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「カンガルージャーキー」ep.9

***

 祐樹と一夜を共にした朝、後悔の念が一切なかったのが、自分でも驚いた。
 祐樹が全身で困惑をぶつけてきたとき、私は心の底から祐樹を愛おしく思えた。彼が必死になって閉めていたダムのゲートが、一気に開いた。止めどなく流れる混乱と悲しみを、私も全身で受け止めてあげたい、そう思えた。
 
 朝、彼は真っ先にベッドに頭を付けて謝り倒してきた。私はそれを同意の上だったと何度も言い放った。
 シャワーを浴び、服を着ると、先に着替えた祐樹がマグカップを渡してきた。勝手に使ったよ、とガスコンロのヤカンとその横に置いてあった紅茶缶を指差しながら言う。
 ありがとう、と言うと、彼はまた謝り、大丈夫かと聞いてきた。
「本当に、ごめん。」
 謝りすぎよ、と言うと、真司は困ったようにまたありがとう、と言い、どこからかタバコを取り出した。
 私も、と目で訴え、小さなベランダに誘う。
 しばらく無言の時間が流れ、私が二本目のタバコを取り出そうとすると、祐樹が呟いた。
「俺、どうすればいいのかな。」
 祐樹の想いは、結局何も変わらない。彼の寂しさが露わになったに過ぎないのだ。私も祐樹も、昨晩のことは何の解決にもならないことを知っていた。祐樹の解放、ただそれだけに伴った行為だったことをお互いに理解していた。
「私にも分からない。」
 祐樹も答えを求めたわけではなく、それは正直な戸惑いを言葉にしたに過ぎない。無言のまま互いにタバコを消すと、祐樹は先に部屋に入った。
 カップに残った紅茶を口に運びながら、何かを呟いた。腹減った、そう呟いているのだとわかると、私は彼を少しでも救えたのではないかと嬉しくなった。

 それから何度か祐樹と真司くんと学校であったり、飲みにも行ったが、祐樹がご飯を食べるようになったのが、私にとって大きな喜びだった。
 ビールと焼酎しかほとんど口にしない祐樹が、つまみに唐揚げや刺身、お茶漬けまで頼むようになった。私と寝たことが契機だったのかはわからないが、顔色もどんどん良くなって行く。真司くんもやはり心配していたようで、一緒になって食え食え、と祐樹に合わせてオーダーを入れる。
 女遊びもぱたりとなくなった。祐樹は寂しさや焦りを誰かと共有したかったのだ。そして、その相手に私を選んでくれた。だからと言って私と身体の関係も一度きりだったけれど、それからと言うもの、彼は前と違って私に色々なことを相談してくるようになった。
 私はと言えば、彼の話を聞くだけだったが、それでも祐樹は満足そうだった。真司くんへの気持ちは一層強くなっているのだと客観的に見ていて分かったが、それを止めることが正解なのかも私の意志では決められなかった。何が普通で何が普通でないのか、彼の真司くんへの気持ちを受け入れる度に、私は自分の常識を疑うようになった。
 祐樹の真司くんへの恋心は、今まで見てきたどの男女のそれよりも純粋だった。
 すべてが順調かと言えば嘘になる。祐樹は酔っ払うと感情を表に出しやすくなるらしく、一度、酔いつぶれた真司くんの頭を前のときと同じように愛おしそうに撫でていた。私はそれを見て、今度は声を掛けた。
 それでも手を止めない祐樹は困惑と悲しさが混ざったような顔をしていた。
 愛おしさが止まらなくなって、私は手を掴み、こちらに顔を向けた祐樹に口づけをした。祐樹はそれを拒まなかった。
テーブルがガタリ、と音をあげるのと同時に互いに唇を離す。
物音に気づいた真司くんがゆっくりと顔を上げる。
「ん……、あ、お? どうした?」
真司くんが私の顔を見て、そのあと祐樹の様子も伺う。
「なんでもないよ。」
祐樹が皿に残ったサラダを摘まみながら言うと、真司くんは再度、私をチラリと見た。
「起きちゃったよー、っていうか寝てた、ごめん。よし、飲むぜ、まだまだ。」
彼はそこに充満する険悪な空気で、私たちがケンカでもしたと思ったのか、意図して明るく店員を呼んだ。
 祐樹が辛そうな顔をしているのを見たくなかった。真司くんに恋心を抱くことで祐樹が笑わないのならば、そんなの見たくない。
 
 ねぇ、祐樹、こっちを見て。

そんなことを思った自分にドキリとする。
私は、一体祐樹に何を求めているのだろう。

 大学二年の夏休みは、オーストラリアのシドニーにホームステイをする予定だった。大学生になって一番したかったことをやっと叶えられる、と男二人に告げると、真司くんがステイの終わる時期に合わせて旅行しに行きたいと言い出した。帰国子女で英語を話せる祐樹は、真司くんの提案を断る理由もなかった。
 初めてのホームステイ自体はたかだか一カ月だった。平日の午前中は語学学校に通い、午後や週末はステイ先の子供と遊んだり、語学学校の友人と近場の観光地やカフェに行っては、拙い英語で会話をした。ほとんどが中国や台湾、韓国人の友人だったが、彼らが持っている文化という背景に、私は夢中になった。加えて、それを英語というツールを使って共有することができるという経験は、今までにないほどの刺激で、一カ月はあっという間だった。
 けれど、慣れない生活の中で与えられた莫大な自由時間、私は祐樹のことばかりを考えていた。目の前で彼の表情や声のトーンが分からない現実は、彼の気持ちを少しも汲み取る事が出来ず、旅行の計画をメールで立てている状況は、耐え難かった。
ある程度旅行のプランが決まり、私のステイも残りわずかとなった頃、祐樹にチャットで聞いてみた。
『大丈夫?』
漠然としたその質問に対する彼の返事は、短いものだった。
『大丈夫なわけ、ある?』
 冗談のようで、困惑している祐樹の顔を思い出していた。彼は今、またあの切ない表情をしているのだろうか。毎晩、壁一枚を挟んだ部屋に眠る真司くんに想いを馳せているのだろうか。
 

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