涙と母乳は同じ血液からできているんだ。
充血する目を鏡で見て、そう思った。
母乳は、血液からできている。
乳房に血液が集まり、なんやかんやあって、母乳になる。母乳が盛んに作られている時乳房を触ると張っているのは、そこに血がたくさん集まっているからなのだ。
涙もきっと、目に血液が集まり、なんやかんやあって、涙になっているのだろう。
母乳が作られるとき、胸が硬くなり、涙が作られるとき、目が赤くなる。このせいで何度か、泣いているのが夫にばれた。
ここ一週間、また一段と母乳の産出量が減った。
エースと準エース(私の両乳房)に、娘が死んだことがわかってもらえたのかも。
もしかしたら、もうすでに知っていたが、私に気を遣って頑張っていたのかもしれないけれど…
とにかく、前と比べると母乳の産出量は目に見えて減り、エースと準エースも触ってわかるほどくにゃくにゃだ。
母乳バンクに母乳を送ることができるのも、あと数回かもしれない。
涙の産出量も…少しずつ減っている。
最近は気持ちが少し落ち着き、泣く時間も減ってきた。
一時は泣きすぎて、かばんに箱ティッシュと大きめのタオル、ウェットティッシュを持ち歩き、化粧はしても意味がないのでほとんどしていなかった。(泣くのをやめることはできなかったので、泣いてもできるだけ快適になるように環境を整えたのだ)
今は、外出に持ち歩くのは小さなタオルハンカチだけでいい。それも、涙を拭くのに使わない日もある。
一時は、泣くたびに、とても無駄な水分を消費している気がして不愉快だった。目から出すんだったら一滴でも多く胸から出すべきだと思った。
私のiPhoneには育児記録をつけるアプリの「ぴよろぐ」がインストールされている。
普通の赤ちゃんを育てている人だと、母乳やミルク、おむつ替えや睡眠の記録が色分けされて複雑なグラフになっているが、私のぴよろぐは至ってシンプルだ。搾乳の時間や量が記録されているだけ。(それでも案外便利だ。)
ぴよろぐの数字を目を皿にして追いながら、あの頃は、10mlでも多く、1日に1回でも多く、搾乳したいと思っていた。
なにしろそれしかすることがなかったからだ。
面会に行っても会えるのはたったの一時間、目を覚さない娘に話しかけたり撫でたりするだけで、他の時間は「娘が目を覚ましてくれたら……」とか「心臓に病気がなかったら……」とか、考えても仕方のないことをつらつら考えているだけだったので、母乳を出すしか、意味のある、やるべきことをやっていると感じられる時間というのはなかったのだ。
本当はぴよろぐを私は、搾乳時間と量だけのアプリとして使っていたのではない。日記も書いていた。「育児日記」をつけることができるのだ、ぴよろぐは。
私はそこに、娘の生後3日目から日記を書いていた。
ご覧の通り、文字を書くのは好きだし、できるだけ何も忘れたくなかったので。
その育児日記は生後27日で止まっている。もう育児しないことになったから。
あの頃は、つまりたった25日程度前のことだけれど、娘が生きていた頃は、気持ちが常に張り詰めていて、いつでも号泣する準備ができていて、実際1日に何度も号泣していた。
年内は、同じ時期に生んだ周囲の人が育児しているのに自分の近くには赤ちゃんがいないとか、搾乳量が10ml減ったとか、隣の部屋の人はもう赤ちゃんが目覚めているのに娘はなかなか目覚めないとかで泣いていて、
年が明けると、娘の脳に重大な後遺症が残るんじゃないかとか、もう既に脳死しているんじゃないかとか、周囲の人は娘が死ぬと思っているんじゃないかとか、面会の時間に5分遅れて娘と会える時間が5分減ってしまうんじゃないかとかで泣いていた。
娘を出産してすぐの入院中に、私と同じように先天性心疾患の赤ちゃんを持つお母さんと少し話した。
その頃娘は手術を受けたばかりで、鎮静をかけられ、医師には「数日様子を見て、回復したら意識を戻す」と言われていた。
その人の子は、私の娘より数日前に手術をして、やはりまだ鎮静の中にいた。
その人と私は似たような不安の中にいて、子どもがこれからどう育っていくのかとか、子どもはどんな痛みを感じているのかとか、あらゆる心配事について話した。それだけではなくて、話は保険のこととか、名付けのこととか、主治医の噂話とか、あらゆることに飛んだ。
ホルモンバランスのせいもあってか、薄氷みたいな不安定さだった私の心はほんの少し安定感を取り戻して、また是非話そう、今後もきっとNICUで会うだろうから…と言って別れた。
そして、後から気づいたのだが、その人の子は私の娘と隣の個室だったのだ!
私は嬉しくて、その人の子を、心から、「あなたも早く目が覚めるといいね」と思って見守ることにした。
私の祈りが通じたのかその人の子は、数日以内に目が覚めた。容体が落ち着いたのか、部屋から毎日少しずつ点滴のポンプが減っていくのが、素人の私にもわかった。
本当によかったねと思った。
あれはきっと娘の数日後の姿なんだ、と私は、まだ意識がない娘を見つめて、娘が目覚めるのをとても楽しみに、きっと明日は目覚める、きっと明日こそは、と日を数えて待った。
でも、何日経ってもうちの娘は目覚めることがなかった。
数値は一進一退で、「焦らないで待つしかない。私は焦りすぎている。焦りが娘に伝わってしまうとよくない」と自分に言い聞かせた。
そのうち、隣室の赤ちゃんは、赤ちゃんらしく泣いたり手足をバタバタさせたりするようになった。
面会の時間が重なって、お母さんが赤ちゃんを抱いたり、看護師さんに指導されながら世話の練習をしているのも見た。
目はむくんで開かず、機械で強制的に胸を膨らませられて呼吸している、ぐったりした娘の手を握りながら、私はできるだけ隣室の様子を見ないようにしていた。
そのうち私が見ないようにしなくても、何の配慮か、ブラインドが落とされて隣の部屋の様子は全く見えないようになったし、隣室の子は状態が安定した子向けの部屋に移動になった。
それとどちらが先だったか、私の子は心停止して人工心肺につながれた。
また連絡するねと言って交換した連絡先だったのだけれど、次に送ったLINEの内容は「娘が亡くなりました」というものになってしまった。
こうして私が娘のことを書いているのは、娘のことを忘れたくないからだ。
何年かした時に夫とふと、「あのときの光ちゃんはこうだったね」と話した時に、その情景をリアルにまるで目の前にいるように思い出したい。
私がこの世でいちばん娘のことをはっきりと覚えていたい。
でも、それはもしかしたら、そこまでの必要はないのかもしれないと思うようになった。
つまり、娘が目覚めなくて周囲の元気な赤ちゃんと比べて苦しかったり、毎日毎日娘の命がすり減っているように感じたり、もしかしたらもうとっくに命は尽きて、絶望的で取り返しのつかない状況になっているのに、私は何も気づいていない愚か者なのではないかと思ったりした、辛く苦しい部分はすっかり忘れて、
生まれたばかりの、神様みたいに可愛かった娘の表情や、小さな手足、やわらかい髪の毛、ちょっと高めの振り絞るような泣き声、そういったものだけを覚えていて、あの27日をまるで最初から最後まで全部本当に幸せな日々だったかのように思ったほうがよいのではないかと。
娘のために買ってやった音の出るおもちゃを、本当は娘が振り回して遊ぶことはなかったが、まるで小さな手で触って遊んだかのように思い込んだり、娘が死ぬ日、もうすぐ1ヶ月のお誕生日だからと必死で読んだ「ぴよちゃんのおたんじょうび」の絵本に、娘が反応してにこにこ笑ったかのような記憶を捏造した方が、幸せなのではないかと。
でも、ほんとうは、そのおもちゃを娘が触ったのは亡くなってからだったし、娘が死ぬ日、娘は絵本に反応して笑ってはくれなかった。その代わりに…私たちが「光ちゃん。ありがとう。私たち大丈夫だから、本当にありがとう。もういっていいよ」と言ったら、その瞬間に、まるで全てがわかっているかのように心臓が止まったのだった。
記憶は後でいくらでも捏造できる。
天才的で完璧な賢い赤ちゃんで、私たちと完全に気持ちが通じ合っていた娘に、もし意識があったら、27日間いったいどんな生活だったのか、全て想像して作り上げていくことは、いつだってできる。
でもその前にはかない記憶を私の覚えている限り全部書きつけて、私が見えていた事実を全て残しておきたい。
楽しい遊びはそれからでいいね。
そんな気持ちで書き始めたこのnoteだったのだけど、X(Twitter)に上げたらたくさん反応がもらえて、嬉しかった。
「泣いた」と言ってもらえて、「私が泣いているのは私の頭がおかしいからではなく、泣くようなイベントが起きたからなんだ」と思えてよかった。
でも、noteを書くと、少し落ち着いていた涙の産出量を、また増やしてしまうことにもなった。
娘のことを文字に書くのは、母乳を搾るよりもさらに娘のことを鮮烈に思い出し、記録を読み直して、感情を呼び起こすことでもあるから。
そして、書き終わった後に皆さんからいただいたコメントを読むのも、また涙の産出量を増やすことにつながった。
いちばん気に入ったコメントは、以下のようなものだ…同じようにお子さんを亡くした方からのもので…「私は死んだら天国で子育てのやり直しをすると心に決めています。」というものだ。
実は二年前、夫の父が亡くなっている。
私も大変お世話になったその義父は、息子であるところの夫を小さい頃からとても可愛がっていた。
娘が亡くなった時、私と夫は、「娘のことは、向こうの世界ではおじいちゃんがいるから、絶対大切にしてくれるから、任せよう」と言い合った。
義父に手を合わせ「娘をよろしくお願いします」と心から祈った。
義父に娘を預けようと思った時、安心はしたけれど、可愛い娘の子育ての全てを、私は義父に預けなくてはいけないんだなと思うと、悔しくて、妬ましかった。
もちろん、全部戯言だけど…。
でも、天国で娘の子育てをやり直せるかもしれない?
娘は私を赤ちゃんのまま待っていてくれるかもしれない?
そんなすばらしいことがあっていいのかと思った。
それなら、娘にしてやりたかったけれどしてやれなかったことを、諦める必要なんてないし、(だって今後できるのだから)娘を育てられなかった絶望は、あとで育てられるという希望に変わるのだ。
死んだら…私が死んだら…走って行こう。
私の命が尽きたら、一瞬だって無駄にしないように、なりふり構わず、地面を蹴って駆けだして、娘を抱きしめに行かないと。
新生児の娘を(生後27日目の夜に亡くなったので、ぎりぎり新生児なのです)放置しておくなんて、本当に罪深いことをしてしまったのだから、絶対にもう金輪際離れることなく、腰も肩も痛めるかもしれないけど、ずっと背負うか抱くかして過ごそう。母乳はきっと溢れるだろうから、好きなだけ与えよう。
でも、それは娘を待たせることになる。
娘を…可愛い可愛い娘を、私が死ぬまで何日か、何ヶ月か、もしかしたら何年か待たせて、そのまま赤ちゃんとして過ごさせるの?
可能性に満ちた娘に、「ずっと赤ちゃんのままでいて」と祈ることは、娘にとって本当に良いことなのだろうか。
娘は親孝行で賢くて、私たちの気持ちを汲んでくれるから、祈ればその通りにしてくれてしまう。私が「私が娘を育てたい」というエゴのために、娘を赤ちゃんのまま縛り付けていいの?
それで私は娘の仏壇に、「光ちゃんが赤ちゃんのままでいたいなら赤ちゃんのままでいな。行ったら、私が育ててあげるから…。でも、もし育ちたいのなら、私のことを待たずに育っていいよ。光ちゃんの好きなようにしな」と祈ることになった。
なんだそりゃ!と思うけれど…もしかしたら何年後かに再会した時に、娘がふにゃふにゃの新生児の可愛い可愛い赤ちゃんのままでも、もしかして成長して、今の私よりも歳をとった姿でも…どっちにしろ、娘なのだったらとんでもなく可愛くて、会えたのを喜べると思った。
娘の意思を尊重したい。娘が娘にとって一番良い選択肢を選べるようなお母さんでいたい。それが娘に恥じないお母さんだと私は思う。
そんなことを考えながら、嗚咽していたのだから、人間の泣くポイントというのは本当に難しい。
もちろん全部幻の話です。死後の世界がどういったものか、生きている人間にはわからないで。
娘に関することで、私の思い通りになったことは何一つなかった。
娘の生まれる日がいつになるかというところから、心臓の病の具合、娘が鎮静から目覚める日、亡くなるかどうかということも、全て私の思ったこととは全く違う方向に行った。
辰年に生まれるはずだった娘は37週で生まれ、卯年になったし、心臓の病は胎児診断の時より圧倒的に重かったし、一度目の手術から一週間で目覚める予定だったのに一度も目覚めなかったし、生きるはずだったのに亡くなってしまった。
人間の行く末を予測しようなんていう方が間違っていたのだと思う。
それでも人間の運命をどうにか捻じ曲げたくて私は、人生にこれまでなかったというくらい神仏にすがった。年が明けてから参った神社は三つ、手に入れたお守りは五つ。神社のうち一つには御百度参りをしている。
手に入れたお守りは、二つは自分のかばんに括り付け、三つは娘の病室に置いた。
夜にはお守りに額を擦り付けて「明日もどうか娘にとって穏やかな日でありますように、明日、今日より少しでも娘が良くなっていますように」と祈ったし、娘の面会に行けば娘の小さな手にお守りを握らせて、同じことを祈った。
でも何も効果がなかった。神様は全部嘘だった。
私の母が言うことも嘘だと思った。
母は看護師で助産師で、若い頃はNICUで働いていたが、私に「あなたは帝王切開になる」と予言した。しかしそれは本当にならなかった。私は、無痛分娩だったが、自然分娩で娘を産んだ。
母は私が退院してから、産後の私の体を労わるため、私の家にしばらく滞在した。
娘の面会にも一緒に来てくれた。娘がたくさんの機械とエクモに太いチューブで繋がれているのを見て、私は母がどう考えているか聞きたかった。
私より、NICUで働いていた母の方が、機械の動きや数値の意味についてわかるだろうから、娘の容態についても何か教えてくれるだろうと思ったのだ。
母は最初「最新の機械が使われている」とか「すごい手厚い看護」とか、最初はそういう話しかしなかったけれども、
「毎日必ずしも面会に行かなくていいんだよ」と言い出した。「会いたいのはわかるけど、あなたと旦那さんが疲れ切ってしまったら、重要な判断もできなくなるから」
重要な判断?と私は思った。私が判断しなければいけないタイミングってなんなのだろうか?
「お母さん、光ちゃんが死ぬと思ってる? もう助からないかもしれないけど無理やり延命治療しますかとか、そういう判断を私たちがしなきゃいけなくなるかもしれないと思ってる?」
母は何も言わなかったけれど、私はそういうことなのかと解釈した。
その時私は、「なんて馬鹿なことを言っているんだ」と思った。その予言は当たるはずがないと私は思った。
私は帝王切開にはならず自然分娩で産んだ。母の予言は当たらなかった。
母は確かに経験があるけれど、全て理解しているわけではないのだ。
そして、その前後に夫と言い合っていたのだけれど、娘のことを、親である私たちが何より信じてあげなくてどうするんだ。
私たちがあきらめてしまったら、娘のことを信じてあげる人がいなくなってしまう。
だから私は、母の予言を信じることはできなかった。
そして、実際その時も母の予言は当たらなかった。私たちが延命治療をするかどうか判断するまでもなく、娘は亡くなってしまった。(小児の場合、延命治療するかどうか、家族が判断することがあるのだろうか、よく分からないけれど)
でも、神様のことも母が言うことも全て嘘だとしても…
死後の世界のことは誰にも分からなくて、それはつまり、もしかしたら私の都合の良い妄想が、ぴたりと合っている可能性がないわけではないということであって…
私は死んだらその瞬間に娘に向かって全力で走っていく覚悟でいるし、
その時娘がどんな姿でも、私は娘の立派なお母さんとして再会したい。
だから私は涙を無駄に産出している場合ではない。
まだ私の乳房はかろうじて、全盛期よりは圧倒的に産出量を減らしたとしても、母乳を出せるし、それはきっと早産とかさまざまな事情を抱えている小さな小さな赤ちゃんの口に入る。
涙を出している暇があったら、同じ材料から少しでも多く母乳を作ろう。
もし娘が気まぐれで赤ちゃんの姿でいてくれたら、また天国でも母乳を作らねばならないのだし。