仕事を決めるまで③「作品を売って暮らすことを目指すかどうか」
仕事を決めるまでに、「どこで」「何をして」「どんなふうに」働くかを考えた話を書いている。前回に引き続き、「何をして」の選択に迷った話である。(第一回はこちらから)
美術家として作品を売って食べていくことを目指してフリーターになる、というのは割とファイン系学生が一度は選択肢として考える進路だと思う。類に漏れず私も考えた。
大前提として、私の作品を欲しいと思ってくださる方がいらっしゃることはとてもありがたい。
でも、なぜか、私は自分の作品を所有したいと思う他人がいることが信じられないのだった。私の作品は私が生きるのに必要だから生み出したものだ。自分を好きになれなくて、私なんか死んだほうが世のため人のためだと自分をいじめてしまって、ご飯も食べられなくなる。そんな自分を抱きしめたり、違う認識の仕方をして自分を救うために、奈落に落ちないために、言葉を尽くして考えたり手を動かしたりして、作品を作っている。
そんな作品を欲しいと思う人の気持ちが、嫌味でなく本当に、わからないのだった。
言ってみれば作品は私の排泄物のようなものである。あるいは私が私専用に作った杖のような、私がご飯を食べるのに必要だった歯のような、そんなものだからである。
展示をすることは好きだ。
杖や歯や排泄物のような存在である作品だが、なるたけ綺麗な形にはしているし、こんなふうにして不自由な自分の心を救っているよ、と人に伝えてみたら、なんとなくわかってくれる人もいるかもしれない。今辛いことがある人の心に届くかもしれない。もしかしたら誰かの心の一部を救うかもしれない。
私が生きるためのだけのものだった作品が、誰かの心に触れる。それは、私以外の人にとっても意味を持つようになるということで、不確かだった作品の存在がだんだん確かになってゆくような感覚である。とても喜ばしい。
でも、なんでだか、所有されることには抵抗があるのだった。私が人のファインアートの作品を買ったことがないからかもしれない。
いつ気が変わってもおかしくないし、来月になったらめちゃくちゃ売りたくなっている可能性もある。
でも今のところ売るということがまだわからないので、わからないままにしておきたい。
だから、今のところ作品を売って、そのお金で生きていくことを目指さないことにした。