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目に見えないけれど存在する厄介なもの

目に見えないけれど存在しているもの。

最近その存在に悩まされるようになった。

悩まされるというか、翻弄されると言った方が良いかもしれない。

それは気圧。

もともと片頭痛もちだったが、生活に支障が出るほどのものではなかった。

しかし、数年前から明らかに頭痛の頻度が増えてきた。

あまりにも回数が多いので、試しに気圧のアプリを見るようにしてみると、

面白いぐらいに気圧の変動と頭痛があっていた。

痛みの出方も気圧の下降と上昇によって異なる症状が出ていることが分かった。

気圧の変動は春と秋が活発なようで、

私の頭痛もその時期はほぼ毎日のようにやってくる。

痛み止めを毎日飲みたくはないので漢方薬なども試しながら

なんとか日々をやり過ごしている。

気圧に翻弄される毎日を送るようになって大変な反面、

自然の変化を感じる事ができるようになったとポジティブに考えることもできる。

野生動物や昆虫は自然災害を事前に察知して逃げる事があると聞いたことがある。

自然の変化を察知できるようになった自分の体は、

野生の動物のように感覚が研ぎ澄まされてきたのか。

いや。

実際には私の内耳が気圧の調整をうまくできなくなった結果である。

体の各器官の僅かな調整のズレによって翻弄されている私は自然の変化に影響され体調を崩している。

変化を察知しているということは一緒なのに、その後の結果は雲泥の差だ。

野生動物は察知したらさっさと逃げられるが、

私は察知したときには体調を崩して動けない。

察知する能力だけ欲しかった。

内耳なんて日々の生活の中で全く意識することのない体のパーツ。

内耳の衰えの結果、体にダメージを受けている。

けれどそれをきっかけに内耳の存在を改めて認識する。

頭痛がなければ内耳を意識することはなかった。

内耳に限らず自分の体の中には、必ずあるのに直接見ることはできないたくさんの器官によって日々活動することができている。

私の体は毎日緩やかに老いていく。

この先も器官がいろんなタイミングで存在を意識させてくれるだろう。

これをきっかけに、器官からのメッセージを受け取る前に体を労るようにしよう。

目に見えないけれど存在する、という話でした。





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