての人や物を平等に愛することなんて
本当に可能なのでしょうか?
言葉の上では理解できるものの
実際にそれをできるか?と言われたらどうなのでしょう。
唯一方法があるのだとしたら、
それがレムリア特有の共有の愛ではないでしょうか。
ここでの共有とは、物質を共同で所有するという
いわゆるシェアという意味ではありません。
自分自身を共有する。
つまり自分と他人、自分と物を区別しないということ。
自分の中に物質として何かが存在するのではなく
自分の中に自分が知覚したそれが存在するということ。
目の前のコップはただの物体であって
本当に存在しているのはテーブルの上ではなく
それを知覚した自分の中にあるということです。
すこし話が難しいかもしれませんが、
あなたは目の前のその人を愛しているのでしょうか?
それとも自分の中の記憶(思い出)や感覚で観測してきたその人を
愛しているのでしょうか?
優しいその人が好き、美しいその人が好きというのも
優しい美しいと観測したのはあなたであって、
それはあなたの中に存在するもので、外側に存在するものではありません。
このように外側にあるものはすべて観測したあなたの内側に存在します。
これが他と自分自身とを区別しない「レムリアの共有」です。
これは物質に限ったことではなく、
起きた現象すべてがこれと同様となります。
すべてが自分の内側に存在するのであれば、
自分を愛するということだけで全てを平等に愛することができる。
墨子の説いた兼愛とは少し違うかもしれませんが
すべてを愛する唯一の方法があるとしたなら、
レムリアの共有の愛こそがその鍵になるのではないでしょうか。
レムリアにルーツを持つ人は
様々な能力を眠らせたまま転生している可能性があり、
その多くは失われたのではなく、眠っているだけだと言われています。
繰り返す転生によって学ぶことと、体験することが
レムリアの愛を思い出していくという使命に結びついてゆく。
宇宙や地球の大きな愛の存在を知ること
日々の様々な体験の中で愛を学び知ること
それは求めるという視点から体験したり、
与えるという視点から体験したり、
時には愛と自己犠牲を履き違えてしまったり。
依存や執着へと変貌してしまったりすることもあるかもしれません。
私たちは時に間違い、失敗することで成長します。
しかし、何かを学ぶためには
自分が体験する以上の方法などないのです。
愛によって深く傷ついたり、愛によって癒されたり救われたりと、
様々な視点と体験、そこからの学び思考という工程を繰り返し
レムリアの愛を思い出してください。
この世界に今もなお受け継がれたレムリアの記憶、
それによって集められた愛が一定数に達した時、
それが多くの人の目覚めや「真実の光」をサポートすることになります。
地球という母なる大地、この愛にあふれた母体に包まれ
私たちは胎児のようにゆっくりと成長しているのです。
それでは皆さん、引き続き惑星地球を存分にお楽しみください。
まだまだ未熟ですが、役立つ情報を発信していきますので よろしくお願いします!