「カンガルージャーキー」ep.3
学校の授業が本格的に始まり、思っていたよりも意外に授業を受けなくてはいけないことに驚いた。大学生というのは一日に3コマくらいの授業で、あとはダラダラと過ごすものだと思っていた。
「よっ。」
飲み会の翌日に喫煙所に向かうと、真司も喫煙所にいて、俺の姿を見かけると何の躊躇いもなく声を掛けて来た。それからと言うもの、俺は喫煙所に行く度に真司の姿を少なからず意識して探した。
授業の合間に喫煙所に行き、タバコを吹かしていると、ほぼ毎回同じ喫煙所に真司がいた。学部も違ければ授業も全く違うが、喫煙所に行けば真司に会ってはバカ話をしていた。タバコを吸いに行っているのか、真司に会いに行っているのか、徐々に後者が優先になっていたのだと今になっては思う。
互いに浪人した同士だということもあったとは思うが、真司とは不思議と話が合った。共通の趣味や境遇なんてものはなかったが、波長、というと漠然としているかもしれない。けれど、真司と話していると居心地がいい、という一言に尽きる。
毎日学校で顔を合わせるくせに、俺たちは学校が終わった後も飲みに出かけ、休みの日でさえ、俺の都内案内だと理由をつけては色々な場所に出かけた。
真司がルームシェアを俺に提案するのは至極自然な流れだった。都内に住みながらも東京のはずれにある大学まで片道一時間半をかけて通学していた真司は、ほとんど一人暮らしの俺の家に入り浸るようになり、夏にはルームシェアを提案してきた。俺としても同じ家賃でもっと広い家に引っ越せること、真司に対しても別に気を遣う義理でもないことは早くから分かっていたので、断る理由もなかった。
大学での初めての夏休みは、互いにほとんどをバイトに費やした。どちらも特に何の予定も立てていなかったのも理由だが、何よりも引っ越しの急な出費が必要だったからだ。
俺は所謂派遣バイトをし、ほとんどを日雇いでの仕事をこなした。比べて真司は、豆を安く買える、という理由から近所のカフェでバイトを始め、安い時給のためにコツコツと働いていた。
田舎の両親はルームシェアという言葉に怪訝そうな反応をしていたが、家賃も生活費も特に援助している金額が変わるわけでもないので、まぁ好きにしなさい、という言葉だけを残した。
「俺の親父、実の父親じゃないんだ。」
なぜ、それを真司には話そうと思ったのかは分からない。
その日は、先に引っ越しを済ましていた真司が、車を借りて俺の引っ越しを手伝ってくれた。まだまだ新顔の面影を残していた家電を新居に運び終わり、引っ越し祝いと言わんばかりに家で飲み始めた。話の流れで、この半年の間に二回も引っ越しをした俺をからかう真司が、よくもそんな我儘を親が許してくれたな、と俺に問いかけたのだ。
「俺の親父、実の父親じゃないんだ。」
そう言うと、真司の顔が一瞬、曇った。
「俺さ、こう見えても帰国子女なんだよ。って言っても小学校に上がる前までだけどな。」
真司の表情が曇ったのを確認した手前、今度は俺が冗談めかして言った。
「母ちゃんは父親の転勤に合わせてアメリカに渡って、それでまぁ、色々あって離婚することになって日本に帰って来たんだ、俺と一緒に。詳細は未だに俺も突っ込めてないんだけど、俺はそれ以来、実の父親と連絡を取ったこともなければ写真も見たことない。写真がないくらいだから、多分、母ちゃんにとってはかなり嫌な思い出なんだろうけど。」
袋のまま出されていた柿ピーからピーナッツだけを取り出し、俺はそれを口に放り込んだ。
「なんか、ごめんな、俺知らなくてさ。」
真司は神妙な面持ちで、何故か謝った。
「当たり前。俺、友達に初めて言ったもん、親父の話。でもさ、勘違いすんなよ? 俺ってばすげぇ恵まれてんだよ。日本に帰って来てすぐ今の親父に出会って再婚したんだけど、それがさぁ、親父ってば母ちゃんのこと大好きでさ。」
思い出した両親の顔は、こちらが恐縮してしまうほど、恋人のように笑いあっている。
「俺に対しても容赦なく親父面してくるし、浪人もさせてもらって、大学にまで入れてもらったし。感謝してる。実の父親じゃないってことも、ほとんど忘れて過ごしてるくらい。」
俺は心底感謝の意を込めてそう言った。
「そっか。」
真司は笑顔でそう言った。
「でも、お前ちょっと引っかかってることがあるんだろ。」
予想もしない言葉に、俺は疑問の念を持って真司を見た。
「俺はさ、『よくもそんな我儘許してくれたな』って言ったんだぞ?覚えてんのか?」
何を聞かれているのか分からず、頷く。
「その答えが『俺の親父、実の父親じゃない』っておかしいだろ。実の父親じゃないから我儘を許してくれた、って思ってるんじゃないのか、それって。」
ハッとした。痛いところを突かれた、と言うが正解かもしれない。
「お前はさ、甘やかされることに罪の意識を感じているってことだよ。それが少なからず両親から距離を取られているようで、寂しいんだろ。」
真司は、また冗談を言うような表情をした。
正論だった。
むしろ、自分自身も気が付いていなかった事を言われて、俺は戸惑った。
「なんてな。今のは俺のただの感想。まぁ、聞き流して。」
真司は柿ピーの袋を持ち上げると、大きく開けた口にそれを流し込んだ。
「いや、さんきゅ。それ、事実かもしれない。俺も気づいてなかったけど。」
今まで、地元の友人にも、過去の彼女にさえ話したことがなかった話題だった。何となく相手に気を遣わせてしまいそうだったし、何よりも自分でさえ、それは大した問題でもないと思っていたからだ。
「お前、やっぱ良い奴だな。」
ボリボリと口を一杯にしている真司にそう言うと、真司は返事の代わりに片方の口角を上げた。
真司との同居生活は、それまでの生活がより楽しくなるだけで、不満は一切なかった。
家事にも分担が出来、部屋も広くなり、学校までの道のりも短くなったりと、むしろ生活が快適になった。真司は初めて実家を出たということと、通学時間が減ったことに喜んでいて、なんでもっと早く思いつかなかったのか、と口癖のように言っている。
一番気兼ねなく過ごすことの出来る相手として、俺は真司を信頼していた。都会での学生生活にも慣れ、気の置けない友人との生活も文句もなく、俺は毎日をただなんとなく、けれど充実して過ごしていた。