【第0章|Lunatic】〔第0章:第1節|{ひと区切り:エンドロール}〕

 立体プロジェクターや3Dメディアが参入し始め、立体映像媒体の本格化したこのご時世において「映画館」というものはある種、時代遅れ﹅﹅﹅﹅と称される事がある。だが、書籍がいくら電子化されようと「本」という媒体は在り続け、その数は激減しようと「本屋」も存在し続けていた。通信販売が爆速で届く世界でも、「店舗」は存在し続けている。現金、テレビジョン、単体カメラ――近代技術の発展に伴って完全に消えた物と言えば、「フィーチャーフォン」や「新聞」などの、情報特化の産物くらいだろう。
 世界情勢だって、変わらずだ。
 金持ちがミニマム化していく中でも、スラム街でゴミを拾う少年少女は後を絶たず。
 戦争に駆り出され落命する若者たちに引き換え、殆ど運だけで若くして成功する者も。
 人生を棒に振るため引き篭もる中年から、世のため人のために、世界を股に掛ける十代前後のご子息やご令嬢まで。
 歴史は繰り返す。
 人間は変わってない。
 人間は変われない。どれほどの事があろうと。

 ただいつの間にか、変わった事を自覚する﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅だけが、唯一認識できるであろう転機﹅﹅だ。

 変わるのではなく、変わっていた。それだけが唯一の、可能性。

 それはつまり、逆説的に言えば――――。

 田舎の映画館なんて、特に需要も必要性もない。
 映画など家で観れるもので、娯楽物であり、緊急時に状況を転換させるようなものですらない。
 だが、その映画館は開館していた。
 小さい映画館だった。一応田舎町の中にあれど、その自体の居住者は少ない。商店街とすら言えないほどの、シャッターが並ぶ角――そこに、小さくも運営が続いてはいた。
 家主の怠慢であり、惰性だ。オーナーは家賃を払うためそこに住み、古ぼけた館内をテキトーに清掃しては、一日に五本程度、安く卸してもらったフィルムを、だらだらと流していた。
 運営はギリギリ。利益はカツカツ。
 ゴミが散らかっているわけではないし、落書きがあるわけでもない。ただカーペットの汚れがひどいだけのロビー。あまり歓迎の雰囲気はない。窓口にお札を二枚出すと、仕切りの向こうでタブレット端末を眺めていた老爺は、無愛想に無口なまま右奥を指差す。ドリンクさえも提供はないらしい。その先に、この映画館唯一のシアターへの入り口があった。

 画質はそこそこ鮮明であったが、色は白黒で、ジャンルはラブロマンスだった。
 粗雑な音質のスピーカーから聞こえるのは、明らかに英語じゃない。にも関わらず、字幕は無かった。
 ちょうど真ん中の席で見ていた女は、さも「意味不明」と言いたげに、殆どそれをぼーっと眺めるように観ていた。いや、「くだらない」と言いたげなのかもしれない。
 わけわからない言語に塗れて、画面の中では男女が別れのキスをしていた。どうやら男の方が、これから戦争に出向くらしい。数人しかいない寂れた駅のホームで軍服を着て、ブロンドヘアーの恋人に向かって、なにか大事そうな事を言っている。なにを言っているかはわからない。
 座席は百以上あったが、客は片手で数えられるほどしかいなかった。テキトーに散らばって座っており、端の方で寝ている老人もいれば、前の方で真剣に観ているお婆さんや、合間合間に携帯画面端末を観ているのか、映画を見ていたり手元を見ていたりと、首がよく動いているスーツ姿の中年の男も。その中で、一番若いのが中央に座る女だった。
 半分踏ん反り返るように座っていた女は、視界の隅に、一人の男が劇場に入ってきたのを捉えた。その男は目を凝らし、女がいる場所を見つけた。女はスクリーンを凝視していたが、男が自分を見つけた事に気付くと、小さな舌打ちをした。暗闇の中、男は座席の段差を上がってくる。
 そして、女の右隣に座った。
 ……………………。
 沈黙が跨ぐ。
 スクリーンには、一人になった女のやきもきしているのであろう日々が、ダイジェストのように映し出されていく。
 先に口を開いたのは、男の方だった。
「疑問。――何故、面白く無いと分かっている作品モノに、対価を支払っている?」
 マナーを守ってか、男は小声であった。
 今上映されているのは十数年前に公開された映画で、端的に言えば、「最低最悪」に等しい評価を得た作品であった。それは、「続編や再上映は正気の沙汰じゃない」と言われるほどの作品もので、世間に疎い男の方でさえもそれなりに噂を聞いていたほどであった。案の定、客足は見ての通りだったが、映画が原因か映画館が原因かなどは、判断のつかない事であった。どうせ両方よ。
 女はスクリーンを見たまま、小声で男に言葉を返した。
「解答。――アタシの人生はあまりにも上手くいってるからよ。多方面に予定調和﹅﹅﹅﹅でもつくっておかないと、未来において面倒なタイミングで不運に見舞われる気がするからよ」
 その喋り方は男を揶揄するようであった。男はというと、
「嘲笑。――科学的根拠はない」
 と返した。
 男の方は、もう若者ではない。浅黒い肌と、綺麗に切り揃えたばかりの青髪で、シンプルな襟付きのシャツにジャケットを羽織り、ズボンとスニーカーを履いていた。格好は若く見えるが、その顔付きは貫禄が強い。
「嘲笑したいのはアタシの方よ。科学とは程遠い、文明社会的な生活から隔絶されてるアンタが、科学的根拠を語るわけ?」
 つんけん﹅﹅﹅﹅とした女の方は今時の若者であった。派手ではないが柄の入ったシャツとパーカーに、細身のパンツとスニーカーを履いている。全体から被せたような茶髪に、
裏地のように襟元辺りを黄色に染めた髪を肩まで垂らし、多少荒いが若者らしさの強い、彫りの浅い目鼻立ちをしている。その顔は不機嫌そうだが。
「心外。――山暮らしは科学的だ。最も身近に自然と――」
「興味ない。用があるんでしょ。どうせ分かってるけど……。――剣のヴァイサーは? なんか言ってた?」
「一応。――ただし、聞いても良い事はないだろう」
「でしょうね。会いにも来ないし。まさに剣豪。傲慢不遜。……反吐が出るわ」
「重要。――彼女はそれで良い」
「反吐が出るのが?」
「否定。――そっちじゃない。剣豪。――それを必要とされている」
「じゃ、必要とされてない女には会いに来ないわよね。……アタシはクビ?」
「相違。――〈ソレット〉からの脱退は、相当な理由が無いと有り得ない﹅﹅﹅﹅﹅
「相当な理由?」
「脱退。――普通は『引退』か『死』かだが、今回は事情が違う」
「そうね。アタシが悪いわけじゃないわ」
「理解。――ただし良かったわけでもない。度重なる命令違反と厳重注意。挙げ句の果てには独断専行。協調性がないにもほどがある。オレでも庇い切れない」
「その独断専行﹅﹅﹅﹅で、任務自体は達成したけど?」
「奇跡。――あと一〇秒違ったら死者が出てた。今回の失態はかなり手痛い。お前の『正義』は危うすぎる」
「ッ。アタシの前任﹅﹅はよく耐えてたわね……」
「全然。――耐えていたわけではない。はもっと上手くやっていた。『正義』と『衝動』の天秤が釣り合っていた」
「でも、経験と技術が追い付かず、自分の限界を超えた所為で若くして死んだ。でしょ」
「共通。――本質的には、お前と良く似ている」
「……はぁ。……なんとも言えないわね。会った事ないし」
「真実。――彼の方が、素行は良かったが」
 白光りが点滅する。戦場で男が撃たれ、淡い回想が連なっていく。
「で、結局どうするって?」
「温情。――『贈り物﹅﹅﹅』だ」
 男は一枚の洋式封筒を取り出して見せる。
 『贈り物﹅﹅﹅』という言葉は、二人の間で都度都度行われていた、互いを思う感情の代弁的な行動であった。ここにきて女は初めて、男の方を見た。
「……今回は良い方? 悪い方?」
 女が受け取ったのは、銀縁の白い封筒。金色の封蝋には、「天秤」と「剣」を重ねたような紋章。
「不明。――現段階ではなんとも言えない。が逝ってからもう一年経ったにも関わらず、オマエは充分色々とやり過ぎている。剣のヴァイサーは、あと何年もは保たないだろうという判断だ。故にオマエは、〈夜桜やざくら〉へ異動となる」
「あっそ。……待って。……〈夜桜やざくら〉? 〈夜桜やざくらソレット〉? ……アタシに『死ね』って事?」
「語弊。――異なる道に向かうべきだと。それに、死ぬ事ではなく殺す事が専門になる。やり過ぎてしまうオマエには適当だ」
「ハッ……厄介払いってわけね」
「過去。――〈十字じゅうじ〉に入る前は、グレンも〈夜桜〉だった」
「なんっの慰めにもならない。アタシを〈十字〉に入れたのは、アンタよ」
「後悔。――早とちりだったと思う時が多々。オマエは感性﹅﹅が強過ぎる。その上衝動性も高く、口も悪い。何故か知らんが、口が悪いのも〈十字〉に多く在籍してるしな」
「その口女とブラッキーを追い出せば良いのよ。なんならアタシがやったろうかしら?」
「不問。――素行は悪いが、あれらは仲間だ」
「あんたにとっては、でしょ。アタシはもう違うらしいし」
「有用。――あれらの才能は、今は良いつるぎとして機能している」
「才能が無くて悪かったわね」
「適切。――〈夜桜〉なら、お前はお前のままでいられる。さすれば、多少は有用だと思われるだろう」
 スクリーンの回想シーンが終わった。銃弾の雨が止むと、無惨さの抑えられた白黒の血が、空を見上げて動かない役者から流れ出ていた。
「戦死にしては綺麗な全身」
「推測。――関係者に、戦場経験者はいない」
「業界に一人でもいたら驚きね」
「同意。――だとしたら、そもそも撮影がないはずだとも思うが」
 女は、左隣の席に投げていた紙を一枚、男に向かって差し出す。色褪せた、この映画のパンフレットだ。
「インタビュー曰く、『命を懸けて﹅﹅﹅﹅﹅撮影した』らしいわよ」
「虚偽。――実際には、そんな事は無いだろう」
「でしょうね。――アタシは〈夜桜〉に行って、『正義の天秤』じゃなくて『害悪の滅殺』に命を懸けろって?」
「助言。――ヴァイサーの言う事をちゃんと聞いておけ。他のエィンツァーたちとも、諍いを起こすな。今のオマエには必要な事だ」
「へいへい。……いつから?」
「来週。――『たねのヴァイサー』と『つぼみのヴァイサー』が接触しに来る。それまでに荷物をまとめろ」
「『はなのヴァイサー』は来てくれないの? 大型新人なのに。――荷造りはもう終わってるわよ。クビだと思ってたし。私物は全部、自分で持ってる」
「敏腕。――次の任務でも、その察知力と気概を活かすと良い」
「後悔しても遅いわよ? 後で泣きついてきても、戻ってなんてやらないから」
「賛成。――オマエはそれが正しい」
 男は女にパンフレットを返す。女は受け取る。その顔は少しだけ寂しそうに。男はそれを見て。
「仲間。――離れていても、我々全員がそう思っている」
「ハッ! んなわけ!」
 別れを察した女の自嘲するような声は、前方にいた数少ない観客を振り向かせた。
「うっせえッ!! こっち見んなッ!」
 その剣幕に眉をひそめた老人は、座席から立つと劇場から出ていった。他にもう一人振り向いたが、女が唸るように睨みつけると、黙ったまま前に向きなおる。
 男はかぶりを横に振ると、唸り声の漏れかけている女の口を手で塞いだ。その手の甲に、女の目端から溢れた涙が、一滴流れ落ちた。
「命令。――静かに。常識﹅﹅に噛み付くな。そういうところだ」
 冷静な男に、堪えている女。
「……ッ……。分かってるわよ…………」
「伝心。――オレも寂しい。本当だ」
「…………分かってるって……」
「共感。――オマエが幸福である事を祈っている」
「……アンタが、アタシを……〈ソレット〉に入れたの……」
「自覚。――責任を感じてるし、それを誇らしくも思っている。だからこそ、最後まで見届けたい」
 男は祈るように、女の額に口づけをする。
「慈愛。――オマエを娘のように思っている。いつか分かってくれたら嬉しい」
「………分かった。〈夜桜〉でも、アタシの『正義』を果たすわ」
「不安。――もう履き違えてるぞ。必要なのは『正義』じゃない。任務は全て『滅殺』あるのみだ」
「へいへい……」
 男は左目右目と、女の涙を拭うと立ち上がる。
「離別。――そろそろ行く。良い結果を期待している」
「分かった。――任務?」
「任務。――一週間ほど東北に行く。詳細は語れない」
「……あっそ。じゃあみんなによろしく。――『アタシくらい優秀な後釜は、血眼になって探しなさいよ』って言っといて」
「了承。――そっちも上手くやれ。夜に舞うとき要するは、『滅殺』したという結果のみだ」
「へいへい。……あとついでに、あのガキにアタシ版の『十字大剣バスタード』、送るように言っといて」
「拒否。――〈夜桜〉には〈夜桜〉の武器がある。オマエ用で準備されるだろうし、〈十字〉と違って全員共通のものだ。そっちに早く慣れておけ」
 男は最後に女の頭を撫でる。そのまま消えるように手を離し、女に背を向け、座席の間を降りて行った。
 姿が見えなくなると、女は「フーッ……」と、ひと息吐く。
 スクリーンには、黒い画面に白い文字列が、上に向かって流れ始めていた。
「……エンドロールで立つ男は嫌い」
 今度は、もっと大きな溜め息を吐いた。


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