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そういうとき、である。

娘、八ヶ月。
ようやく、夜泣きでスパイシーだった夜を、少しばかり抜けた予感。

産まれた頃から、どこでもいつでも寝れちゃいます!というタイプの人ではなかったけれど、新生児期の一時間毎に授乳やオムツ替えで起きてしまう日々よりも、ここニヶ月ばかりの夜泣きのほうがびっくりするくらいタフだった。

生後26日。ひゃあ、小さい。

娘の場合、寝てから一時間もせずにふぇんふぇんと泣きだし、そこからなかなかうまく眠れず、母が抱きしめていないとイヤっ(かわいいけど困った。でも、かわいい)という感じで、私も九時には布団に入り、とんとんしながらぎゅっと抱きしめ続ける。ふぇんふぇんしている娘に「だいじょうぶよ、だいじょうぶ。」と呪文のように声をかけながら、彼女が落ち着いたタイミングで一瞬仮眠する、というような夜を繰り返し、繰り返し。

何がなんだかわからなくなるまで大泣きになるときもある。そうしたら何時だろうともう諦めて、一度部屋を出る。娘の好きな鏡の前へ行ったり、廊下を歩き回ったりすると、「あたち、泣いていましたっけ?」という感じでケロッとする。これは深夜鏡の前にいる、彼女とわたし。夫撮影。

大変だったけれど、“そういうとき”である、ということでしかない、この夜泣き。でも、そういうときである、けど、まあ大変だった。

お父ちゃんからの熱烈なキスになんとも言えない表情を見せる娘。でもこれは彼女にとって、“どうしようもない”こと。

夜泣きに限らず、子育てをしているとこういう“どうしようもない”ことっていっぱいあるんだろうな。あ、子育てではその回数が多いだけで、子育てに限らず、他者と共に生きると、そういうことっていっぱいあるか。

はぁーあっぱれ、全人類!

最近、世界と出合いなおしているように見える娘。目で見て、指で触れて、一つひとつを確かめている。毎日なにかしらに感動していて、その姿にわたしも毎日感動させてもらっている。

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