【第1章|Extravaganza(エクストラヴァガンザ)】〔第1章:第4節|500年も前の、さらにその前の物語〕
【発生時間】午前7時40分~45分
【発生起点】城内、名誉魔法師、バーラック・ビー・ベルテン卿の執務室。
【事案内容】『白い光線』と呼ばれる現象が、起点より南西へ向けて、メルトリオット通りを通過し、城壁外区のノルヴァック荒野までを照射。
【実害】約10秒ほどの、『白い光線』の照射に接触した生物(現状、人間のみ確認)はその場にて消滅。着用物、所持品を残し、本人の身体のみを消滅・あるいは転移させたものと考えられる。
【白い光線】現状不明の特性を有する、白く発光する巨大な直線上の高密度の光。推定直線距離、十キロメートルから二十キロメートル以上。
【報告書作成時における、最新被害状況:午後15時45分】
〔シンカルン王城敷地内〕
確定消滅者:21名
未確定消滅者:2名(ベルテン卿含む)
〔メルトリオット通り近辺〕
確定消滅者:217名
未確定消滅者:13名
【調査状況:午後15時45分】
〔ベルテン卿執務室〕
第三魔法師団が調査中。第四騎士団が現場保全中。
〔メルトリオット通り〕
第四魔法師団が調査中。第二・第三騎士団が現場保全中。
[以降、情報が更新され次第、本『報告書』に追記するものとする]
「ですから、他国に知識をお借りしようかと」
16時過ぎ。
16時前に受け取った団長からの報告書を手に、フェリアルとヴァシーガ、そしてヤンドールの三人は、トーウェンタリスのお茶会に出席していた。
城の西側。魔法師団棟と議会場との間の、中庭。
小さなテーブルを囲み、四人が向かい合って座る。ヴァシーガ曰く「お気に入り」と称されたフェリアルは、トーウェンタリスの隣で、騎士団の総意を意味する報告書を手渡した。数時間前に受け取った報告書も、きちんと返却しようとしたのだが、
「いいわ。それは、とっときなさい」
と、ポケットへと返された。古い報告書は、無用の長物なのだ。
二百五十人ほどが消えたのに、のんびりお茶会だなんて――という視線を送る者は、誰もいない。賢者には賢者の習慣がある。それは、どちらかと言えば実技主義である騎士が口を出すことではない。紅茶を飲むのに砂糖を大量に投入する者がいるように、個々人の、言ってしまえば「裁量」というわけだ。
聡明なる第四魔法師団の師団長、トーウェンタリス・ティー・アルバンは、頭脳労働に、「お茶会」を必要とする。ただ、それだけのことだ。
「あまり入れ過ぎると、品が無く見られるのよ」
そう言って、角砂糖を流すように入れていたヴァシーガを制し、カップから赤茶色の液体を啜る。
「意外と、外れてはない話だと思ってはいるわ」
トーウェンタリスはフェリアルを見て、図書館から貸し出された本を見て言う。
「50年ほど前かしら。まだ私がピチピチだった頃。あら? 今もかしら? ……南の海域に『トドロス』という大海蛇が大量発生したことがあったの。海域自体は国境近くだったし、シンカルンとしては大した海域じゃないから放っといても良かったんだけど、それでも一応権利関係の話とか出たし、正式に水の国に依頼したのよ。ほら、水脈も海域も、正式には水の国の領土でしょう? 漁業権の適応範囲外だったし、当時は今ほど安定した関係性でもなかったしね……。で、いざ共同戦線を張ってみたら、原因はあちらさんだった、ってオチ。うっかり彼らが巣穴を刺激しちゃって、水脈を通って海で大繁殖しちゃった、ていう。今となってはもう少しやりようがあったと思うけど、当時は『魔法が効かない!?』ってなって、駆除するの大変だったんだから」
と、トーウェンタリスは古い戦争を思い出す、歴戦の者のように語った。実際、その通りであった。
「あの蛇は古代の神の置き土産で、放っておけば海には出なかったって話。だからもし、今回の件が城の内部も、ベルテン卿も関係ないんだとしたら……シンカルンそのものか、ウェルド大陸全体の問題になるかもしれないわね」
正直、説得力がない報告をすることになってしまった、と思っていたフェリアルは、ある程度報告した価値のある可能性が出て、内心安堵していた。彼女が魔法師団長に対し、絶対的な報告義務はなかったが、トーウェンタリスはフェリアルの祖母と仲が良かったのだ。彼女の意志にフェリアルが応えても、悪いことにはならないだろうと、考えていた。
「それで……具体的には、どういう感じ? 古くに消えてしまった術や、封印された生き物、他国多種族まで合わせたら、それは五万といるでしょう? 気掛かりなのは、どれ?」
三人は顔を見合う。ヴァシーガは不安そうに、ヤンドールは意を決したように、それぞれ頷いた。フェリアルは、本の388ページを開く。
両開きにして差し出す。
トーウェンタリスは、団長が『飛躍し過ぎ』だと言ったそれを見て、訝しむような、困ったような顔をした。
「本当に関わっているとしたら、それはかなりの大事よ?」
だから、話が飛躍し過ぎているのだ。
ウェルド大陸には、神がいる。
どうしてかは知らない。何故かを知る者はいない。
明確に正確に言うなれば、神がいた。
シンカルン王国を取り囲む、十の民族国家それぞれにある『極聖大資源』。その『恵み』とも称される豊かな自然物を中心に建国された他の国々と違い、シンカルン王国には、その『恵み』は存在しない。もともとあやふやな国境線の入り乱れる中央荒野は、500年以上前には手付かずであったのだ。
故に、神の国。
故に、神はいない。
建国者たちはこの一見矛盾する言い回しに、このような言い分を残している。
『神の「恵み」ではなく、神々の「恵み」の与えられた地であり、終焉を乗り超えた人々の、その「意志」によって、磐石な国土が成されたのだ』
人々自身、各々が「意志」であり、「恵み」を必要としない、人々の国。
故に、神の国。
故に、神はいない。
500年前、ウェルド大陸が滅びかけた一件――『戦神大戦』。
戦神・グオルガークとの戦争は、人々の信仰心を揺るがし、疑念を抱かせた。
『極聖大資源』が存在し、神の信仰する十の国々にはその存在を証明をする存在――「神の遣い」がいた。
彼らは、「シンカン」と呼ばれていた。
それぞれの国から神に選ばれし者が一人ずつ、神に代わって、大陸を裁定した。
神々の力は凄まじく、シンカンたちの力も凄まじかった。紛争や混沌は、シンカンたちの手によって収束した。
しかし、平和の保たれたウェルド大陸は、戦争の神にとっては異物だ。
神々の取り決めにおいて、直接的な地上侵攻は禁じられていた。力が強過ぎるあまり、大陸ごと消し飛ばす可能性があったからだ。
しかし、戦神・グオルガークは、その取り決めを破った。地上に姿を現し、自らの手で世界を焼こうとした。
そして――『戦神大戦』は終結した。
戦神・グオルガークを殺した、シンカンたちの犠牲を伴って。
「妙な話ですよね」
その項目を一通り読み終えたトーウェンタリスを見て、ヤンドールは言った。
「……アにが?」
マフィンを口に詰めながら、ヴァシーガは訊く。
「国の成り立ちを聞くのは初めてです。いえ、ざっくりとした話は知っていましたが……詳細を聞いたのは、初めてです。それにシンカンの話も『戦神大戦』の話も知ってはいましたが、それを経て、500年ですよね……?」
チラリと、第四師団長と第一副騎士団長の二人を見て、慎重な口振りで言った。
「なんていうか……不足が多い気がしてます」
その物言いに、フェリアルは首を傾げる。
「不足?」
「情報……というより、記録、でしょうか……。……難しいですね……」
トーウェンタリスが本を閉じ、静かに言った。
「――プロパガンダよ」
視線が集まる。
顔付きは少し硬く見えたが、威厳と口調が、言い難いことであることを露わにしていた。
「『プロパガンダ』って、なんですか?」
トーウェンタリスは、紅茶をひと息で飲み干したヴァシーガに、少し眉を顰めて続ける。
「政治的な話ってこと。言葉の定義は、もっと悪どい意味だけれどね。考えてみなさいな――シンカンたちは十の国々の者たちで、シンカルンはそれに『敬意』を示して造られた。……聞きざわり良さげに言ってるだけで、実際は他国を犠牲に建国したっていう事実があるんだから、この国はシンカンたちの死体の上に造り上げた――なんて、あまり言いふらさない方が、国のためでしょう? それに――国同士の交流が少ない理由も、半分くらいはそういう事情だからよ。もう半分は種族間の違いとかだけれど。寿命とか、生態とかね……。なんにせよ、この国も他の国も、あまり語りたがらない理由は、そういう風潮が長らく続いているから、ね」
45分で締めるのよ、いつも。
と。
お茶会が締まると魔法師たちはそれぞれ自分の団に戻り、フェリアルは一人、城の中を歩いていた。
お茶会で結論は出なかった。トーウェンタリスも報告だけを聞きたかったみたいで、それ以上の要求はして来なかった。
騎士団に戻っても良かったが、新しい報告は上がって来ていない。通常業務に戻ろうかとも思ったがおそらく、慕ってくれている第一騎士団の団員たちが、適度にこなしてくれているはずだ。第一騎士団は幸運なことに、ただの一人も消えてはいなかった。
独り歩く、城の廊下。
静けさは異常だ。常日頃から城内を放浪するような者はいないが、実際に人数が減っているのだ。城外にいる者も考えれば、当然だ。
メルトリオット通りに行くのも考えたが、幾多の知り合いたちのことを思うと、気が滅入ってしまう。それに今行かなくとも、帰るときに行くことになる。
…………。
初めてだった。
フェリアルは騎士だ。入団してから、「騎士の申し子」と異名が付くほど。副団長になってからは、その数はだいぶ減ってはいたが。
両親も騎士だった。祖母も――リリアネット・エル・マターナも、全盛期は当時の第二騎士団長を務めるほど、騎士だった。
剣術はある。剣才もある。
血筋もある。意志もある。
だが、難題に直面している。
本来、分かっているべきことだ。――剣では、解決できないこともある。
これまで対応してきた事態が、全て剣で解決できていたと錯覚するほど、騎士として、剣を手にして、物事が収まっていただけ。魔法師ほどの知識や知恵もないわけで。
人同士の争いとか、凶暴化した城外の動物の群れとかは、向き合っていれば対処できた。が、今回は向き合おうにも……なにもない。
対象が、ない。
角を曲がり、城壁前の噴水の方へ。水の音が聞こえる。
平和ボケしていたのだと、自覚する。
ベンチに座る。城壁で遮られているが、その先には城下町がある。メルトリオット通りも、突然身内が消え、阿鼻叫喚の様だった者たちも。
腰に差した剣。その柄を握る。
考えても埒が開かない。そう思いつつも、もう少しだけ考えてみよう。
鼻から深呼吸を一回。
お茶会での話は、案外的外れではなかった。
他国の介入の可能性も、まだ残っている。他国が被害者の可能性も。フェリアル自身、外交部にアクセスできるわけじゃないが、議会で報告が上がっていないということは、他の国でも頻発しているような事例ではないはず。隠蔽されている可能性もあるけど。
それ以前からある、ウェルド大陸の未知なる古代術のような可能性も、考えられる。ベルテン卿が魔法で事故を起こした可能性。ただの悪戯。なにかの偶発。
一介の副騎士団長にできることは…………。
フェリアルは足を上げると、勢いで立ち上がった。王国から受け取った剣が、腰で小さな音を立てる。
休憩は終わり。
片っ端から調べるしかない。頭が足りなければ足を使う。
もう一度、現場へ行ってみることにした。
ヤンドール・ワイ・グレアットとの再会は、思っていたよりも早いものだった。
一度騎士団の執務室に戻り、団長に確認を取ったが、新しい報告は上がってきていないという。ベルテン卿の執務室を調べてくると言い、今日初めて顔を合わせる団員たちに泣きつかれ、それを宥めていると、かなり時間が押されてしまった。勤務時間も残り少ない。
立っていた警備兵曰く、「数十分も前に来られました」とのことだった。一人でらしい。一介の団員が個人で動くのはあまり推奨されていることではないが、それで結果が出るのは悪いことではないし、魔法師がいるのは心強い。顔見知りでもある。怪しい挙動さえなければ、問題ないだろう。
フェリアルは、執務室のドアを開けた。
…………………………。
フェリアルは、執務室のドアを閉めた。
…………………………。
――What?
フー……。深呼吸を深く。光景が両目に焼きついてしまった……。
それは怪しい挙動だった。脅威とは遥かに遠いが。
今度はドアをノックする。現場だからという理由でノックしなかった私が悪い、ということにして置こう。
「は、はい……ちょ、ちょっとだけ、お待ちを……!」
慌てたヤンドールの声。バタバタと動いている音が、扉越しに小さく聞こえる。現場はある程度保全していてもらいたいけれど。
フェリアルは警備兵を見た。
「中に誰も入れないように、とか言われませんでしたか?」
「い、一度仰られましたが、事件現場としては、そういったことは『権限』を持つ方のみ対応、というのが、警備の規則ですので」
警備兵は順従だ。不審者だけを中で自由にさせてはならない。
扉越しに、ノックが返ってきた。
「もう、大丈夫です!」
ドアを開ける。ついさっき、お茶会を嗜んでいたときの彼女が、そこにいた。
「どうも……」
露骨に項垂れている声。どうして良いか分からず、フェリアルは小さく頷いて、部屋へ。
光景は殆ど変わっていない。窓が開いており、昼過ぎに変わった風向きから、緩やかな風が入り込んでいるくらい。
壁沿いの乱雑な道具類に、火の消えた暖炉。
木枠の台車。
そうだ。見るまで忘れていた。仮の証拠品としては、そこそこ大きい代物だ。
「師団の報告書は、新しいのは上がってないですか?」
「……い、いえ。特になにも……」
「そう。騎士団もそうでした。数十分前に来たって聞きましたが、なにか分かったことはありますか?」
「あっ……えっと……。資料のもえかすが復元できなかったんですけど、インクとの分離方式で、書いてある内容は読み解けるかと……あとは、飼っていた鳥がいなくなってます。籠が置かれてる場所から考えて、『白い光線』の所為ではないものかと。本件との関係性は分かっていないので、報告書には上がってません」
「そう……鳥が原因、とかの可能性は?」
「……鳥自体を調べてみないと……。あの……」
「はい?」
「……見ましたよね?」
…………。
「見ましたよね?」
「見ました」
「それは――はっきりと?」
「それはもうはっきりと」
「…………」
「…………」
き、気まずい!
ヤンドールは、ローブの下から小さな巾着を取り出した。が、ふと手を止めて、巾着を戻し、ロケットかペンダントか、円盤状の小さな板を取り出した。金属製の蓋をパカッと開け、中から金貨を一枚取り出す。
金貨一枚――団員ならひと月は暮らせる。そんな貴重品を持ち歩いて――いや、持ち歩くべきだったのか。
「これで……お見逃しください……」
「すいませんが、賄賂は受け取らない主義です」
「そんな……」
フェリアルには、騎士道精神があった。
落ち込むヤンドールに対し、逆に(?)、
「その……訊きますけれど、どうして、脱いでいたんですか?」
――――――――。
ドアを開けたフェリアルを待っていたのは、背中に三本の杖の紋章を背負った、ローブ姿のヤンドール。
ローブ姿のヤンドール。
ローブ姿だけの、ヤンドールだった。
中はなにも着ていなかった。少なくとも、フェリアルの見える範囲では。
ヤンドールはフェリアルに背を向け、裸足で、おみ足までを露わに、ローブを靡かせて、その両手を広げ、恍惚な表情で、窓に向かって立っていたのだ。
眩さと清々しさの強いその光景が衝撃的過ぎて、フェリアルはすぐに思い出せてしまった。たぶん、しばらく忘れることはない。
「あっ……えっ……えっと……、……しゅ、趣味です…………」
「……趣味? 事件現場で、服を脱ぐのが……?」
「じ、事件現場、で……服を……脱ぐのが……です……」
小さくなっていく半分泣きそうな声が、事情がどうとかではなく、問答無用に哀れに思えてきた。
「その…………ダメです……」
「はい……」
人格に対しては踏み込み過ぎないというのが、フェリアルを副騎士団長まで伸し上げた人望の一端でもある。
個人の性癖にとやかく言うことはしなかった故、口にできたのは軽めの叱咤だけであった。
「怪しまれます。今は特に」
「はい……」
「男性が入ってきても、大変ですし」
「ですね。……ごめんなさい」
数時間前の知性的な彼女はいずこへ。
目の前にいるのは、欲求と快感に貪欲そうに見えてしまう、残念美人であった。ある意味、それはとても魔法師らしいと言える。
話を――というか、意識を戻す。
「ベルテン卿は、どんな人だったかというのは聞いてますか?」
ヤンドールは胸ポケットから、小さな紙切れを取り出した。
「…………特に変わったことはない、普遍的な『名誉魔法師』だったらしいです。『記録』の魔法を活かして、城のあちこちの整理や調整担っていたと」
魔法師は、定期的に成果を出してさえいれば、基本自由な研究職だ。騎士団は統率や連携のために、定期訓練や遠征等もあるが、真逆と言って良いほど、魔法師団は基本業務以外の指定はない。「名誉魔法師」なら尚のこと。自由人に等しい。
だが極論、食っちゃ寝で生きていけるほどの賢者が、仕事を担っていた。
これを怪しむべきかどうかは、また別の話だ。
遠くから聞き慣れた音が響いてきた。
敷地内の中心にある、鐘が鳴っている。
18時。勤務の終了時刻。
一度騎士団に戻り、夜の警備が必要かだけは聞かなくてはならない。
ひとまず。
今日の調査は終わりだ。
これが、始まりの日だった。