今を生きることと、心が育つ話。
あれよあれよと、12月。
あれよあれよと、今年も残り半月。
最近、「子どもは(今を)生きていて、大人は(今を未来に向かって)生き続けている。大人になって一年を短く感じるのは、時間を意識することが多いからだ」みたいなことを聞いて、ほぉーと思ったことがあった。
というのも、私は今年、今までに増して一年があっという間だったのだ。ほんと、大袈裟ではなく秒だった。ヒューーーーンと過ぎてった。
そしてそれは、
「あ、あと5分でお迎え行かなくちゃ」
「この20分の間にあれとこれをやって…」
「あー、吹寝たら今日中に絶対あのメール返さなきゃ」
と、どう母としての私と、生活者としての私と、仕事をする私を成り立たせるのかに、気づかぬうちに必死だったからだと思う。
来年はもう少し、生き続けるために生きるのではなく、今を生きたいなあ。
吹へ
こんばんは。今回で6通目になる手紙です。今日は、お母さんのお母さん、あなたのおばあちゃんがでてくる話です。
お母さんは保育の仕事をしていて、数日前、「子どもの心が育つとは?」というテーマで懇談会(子どもたちのお父さんお母さんとお話しする会)を開きました。
そこでまず、「自分が子どもの頃に心が育ったと思う出来事を思い出す」という時間を持ったのだけれど、そこででてきたエピソードがそれぞれにとても印象的で、その人が今その人たる所以というか、その人を形成する土台になるような話をしてくれる方がたくさんいました。
でね、お母さん自身も、このお話し会を開く前に、自分自身の「自分の心が育ったと思った出来事」を思い出したんだけれど、そこにあなたのおばあちゃんが出てきます。
お母さんは子どもの頃、こんなことがあったんだよということも合わせて吹に知っておいて欲しいなと思ったので、今日はその昔話をさせてください。
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お母さんが小学6年生の頃、一学年下の女の子とすごく仲良くなったことがあります。
その子は、ママのことを大好きになってくれて、毎日休み時間になると6年生の教室に遊びにきたり、当時はスマホがなかったから家の固定電話に電話してきたり、プレゼントをくれたりしました。
お母さんも最初はそれが嬉しかったんだけど、ある時その好意がイヤになってしまって、彼女がせっかくくれたクマのぬいぐるみをクラスの他の子にあげちゃったんです。
その日、習い事が終わって家に帰ると、「ひかり、〇〇ちゃんから電話があったよ」とおばあちゃんに言われました。その時お母さんは、ヤバっ!!って思ったの。だって、悪いことをしたという自覚はあったから、怒られるだろうなあと思ったんです。
でもおばあちゃんはそんなことはしなくて。ただ一言、「なにがあったの?」と聞いてくれました。
それで、お母さんは「〇〇ちゃんのことがきらい。だから貰ったものを他の子にあげちゃった」と自分の気持ちを話して、おばあちゃんは「そうなんだね」とだけ言ったんです。
子どもの頃のお母さんにとって、これが人を嫌いになった初めての経験でした。いけない感情を持ってしまったというか、良いことではないよなあと思っていたので、おばあちゃんが「そうなんだね」とまるっと受けとめて、受けとめるだけでいてくれたのに、すごく救われました。
次の日、お母さんはクマのぬいぐるみをあげちゃった子から返してもらって、傷つけてしまったその子に謝りました。本当にいけないことをしたなと気づいたんです。でも同時に、キライと思ったその気持ちまでないことにしなくてもいいんだとも思えていました。
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今思うと、この出来事が「どんな自分も認めてあげていいんだ」と思えるきっかけになった気がして、それはお母さんにとって大きく心が育つ出来事だったと思っています。
ちなみに、大人になってからおばあちゃんにこの話をしたことがあるんだけど、「えー、そんなこと言ったっけ〜」と本人は全く覚えていませんでした。そこも含めて、おばあちゃんはほんとうに愛のある人なんだなと思ったりします。
あ、この話を書いていて、吹のお父さんもあなたが生まれてくる前から「どんな自分も認めてあげていいんだよ」という思いをあなたに贈ってくれていたことを思い出しました。その話については、また別の手紙で書きます。
吹、おやすみ。またあした。
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