【第2章|知る者、知られざる者】〔第2章:第3節|ケルケル〕
ひと月に一度、シンカルン王国では豪雨の日がある。正確には「一ヶ月に一度」ではなく、「一ヶ月くらいに、大体一度くらい」という頻度だ。それ以外が必ず快晴というわけでもないし、ましてや、「神に定められた安定気候」というわけでもない。色々な地域に面した四方八方の環境からの、オマケというかオプションというか……。ともかく、その日は朝から酷い空模様だった。
朝市は勿論中止。メルトリオット通りには、屋根を探す野良猫くらいしか見当たらない。黒黒しい灰色の空の下、外套を着た警備兵だけが立っていた。
「敵は雨風じゃないよン。ケッケッケ」
今朝も無縁の祖母から一撃を受け、雨粒を数万滴は受け、足早に出勤したフェリアル。
城の内部も、雨に浸かっている。
ヴァシーガとヤンドールはフェリアルを待っていたが、調査の続きは昼からにしてもらった。ペノンとも会えたが、我ながら上の空の会話しかできなかった。
昨夜のことが、グルグルと頭を回る。
「休みだと思ったわ」
第一騎士団の執務室でフェリアルが物思いに耽っていると、待機中の騎士団員たちが驚いた顔をする中、フェリアルからの訪問がなかったため、自ら足を運んでやってきたトーウェンタリスは相変わらず堂々と、もしくはあるがままの振る舞いで現れた。
団員たちからして見れば、実力者であり強者である二人の佇まいは、さほど変わらない。しかし苦難に悩むフェリアルにとっては、雄気堂々大胆不敵に現れた第四魔法師団長は、年の功の差を明確に示すように思えた。
「若い女の子二人が『マターナ副団長が怖い顔してた』って言ってたから、少しその顔を見に来たのだけれど……女の子の顔はよく見なさいと、注意しておかなきゃいけないわね。貴女……なにか進展があった、って顔してるわ」
べルッツ団長は夜警に出ていたため、現在仮眠中。団員たちに相談しても良かったが。
『……答えは闇の中――いや、陰の中だ。そしてシンカルン王国、ひいてはウェルド大陸全域に、災厄が訪れるであろう……』
という言葉通りなら、迂闊に喋り回るのは良くない気がした。あの外套の者の言うこと全部を信じていたわけではないが、行き詰まっている現状、その思惑に乗るのも一手だと、フェリアルは考えていた。
今日の夕方までに、方針を決めなくてはならない。
南に一キロ。雨と道の荒れ具合を考えれば、馬なら早足でも30分以上。もし一人で行かないという結論を出すなら、連れのことも考え、昼の中過ぎには出なくてはならない。そんなことを反芻していると、トーウェンタリスが姿を見せたのだ。
師団長を務める賢者で、学識と経験のある魔法師。
これほど相談の適任者はいない。
「ご相談が」
フェリアルはひとまず、執務室からトーウェンタリスを連れ出した。
今日庭に出ようものなら、歴戦の魔法師ならともかく、騎士のフェリアルには、安寧の視線は頂けそうにない。
流石に三日も経てば、城の内情も戻りつつある。あちこちいる警備兵と、城に属する者たちの往来を避け、最終的に、二人はベルテン卿の部屋に着いた。
外の警備兵に「二人だけにしてくれ」と声をかけ、中に入った。鍵を掛けたかったが、有事のために閉めてはいけないことになっていた。
暗い外から、窓に雨粒が叩き付ける。
「相談って?」
「昨日、正体不明の何者かから接触を受けました。その者は、本件について知っていることがあると。取り逃しましたが、今日出向くよう、ある場所に呼び出されています。一人で来いとのことで、罠かもしれません」
フェリアルは端的に告げた。ヴァシーガだったら慌てて捲し立てるような事象でも、フェリアルは己の騎士道精神と剣に懸け、常に冷静であることに努めている。それはトーウェンタリスがフェリアルを「お気に入り」と称する要素でもあった。
「場所の詳細を聞いても良い?」
「相手は自称『協力者』と語っていました。誰かを派遣されてしまうと、万が一相手が信用に足る場合、私の信用性が損なわれてしまいます」
「私が誰かを派遣すると思う? 重要であることなら、私は私自身を派遣するわ」
「それが罠だった場合、第四魔法師団長のお手を煩わせてしまったり、場合によっては負傷の可能性もあります。相手が未知の存在であります故、そんな事態を引き起こしたくありません」
フェリアルの言ったことは、あらゆる気を遣った答えであり、トーウェンタリスもそのことは理解していた。これ以上訊いても、場所の名前は聞き出せないと。
「なら昨日の話は? どこでどんな風に、接触を受けたの? それは、第三者が聞いても良いんじゃないかしら?」
それなら、と。フェリアルは昨夜のことを覚えている限り、そして話せる範囲で語った。そして、トーウェンタリスは少し考えてから。
「……行くべきね。それも一人で」
「やはりそうですか」
仕方がない、という少し困った表情で、トーウェンタリスは続けた。
「今日の報告書見たかしら? とうとう昨日と同じものになったわ。これで進展がないのであれば、その情報源だけが唯一の手掛かりよ。そして相手は、『性格』で貴女を選んだ。その話が本当なら、貴女以外に行っても無駄だし、余計なことをすれば、その貴重な情報源さえも失われるわ。これ以上、私にできることなんてないけれど、貴女はできることをするべきね」
フェリアルも、トーウェンタリスの端的に告げてくれるところが好んでいる部分であった。
罠にかかる可能性も考え、フェリアルは少し早めに出た。
「暮れ時」というざっくりとした時間帯が、具体的にいつを指すのか分からなかったし、雨足は弱る気配が無かったからだ。
馬の足に雨靴を履かせ、自身も外套を纏い、寝起きの団長と不思議そうに見る団員たちに「少し出てきます」と端的に告げ、二人の魔法師に「今日は行けない」と謝罪をし、メルトリオット通りを走り抜けた。
城下町を抜け城門をくぐり、しばらくはただの荒地が続く。左に曲がればすぐ帰路に着けるが、城下町から外れた町並みと森が続くだけで、今は無用だった。
道は泥まみれで、雨足が強く、視界も悪い。
それでもそこは騎士団の馬。乗者には最小限の揺れだけを与え、通りすがる者が風を感じるほど、逞しく荒々しく、雨を突き進んで行く。時折、茂みや森を素通りしたが、雨以外の抵抗は無く、フェリアルは目的の場所に着いた。
居酒屋の「ケルケル」は、確かに存在していた。
言われた通り、丘の上に目立つよう建てられた古ぼけた小屋であった。あちこち修繕された様子で、それなりに綺麗に保とうとしているのが分かる。看板には酒の絵が描いてあったが、雨の中漂ってくる匂いはアルコールではなく、なにかの食べ物かは知らぬが、料理の匂いの方が強かった。
建物は小さいが、繁盛はしているらしい。中から漏れている明かりは、行き交う人陰を照らし、談笑の声も聞こえていた。外の納屋には無数の袋が置かれている。商人たちの荷物だと思うと、かなり無防備なものだ。そして遠目から分かるほど、裏庭まで馬小屋が続いている。数頭の馬が繋がれ、管理者らしき女中のような格好の女から、それぞれ干し草を投げ入れてもらっていた。
フェリアルは馬から降りて、馬小屋へ連れて行く。女騎士に気付いた女は、遠目から見たよりも若く、金髪を束ねた血色の良い顔を上気させた娘だった。間近で見るとその格好は、チャーグと重なる。本人は、やや健康的なペノンのような容姿であった。
「こんにちは。珍しいですね。騎士団の方が何用ですか?」
フェリアルは外套を纏っていたが、中には革鎧を着ていたし、腰から剣も下げていた。なにより、甘美な装備を付けた馬の容姿は、その辺の馬よりも遥かに精錬されていた。
娘は丁寧で愛想は良かった。が、明らかな拒絶のこもった声だった。
「馬小屋をお借りしたいのです。待ち合わせをしておりまして」
「お食事はされますか? 馬小屋だけでしょうか?」
お前は馬小屋にでもいろ! という笑顔だった。が、フェリアルの目的は、残念ながら中に入ることだった。
その旨を伝えると、
「では1シルバ頂きます」
フェリアルが銀貨を1枚渡すと、娘は手綱を取って小屋に入れた。
「あとは店の中でどうぞ」
さっさと視界から消えろ――の笑顔を背に、フェリアルは馬小屋を後にした。
騎士団員の格好で来るのは、止すべきだったかもしれない。
入って2秒くらいは全員が談笑していたが、徐々にヒソヒソ声になり、それもすぐ消えた。
城下町では尊敬を集める王国の騎士も、荒野に出れば話は別だ。税金や法律に恨みのある者たちも多く、地域によっては賊や犯罪者も集う場所もある。騎士団も魔法師団も、領土の端や隅までは気にする理由がなく、その者たちは長年放置されていた。交易関係者と言えどもへいこらするのは城下町までであり、街から外れた、あるいは距離のある場所で生活を送る者たちにとっては、王国の統治は多少、目障りなのだろう。
どしゃぶりでも働かなければならなかったのであろう商人が3人、駆け落ち風の若い男女が二人。常連らしき老人が一人。それぞれが、簡素な木製のテーブルを囲んだり、カウンター席の端に座っていた。
「……いらっしゃい」
娘の方がまだ愛想が良かったと思えるほど低い声で、恰幅の良い女店主がフェリアルを歓迎した。
カウンターの先には、女店主が一人。外には若い娘が一人。たぶん親子関係だ。パッと見た辺り、昨夜に関係のありそうな人物はいない。
…………。
ひとまず、カウンターに座る。
「注文は?」
一つ思い付いて、言ってみる。
「太陽色の茶を」
お茶一つにおいても、シンカルンでは多数の種類が手に入る。辺境の居酒屋にまで置いてあるかは知らなかったが、女店主は怪訝で厳めしい目付きのまま、カウンターの奥へ行った。
「…………」
静まった中で、視線だけを背中に感じる。その中に、強い感情の混じっているのも分かる。
「もし……」
ただ残念なことに、
「もし一人でも、私に対し、鬱憤ばらしにでもしてやろうと考えているのなら」
フェリアル・エフ・マターナは、
「止むを得ない。王国への宣戦布告と捉えることだろう」
そういう者たちを斬り伏せてきた、第一騎士団の副騎士団長であった。
その意味は、ひとえに殺す――それが騎士の申し子だった。
「…………」
威嚇・牽制は、女の世界では常識だ。殺気に剣、鎧に眼光。見せるべきものは全て見せ、その上で、最終的には腕前だけで圧倒する。
火が噴くのなら、冷ややかに断つ。
覚悟はひとつ――来るなら来いッ!!
「ウチの店でやんなやい!!」
パコン!
「アてィっ!?」
リリアネットは、フェリアルの後頭部を打つのが好きだった。今朝もそうだし、昨日一昨日も。それがフェリアルの弱点だと言うように、毎度の如く打ってきた。実際はリリアネット自身に、相手の背後を取るという、ただクセがあるというだけのことであったが。
フェリアルは今日、前頭部にも一撃食らった。力派女店主からのものだった。
「騎士だろうが石だろうが、客は客だが、ここは戦場じゃねえィ! やっちまうなら他所でやんナ!」
目の前にゴトッと、頑丈そうなジョッキが置かれた。中には赤茶色の液体。
まったく――と、吐き捨てると女店主は、小声でフェリアルに告げた。
「それ飲んだら、外に出て裏に来な」
おでこをさすりながら、フェリアルは一瞬、目を細めた。
さて。
吉と出るか凶と出るか。
「よりにもよってそんな格好で来るなんて喧嘩売ってるんでしょうか売ってるんでしょうねまったく」
強い雨の中キビキビ動く娘の案内で、フェリアルは、店の裏に付けられていた二階への階段を上がっていた。
階段を上がる前、念のため馬が無事かとチラ見をした途端、娘の態度は攻撃性を増した。互いの立場や事情を鑑みれば疑い合うのは当然だろうと考えているフェリアルに対し、娘はだいぶ幼なげに、感情を起伏させたのであった。
「ほらほら。こっち入ってください。それじゃ!」
張り付いただけのような笑顔で、二階のドアの一つを示すと娘はフェリアルを置いて戻って行った。税の徴収には、王政の税務の役人が来る。その警護として騎士団員も同席することがある。フェリアルは稀にしか行かず、ケルケルに来たこともない。……役人に対しても、あの態度なのだろうか。
目の前にある、簡素な木製のドア。開けたらなにかが待ってる。
剣は腰に。鞘から少しだけ抜いて、その刃が輝いているのを見る。
待つ気はない。罠なら罠で斬り伏せる。
ドアに手をかけ、ゆっくりと開けた。
広い、倉庫のような空き部屋だった。
部屋の大きさにしては、随分と簡素で小さなテーブルと椅子たちが橋に寄せられており、天井の真ん中に点けられたランタンの光は、薄暗闇に大きな陰を落としている。小窓に当たる雨粒の音が、より一層、この空間を不穏な空気に落とし込む。
その奥に、人の気配があった。
フェリアルはドアを閉め、その気配に向き合うよう、真っ直ぐに立つ。その距離5メートルくらいか。相手が魔法師ならこの距離でも充二分に危ないが、騎士団では対魔法師戦においても、訓練項目があった。フェリアルは、自分の腕なら少なくとも、致命傷や大怪我までは至らないだろうと考えていた。
「…………」
「呼び出したのは、貴方ですか?」
「……そうだ」
その姿は見えなくとも、声だけで分かった。
翳る気配は、昨夜の外套の男だった。
「要件は……こちらから言いますか? それともそちらから?」
「一人で来たか?」
「はい。私一人です」
「そうか。例の件――『シンカン』が関わっている」
――――。
男は断定した。
「……何故昨日、教えてくれなかったのですか?」
「……壁に耳あり月夜に目あり、だ。街中でそんな話をするほど、暢気なタチではない」
「ここでは良いと?」
「…………」
「関わっている、というのは? 『シンカン』本人がですか? それともその歴史がですか?」
「…………不明だ」
「……まさかそれだけを言いに私を、わざわざここ迄連れて来たと言うおつもりではないでしょうね」
「…………」
密室で、ランタンが揺れた。
「情報源も教えてもらえないのですか? こう言ってはなんですが、こちらは調べるだけしかできないのが現状で、それさえも目立った進展はありません。貴方の半分は強力的であると認めても、もう半分に対して私は、今も刃を向けているつもりです」
「本来、俺が来る予定ではなかった。この状況は、些か想定外だ」
「そうですか。どうして正体を明かさないのですか?」
「……いずれ明かすかもしれない」
「それが答えになっていると?」
「……こちらの――」
見えていたのは陰だけであったが、フェリアルにも分かった。二人とも、窓の外を見た。
音が聞こえる。酷い雨音に混じった、かなりの数の音。
金属音と、話し声。
ランタンが揺れた。
「誰か来た」
「……誰かたち、だ」
小窓から見下ろすと、フェリアルにとっては見慣れたマントを着た、10人前後の姿が。ここからじゃよく見えないが、背中に数本の、細い線の紋章。
魔法師団!? さらに、騎士団員も数名。
「お前の、差金か……?」
「違います。私は、一人で来ました。本意ではなくとも言われた通り……反故にするつもりはなかった……ですが、私の所為かもしれません……」
「誰かに話したのか?」
視界が悪く、番号までは分からなかったが。
「……相談はしました。尾行も追跡も警戒していたつもりですが、巻き切れなかったか、もしくは……?」
「……いや。あの人数だ。お前の言うことが正しければ、距離を保ってか、準備をしてから来たのだろう」
陰の中で、男が動いた。なにかを取り出し、互いの隙間のような光の下へ、そのカードのような物が滑り着いた。
「これを仕掛けたやつか?」
それは、折り畳まれた紙だった。
第四魔法師団の報告書の複製。
『いいわ。それは、とっときなさい』
そういう癖があるわけじゃなかったし、思い入れがあるわけでもなかったが、調査の期間中にわざわざポケットから出す必要があるとは思わず、入れっ放しにしていたものだ。
だった。
言い方が気になり、フェリアルは訊き返す。
「……仕掛けた?」
「仕掛けてあった、が正しいが。……魔力の残滓が残っていた。今はもう取り除いたが」
「いつ取った? ――は、分かりました」
「勿論昨日だ。『くれ』と言って『くれる』ようなものじゃないだろう。……そこまでしたが、何故バレたかの方が、問題だな」
「……貴方は魔法師なのですか?」
「今気にするべきは、あっちの方だ」
敵か味方か。味方であってほしいが、フェリアルはどうするべきか躊躇する。
あの人数だ。億が一でも、たまたま来たとは考えにくい。目的はフェリアル、もしくはこの男。……万が一くらいで、あの娘の可能性もあるが。
包囲して出てくるのを待つ気とは、考えにくい。戦闘が目的の部隊だとすら見える。
「貴方はどうする?」
「俺はどうにでもなる。問題はお前だ」
「私は……基本的には、味方のはずだが……」
床に落ちたままの紙切れを見て、一考する。
勘違いや誤解で疑われているのなら、それは訂正しなくてはならない。トーウェンタリスのことだから、「魔力残滓付きの報告書の複製」は、「御守り」としての意味合いがあるかもしれない。
外では、馬から降りた騎士たちが次々と、警戒態勢馬車の周りに立つ。馬車から降りて来た魔法師たちは、乗り込む前の打ち合わせであろう、円を組んで話をしていた。全員、雨の中フードを被っていて、その顔は一人も見えない。そこに、あの女店主が現れた。流石に何事かと様子見に出て来たらしい。
フェリアルは男を見る。
「正直、私は『シンカン』自体の存在も疑っています。しかし『シンカン』が――仮にそう呼ばれる者たちが現実にいたとして、どう関わっているかまでは分かりますか?」
「……なんとも言えない。それを知るには、バーラック・ビー・ベルテンの部屋を調べる必要がある」
「部屋はもう幾度も調べました」
「……可能性の一端だ。あの男は――」
フェリアルが焦って小窓を振り返った途端、青色のマントの者たちが揃って、小窓に――フェリアルたちに向かって、長杖を向けた。
「ナッ!?」
身を翻し、床に伏せた直後――轟音を立てて、小窓も壁も盛大に吹き飛ばされ、木片の瓦礫がフェリアルの背中に伸し掛かろうとした。しかし間一髪のところで、陰の中から男が飛び出し、その外套ごとフェリアルに覆い被さるようにして庇ってきた。
フェリアルは男の行動に驚きながらも、布越しに聞こえる破壊音が止むまで、頭を抱え、歯を食いしばって、ひたすらに収まるのを待った。
「――もっと南に行け。エルテラン湖というところに小さな集落がある。離れた丘の上に小屋がある。今日来るべきであった者がいるはずだ。今回は誰にも相談するな。そして俺のことは、テキトーに当たり障りなく語れ。話はこれからだった、とでも言えば深くは訊いてこないだろう。国の敵に回らないよう立ち回れ。俺は俺で城を調べる」
男の顔は、フェリアルの至近距離にあった。
淡い恋心でも芽生えそうな距離だったが、この状況と焦燥感の中、フェリアルにそんな意識は無かった。
堅牢な黒い髪。燃えるような赤い瞳。浅黒い肌に、フェリアルと同じくらいの若さで、印象は薄いが彫りの深い、端正な顔立ちをしている。フェリアルに見覚えはなかったが、城下町に住んでいたとしても特に気には留めない容姿だった。
「俺はもう行く」
破砕音が止むと、足音が聞こえ始めた。男はフェリアルの上から退くと、俊敏な動きで、半壊していない方のドアから出て行った。そして入れ替わるように、逆側――つまり、フェリアルがこの部屋に入るとき使ったドアから、鎧姿の騎士が2名と、魔法師が数名続いて現れた。
「マターナ副団長」
聞き馴染みのある声が、倒れたままのフェリアルに届いた。
フードを取ったのは、よく見知った顔。
「……何故…………?」
掠れた喉から、その言葉だけが漏れた。
「貴女を守るためよ。言ったでしょ。――重要なときは、私自身を派遣する」
逆様の視界の中で、トーウェンタリス第四師団長は、付いていた魔法師たちに指示を出す。
その中には、困り顔の、ヴァシーガ・ブイ・モルダルクの姿もあった。