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ネタがないなら理由を考えればいいじゃない
最初はアウトプットじゃばじゃば〜〜と思って脳みそから垂れ流すように書き続けてきたnote。
そうそうネタ切れなど起こすまいと思っていたけど、まさかのまさか、それがちょくちょく起きるのだ。このわずか1ヶ月の間でも。
何でだろう?と素直に考えてみた。
だって最初の記事を書くときはあんなにキラキラした気持ちで自分の思いを書き出せたじゃないか。
初投稿の記事に♡を押してくれる優しい人がいることでモチベーションがさらに上がったじゃないか。
内省を繰り返す。
たぶんネタの選別に、無意識下の「ボーダー」を設けるようになってきているのかもしれない。
noteネタ選別のボーダー?
・自分の中に留めておきたいもの
・書くべきではないと判断できるもの
イコールではないにせよ、この2つはときどき近い関係にある。
「書くべきでない」のボーダーは人によっては
・プライド=これを書くと自分のイメージが変わってしまう
かもしれないし、
・世間体=確たる自分の意見だが、マイノリティである、または批判を受けるのは明白なので言い出せない
かもしれない。
書きながら自分についても考えてみたが、少なからずそのボーダーをはみ出さないような意識はしていると思う。
ただ、それはある程度必要なボーダーなのではないか。
それを許容しつつも、ちょっと飛び越えなければならないボーダーがある。
越えるべきボーダー
・書くに値しないような出来事だと思っている
これだ。
ネタ不足ネタ不足と嘆いておきながら、メモ帳には日々思いついたことを殴り書いたちょっとしたネタが並んでいる。
大抵
「これ話広がるかなぁ…」とか「こんなん誰も求めてないよな…」
と書く前から断念してしまうことが多い。
最近でいえば
・「音が良い」を素人でも言えてしまうのはヘタに金で買えてしまうから
・歌の覚え方
・先に大筋を決めるとその手前の事項は勝手に決まっていく
・人の悩みはどの時代も大きくは変わらない
・本の内容を実践したら記事が書けた
など。
既に文量がある程度のボリュームになっているものもあるが、書きだすことすらできていないものもある。
書きたいけど書くだけの器量がない。
記事を書く人あるある(だと思いたい…)なのだが、同じテーマでもその日の気分によってノる日とノらない日がある。
これを裏付けるのが、以前書いた自分の記事を読んで「よくこんなの記事にしたな…」と思ってしまうものが少なからずある。
それはその日の気分とテーマがかっちり噛み合ったからだろう。
上に挙げた5テーマも、今日はノらないだけなのかもしれない。
そしていざ書き上げて公開した数日後、「なんであれで記事が書けたんだ…」と後悔を覚えるのかもしれないし賛辞を送るのかもしれない。
ここをいかに乗り越えて一つの記事を捻り出せるか、自分との戦いだ。
戦う相手がいるならまだいいが、無から搾り出された、ただ根性で記事を書き上げたとき、その人の本性が垣間見えるのかもしれない。