【第5章|宴も勇き名を連ねて】〔第5章:第1節|冬は越え切れず〕
爆発物は、盛大に肉片を溢れさせた。
ヴァイサー・エィンツァーたちが見守る中、爛れた肉片を吐き出した濁流が、地下の奥一帯を侵食した。ドロドロの焦げた匂いを撒き散らし、土色が紫の混濁した力に染まる。
しばらくは土石流のような、泡の立つ流動が発生していたが、やがて静寂と澱みだけが残され、命の証は一つも見えなくなった。
――〈十字ソレット〉のエィンツァー・ソウガは、仕事をやり遂げた。
「――悪いが、この場の解析と事後処理が済むまでは、触れさせてやれない」
……だが、探すことはできなかった。
『人外』担当である〈四宝ソレット〉――冬のヴァイサー・クルキは、そう言った。
「彼はもう『人外』だ。――物理的に、接触し過ぎた」
ファンショも「……すまない」と。
通信機からは、何も返事はなかった。
十分ほど待ったが、血溜まりが動く様子もない。
――〈十字ソレット〉も他の〈ソレット〉も、浮かない顔のまま――一度地上へ上がることに。ダンガの腕の損傷具合は酷かったし、他の者も、休息が欲しかった。
――泣くような者は、ここにはいない。
歴代のヴァイサーもエィンツァーも、指では足りないほど失われてきた。
〈十字ソレット〉たちは……戦闘部隊として、常時連携と交友を築いてきた者たちだ。――エィンツァー・ソウガが加入してからは、誰も死ぬようなことはなかった。
つまりは――それは、二年振りの戦死者だった。それも最も新しく入った、若い戦士だった。
――泣きたい者はいた。嘆きたい者もいた。胸を裂きたいと思うほどに。
〈十字ソレット〉全員が、悲しみと喪失感で溢れ――それを溢さないよう抱きながら、瓦礫の斜面を登っていた。
「――誰か、死にましたか?」
地上で出迎えてくれたのは、一人の女だった。
胸当てや肩当てなど、部分的な装甲が目立つ格好の女だ――無骨で、肌を見せていない戦闘服。『基本戦闘服』よりは動き易そうだが、防御面が劣っているようにも見えない。
ソウガよりは明るめの青い髪――そのうなじから二本、ツインテールが流れている。その背中には、矢筒を斜めに背負い、右手にはリカーブボウが、左手には一本の矢と――その先には、一匹のカラスが突き刺さっていた。既に息絶えている。
「……あんた、誰?」
疲れ切った声でシダレが訊いた。女が口を開く前に、ゴルガロに支えられたダンガが、前に出た。
「――紹介する。うちのエィンツァー・シンザンだ」
「新参者って意味のシンザン?」
「――神を斬る方よ。私の専門武器は弓だけど。……この自己紹介、嫌いだわ」
その声はクルキよりも冷たく、感情よりも静かな殺意が込もって聞こえた。そして鋭かった。この場においては、哀傷を逆撫でするように、聞こえた。
「――爆発物を届けたのは、彼女だ。お陰で俺らは助かった」
「それはどうも」
シダレは八つ当たっていた。グレンは静かに小突くと、シンザンに手を差し出した。
「――〈十字ソレット〉の剣のヴァイサー・グレンだ」
「よろしく」
他の者も、続々と上がってきた。斜面は、南のセンター通りに出ていた。
村の中央付近――ロータリーは、完全に沈んでいたが、センター通りは半分ほど、東西の通り――僅かにだけ残っている。が、針子村集落の北側は、ほぼ完全に沈んでいた。
シンザンは、右腕がボロボロのダンガを見る。
「――何回使った?」
少し気不味そうに、ダンガは視線を逸らした。
「……二回」
「一回でも危ないって、話したわよね?」
ダンガは尻に敷かれているようだった。その様子を見て、ゴルガロ吹き出す。
「二回目は、溜めてまで使ったぜ?」
「嗚呼っ、おいコラ! 裏切りモン!」
「――こっちに担当させるべきだったわ」
シンザンが指したのは、村人だった者たち――『マジョガタ』が、その肉片が無数に散らばって。
「――グレンッ‼︎」
天秤のヴァイサーが叫ぶ――と、殆ど同時に。
――夜空も月も、暗闇が覆った。
センター通りの西側――その並んだ三角屋根の上から、無数の太くて長い影――樹の幹が、集まった〈ソレット〉たちに向かって降りかかって来た――丸太を運ぶトラックが、うっかり斜面に転がしたような、そんな不自然さを以って。
音を立てて屋根を破壊し、通りに撃墜する。
――さらにその上から、次々と乱暴に迫る。
グレンは一瞬十字剣に手が伸びるが、それでどうこうなるようなものではない。
「――ッ‼︎」
アンテツが、グレンを弾き飛ばす――幹がその場に衝突し、弾かれ――壁に当たり、斜面へと転がり消えた。伏せたまま振り返ったグレン――アンテツの姿も、消えていた。
「――――⁉︎」
一瞬、何が起こったのか――――まるでわからなかった。だが、樹々は止まらない。
最初に動き出したのは、ファンショ――さらに降ってくる樹々に対し、壁を蹴って跳ぶと、回し蹴りを――しかし空中では、その軌道を乱すだけだった。ダンガとゴルガロとシンザンが、その幹を避けつつ、建物の壁に身を隠す。
逆に弾かれ、地面に叩きつけられたファンショ。その腕をクルキが引き上げたが――。
――グリャッ。
「――⁉︎」
太い幹がファンショを乗り潰し――――クルキが握った腕は力なく通りに倒れた。
「ファンショっ!」
「クルキ!」
キキがクルキを連れて、壁際に滑り込む。ガンケイはバンキに手を伸ばしたが、バンキは前方に落ちてきた幹に阻まれると同時に、衝撃で背後に弾かれ――そのまま東側の建物に突っ込んだ。ドンソウの『四方盾』が、倒れてきた幹を防ぐ――その下をクフリとシダレが通り抜け、路地に。メイロが『大剣』を地面に突き立て、グレンの前に落ちてきた樹が、真っ直ぐ倒れそうになったのを支えた。『大剣』から手を離すと、二人はその横を通り抜ける。
「――ファンショ……?」
クルキは強くショックを受けており――両手を開いて構えたまま、目を見開いたまま、通りで潰されたファンショを見ていた。正確には、ファンショを潰した幹を。さらにその上から、立て続けに幹が積み上がる。
――乱雑に。無造作に。
その傍でしゃがみ込んだグレンとメイロ。グレンは墜落音の中で冷静に周辺を見渡す。
「――メイロ、回り込んで、アンテツを探してくれ。誰か連れて――バンキを探して、連れて行け」
「了解」
反転――クルキとキキに向く。
「察しがつくと思うが――」
「――殺し損ねの、だね」
キキが頷き、クルキも冷静さを――両手に『心恵』が一瞬起動して、手のひらに霜が付いている。
「手負いのはずだ。――そうじゃなくても、仕留めに行くぞ」
「了解。――クルキ、行けそう?」
「……あ……嗚呼。ちょっと待ってろ」
通りの樹々は、止む気配がない――つまり、方向的に西の森林のものだ。
「――シンザン、行け!」
激しい撃墜音の中で、ダンガの声にゴルガロも続いた。
「――サラン! クワンキ! 援護しろ」
クルキは背後を振り向き、背負った槍を手に、路地へ。『蛇腹剣』を手にしたキキと、『十字弩』を抜いたグレンも続く。
一気に騒音が浅くなり、クルキに続くまま――室外機を避け、バケツを越え、一度右に――さらに左へ。薄暗い路地の中、強く聞こえるのは、自分たちの吐息と、足音だけ。
暗闇を通り、先へ進み――センター通りの側を構成していた、建物群から出た。
田畑と、手入れされていない空き地――その先に、外周の柵が。
『西の森林』のその手前――柵が途切れた間にて、指揮棒を振る、一人の姿が――。
「いたぞ」
と、クルキが行ったときには、三人とも走り出していた。
手が振られる度に、手前の樹々が根元から抜け、村の中央付近に飛んでいく。
グリベラは、近づいてくる影に気づいたようだが、気にせずバンバンと、樹々を葬っている。
背後で村が壊れる音が響く中。
「――グリベラ・アンバー・ウォーレン‼︎」
クルキが怒りを放つように叫び、グリベラの視線がこっちに向く。
遠目から見ても、かなりの負傷具合だ。喉を突き刺したり、盾で殴ったりしたのだから然もありなんといった感じだが、あちこちが切り裂けており、鮮血を浴びていた。地盤が崩れたときも巻き込まれてはいるだろうから、見えていない部分の骨や筋肉の負傷もあるのだろう。
どこからか取ってきたのか、裂けているマントのような物を、左半身が纏っている。
「――もうこんな村! 気にする必要なんて、ありませんのでッ‼︎」
そのグリベラのもとに、夜空を抜けてカラスが飛んできた。グリベラの肩に留まる。
「――姉の復讐ですッ‼︎ ヤタガラ・ミストリット・ウォーレンと、キバメラ・ビクトリア・ウォーレンの。お前たちの――」
ドッ。ドッ。
三人は足を止めた。
グリベラの肩から、カラスが落ちた――そのまま地面に。息絶えていた。
「っ……っ⁉︎」
グリベラは、カラスの胸を穿つように刺さった一本の矢と、自身の右膝に真っ直ぐ刺さった矢を見て、表情が固まる。
「――手間がかかるから、逃げないでよ」
三人の背後から、さらに三人が現れた。
弓を構えたシンザンが、従者のように、忍び装束で顔の見えない二人を連れて。
「――殺すんでしょ?」
三人を通り過ぎる三人――再び走り出し、並走する。
柵に隠れたグリベラ――姿が見えなくなった。
止まる者はいなかった。
柵に隠れたグリベラは、自身に刺さる矢に魔術を――簡単な『現実改変術』で、矢の刺さった部分の形状を変化――溶かし折ると、傷口に治癒を――しようとしたが、足音が迫るのを感知し、柵から飛び出る。
人数は六人――全員が集まってるお陰でやりやすい。
両手を広げると、掌を思いっきり叩き合わせる――正面の六人が、放たれた爆風で吹っ飛ぶ。数メートル後退させると同時に、背後に振り向いて――。
――ドスッ。ズズッ。ズッ。
「――――ぅぐッ…………」
右肩を中心に、鋭い痛みが――鎖骨の隙間から貫いた矢尻と、肩から突き出た真っ黒の短刀のような刃物――真っ黒のクナイが二本。チラッと六人を見ると、女は弓を射っていた。あとの二つは、忍者姿の二人だろう。
痛む肩を抑えつつ――痛む足を庇いつつ、グリベラは森の奥へ。
深くを目指し、樹々の隙間の暗闇を進む。
左半身だけ、被せるように着たマント――脇のところにポケットが付いており、青く細いフラスコが数本、紫色の丸い瓶が一つ、黄緑色の小瓶が入っている。
魔女の秘薬――常備しておいて良かった。
グリベラはその中から、青いフラスコを全部――コルク式の蓋を取ると、中の液体を全て飲む。
『魔力』の外部回復――復讐には至らずとも、逃争くらいはできる。
――今この瞬間においては、刺激された全身の『魔力回路』が一時的な覚醒状態へ――もし背後に現れたら、一人ずつ殺すくらいはできる。
闇を走り抜ける――背後の気配はまだ薄い。音も聞こえない。
浮遊魔術を使い、少しだけ浮く。本来であれば、マントや衣服に編み込んでおく物だが――今は仕方ない。地面から浮く自身の足に『治癒術』を――『身体干渉術』を施す。
…………。
――――〈ソレット〉。
恨めしい、この国の組織。絶対にタダじゃおかない。絶対に滅ぼす――。
折角『ヒトガタ』と言う、人体改造の面白い資料が手に入ったのに――その粗方を――改良版の実験体と、それだけで構成していた理想郷を完成させていたのに。
あとは――あとはヤタガラが、『サバト』を開くだけだったのに。そうすれば、姉妹の地位は――魔女の地位は――引いては世界は…………。
――魔女の歴史には、魔女狩りで滅ぼされた一派、または一族が無数に言い伝えられている。人間に対する恨みを、その悍ましさを忘れないためのものだ。
だが同じくらい、魔女が滅ぼしてきた組織や団体――殺してきた者たちも伝承されている。人間社会的に重要とされた魔女の敵対者や――事故死で処理された白魔女たちなど。
歴史の黒いシミに――同じ目に合わせて……ァンッ?
グリベラは、立ち止まった。
鼻を動かし――その匂いを嗅ぐ。
――冬終わり――春先の夜の、森の中。
自然の匂いがする――匂いがするのだが。
何か――「何か」別の匂いがする。…………何だ? ……何だ? ――これは何だ⁉︎
前方から漂ってくる匂い――人間には感知できないであろう、高位の……いや、超位の匂い。
わけもわからず……ゆっくりと前に出る――。背後から追っ手が来ているのだ。慎重になりつつも、進み続けなければ。
開けた場所へ出た。少しだけ樹々が広がって生える、歪な形の月が見える場所。
そして目の前から――闇の中から、一人の姿が。
派手な和服の女――桃色の花柄――と、金の縁取られた模様と、白い滲みのような模様の折り重なった着物。花の形を彩った、派手な金色の髪留めをした後頭部。背中を真っ直ぐ伸びる黒髪と、眉上で真っ直ぐ切られた前髪。閉じているように見える――というか、実際閉じている目と、繊細で淡く、ぼんやりとした肌の血色。
帯の前で両手を組み、黙ったまま――目も開けずに、グリベラに向いていた。
一人の女。そして――。
――春の匂い。
「――〈四宝ソレット〉、ですか?」
呼吸を整えながら、唸るようにグリベラは尋ねた。
「…………」
女は、何も言わなかった。ただ少し――首を傾げた。
「……なら、死んでくださいッ‼︎」
グリベラは掌を向け――――風を感じた。
全身が心地の良い春風に包まれて。
――――何も考えられなくなった。ということすら気付かず――――――。
「――ダメ、です――――」
その声の女の姿は、グリベラ・アンバー・ウォーレンの前からは、消えていた。
「――リウワン?」
走って現れた、グレンとクルキ。
着物姿の女を見ると、グレンが訊いた。
「何故ここに……?」
その足元には――倒れている魔女。
顔を草に埋め、目を閉じ、眠るように――――絶命している。
女――リウワンが、口を開いた。
「――魔女が現れた、と。報告を頂きました」
目を閉じたまま、グレンに微笑む。
「対処が必要かと思いましたが――来て正解だったようですね」
それから、クルキを見て。
「ご苦労様です、冬のヴァイサー・クルキ――」
「――春のヴァイサー・リウワン」
クルキは遮るように、口を開いた。その声は重く、リウワンの口角が下がった。
「実は、ファンショが――」
月光は三人を照らし――辺り一帯には、小さな花が咲き乱れていた。