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運動会、どうしよっか。

「そもそも、運動会する?」
去年、開園一年目だった うみのこ では、まず大人たちでそこから話し合いをした。

基本的に「みんなで何かに取り組む」ということに、わたしは消極的になりやすい。
どうしても、やりたくないの人が大事にされない感じがあったり、日常の生活からそのイベントに向けての日々になってしまうことに違和感を覚えるからだと思う。

でも、運動会などの取り組みを日常や子どもたちの興味関心から切り離したものとして実施するのではなく、あくまでもその延長にあるものとして捉え、設計することができると、それらをやる意味は大きく変わってくることもあるだろう。

このような視点も持って、園行事を捉えることができるようになったのには、以前取材させてもらった「あんず幼稚園」で『保育の三層構造』という考え方を教えてもらったことが大きい。

元白梅学園短期大学付属幼稚園園長の久保田浩先生(1916〜2010)が提唱した「保育の三層構造」を参考に、保育を考えています。

第一層は日常生活である「基底になる生活」。
第二層が「中心となる活動」。
そして第三層が「積み上げる活動」。

あんずには運動会以外に、制作展、生活発表という大きな取り組みがあるのですが、運動会を含めたこの3つが、第二層の「中心となる活動」にあたります。

第一層である日常生活がベースにあって、それが膨らみ、共有する目標がはっきりと現れることによって、中心となる活動は展開される。日常の中で培ってきた力が中心となる活動で発揮されて、発揮されたことでもっと個人の力というものが日常の中に戻ってくると考えているんです。

また、うみのこで大切にしている「一人ひとりの身の丈+数センチ」にもチャレンジできる場である(そのままのあなたでいいよということが保証され、かつ、大人が子ども一人ひとりの育ちにきちんと目を向けられていることを前提とする)ということを、運動会という取り組みを通して実現できるのではないか?という意見も同僚からでた。

うん、たしかにそうだ。
私が抱いたような懸念ももちろんあるけれど、「じゃあやらない」ではなく、「どうやったらやれる?」を、まず考えてみよう。

従来の運動会のカタチにとらわれず、自分たちらしい運動会をつくればいい。

そこで、
・子ども(の気持ちや姿)が真ん中にある
・子どもと一緒につくりあげる
・当日の結果ではなくその過程をまず大切にする
を大事にしようねとスタッフ間で確かめ合い、運動会を うみのこ のひとつの山として、一年の生活という流れの中に取り入れることにした。

そして今年も秋になり、「運動会どうしようか?「」というところからスタッフで、運動会の2週間前から、子どもたちとも「どんなことをしたい?」と話し合いを始めた。

その日のお昼ごはん中の子どもたちのおしゃべりも面白かったので、ぜひ↓

もちろん、やりたくないという子もいるし、やりたいの中にもグラデーションがある。

一人ひとりが自分が今好きなこと、挑戦したいことなどに取り組む「チャレンジ」という種目があるのだが、竹のぼりや縄跳びなど、いわゆるスポーツと呼ばれるものをする人もいれば、大きな絵を砂浜(海で運動会を行う)に描く人や、チアダンスを踊る人もいる。

かけっこをしたくない、と一度もまだ走っていない子もいるのだが、彼女は「前の園ではメダルがもらえたんだよ。私がみんなの分つくるから、うみのこでもメダルをプレゼントするのはどう?」と、大切にしていたであろうキラキラしたり、リボンやユニコーンが描かれている折り紙を家から持ってきてくれて、メダルづくりをしている。

当日までどうなるか分からず、こっちとしてはちょっとドキドキする気持ちがあるのも正直なところではあるけど、彼らの表情を見ていると「いいね〜、そのままいけいけ〜!」と思わずにはいられない。

運動会、どうしよっか。
その答え(カタチ)はきっと、一人ひとりの中にあるんだと思うし、それでいいんだと思う。

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